葬式って誰のためにやるのだろう。

ゆっくり休んでね、あっちでも元気でね、今までありがとうね。
もういない人に、もう会えない人に、なんて言葉をかけるのが正解なのだろう。そもそも、もう届かないその思いを言う必要があるのかさえ思えてしまう。だからこの本を読み終わった後、それが無駄ではないと思えた。

葬式がただの手段だとは分かっていたはずだが、そつなくこなさないといけない、参列者に失礼のないように何事もないように帰ってもらわないといけないという現場に遭遇する度に思う、何のための葬式だ。他の事を考えなければいけないのなら、その人のことを想うのが後回しになるのなら極論であるけども葬式なんてやめちまえと思う。棺桶の中を花でたくさんにするより、家族での思い出話でいっぱいにしてやればいいじゃないか、僕はそう思う。

ワンピースに出てくるチョッパーの恩師は「人が死ぬときはいつだと思うか、人に忘れられた時である」と言った。この物語もそれと同じようなことを言っているような気がする。葬式でも何でもいいのだ。故人を知っている人が集まった飲み会でもいい、それはトリガーなだけ。昔話をしながらその人とのことを思い語り合う。それが1番の供養であり恩返しであると。
例え、涙なんて流さなくてもいい、悲しい顔なんてしなくてもいい、ただ俺の話をしておくれよ。
僕がお別れした人たちに、そんな風に言われているような気がした物語だった。

「モーニング Mourning」 小路幸也

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