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不具の身体、十全な身体 〜ボクシングと60年代文学

 訳あって60年代周辺の日本文学をなんとなく読んでいるのだが、そこに「肉体」というテーマが通奏低音として、いやもはや表立ってのテーマとして現れていることを、再認識した。みんな肉体ばっかり。ただ肉体といってもいろいろあるわけで、とりあえず「ボクシング」を軸に自分の読書メモをラフにつなげることを思いついた。

 最初に見るのは、小説家ではないが広義の文学の担い手として、劇作家の唐十郎である。彼は自身の劇作のマニフェスト的な文章である『特権的肉体論』を著しているが、ここには彼の求める「肉体像」が描かれている。その冒頭は中原中也への言及から始まる。

「昔、中原中也という詩人がいた。この人の詩と行状と死にざまを調べながら、私は、こりゃ詩人じゃない、もう一つ格が上の、病者だ、と思ったことがある。(…)この病者を思う度に、私はこう考える−痛みとは肉体のことだと。だから、私は彼の詩より、詩を歌う物腰を凝視しているのかもしれぬ。
 そして、もし、特権的肉体などというものが存在するならば、その範疇における一単位の特権的病者に、中原中也は位を置く。」(p. 7)

 この「病者」こそ、唐十郎が劇団に集め舞台に立たせていた役者=「河原者」=被差別民たちと言うことだろう。中原中也の肉体とは、「色白」で、本人が「恥ずかしがっていた」ものである。つまり「肉体とは、カシアス・クレイの強い筋ばかりではない」。

「カシアス・クレイもまた、子供の頃自転車を盗まれ、盗んだやつをなぐるためにボクシングを始めたという。ここにも、独自な形で肉体を見つめた器がある。だから、肉体とは、強い筋でも絶倫の性器でもない。最も現在形である語り口の器のことだ。」(p. 15)

 ここで「強い筋」の例に出されるカシアス・クレイとはモハメド・アリという有名なボクサーの本名である。ボクサーの身体は「最も現在形である語り口の器」であることにおいて特権的なのであり、その筋骨隆々であることにおいてではない。
 この「ボクサーの身体」は、時期を同じくして他の小説家の作品にも登場する。ボクシングは1960年代に空前のブームを経験したと言われており、そのきっかけは東京オリンピックであった。テレビの普及が野球や大相撲のようにボクシング中継を観戦することを可能にし、週に10試合が放映されることもあった。ファイティング原田をはじめとするスター選手も多く誕生し、1970年の末には11階級に15あった世界チャンピオンのタイトルのうち実に5つを日本人が手にしていたというから、人気だけでなく実力も十分に伴って向上していた。日本ではテレビ中継によって興行の客入りが衰えることもなく、後楽園には観客が詰めかけた。地方巡業がありテレビに多くを負っていた野球や大相撲とは異なり、まさに都市に誕生したスポーツなのだった。
 このように人気競技になりつつあったボクシングを描いた代表的な小説として、少し時期は前後するが石原慎太郎の『太陽の季節』が挙げられるだろう。作家のデビュー作となったこの短編は大学の拳闘部に入部する主人公の恋愛を描く。その冒頭は次のように始まる。

「竜哉が強く英子に惹かれたのは、彼が拳闘に惹かれる気持ちと同じようなものがあった。
 それには、リングで叩きのめされる瞬間、抵抗される人間だけが感じる、あの一種驚愕の入り混じった快感に通じるものが確かにあった。」

 主人公の竜哉は小説を通して英子という女性と拳闘というスポーツに強く引き込まれていくが、彼と英子との関係性は拳闘の選手同士のそれとのアナロジーで語られている。両者は嫉妬心を拳に巻いて、お互いを傷つけあうという素直でない恋愛関係を結ぶのである。竜哉は物語の後半においては英子との関係を「有利」に進めるし、拳闘の方でも十全な身体でもって才能を発揮する。裕福な家庭に生まれた彼は、タガの外れた倫理観を持って仲間たちとともに女、博打と東京や別荘地の葉山で遊びまわる。この不良たちの価値観も小説の主題の一つであり、新たな世代の象徴のように描かれている。
 このような主人公の身体はどちらかというと中原中也というよりカシアス・クレイの側であろうが、次のような一節がある。

「人間にとって愛は、所詮持続して燃焼する感動で有り得ない。それは肉と肉とが結ばれる瞬間に、激しく輝くものではないだろうか。人間は結局、この瞬間に肉体でしか結ばれることが無いのだ。後はその激しい輝きを網膜の残像に捕えたと信じ続けるに過ぎぬのではないか。」

 ここでは恋愛関係=ボクシングの試合=肉体関係がまとめられている。しかしここには唐十郎における「最も現在形である語り口の器」たる「特権的肉体」がありそうではないか。
 しかし結論はまだ据え置いておいて、次の小説を紹介したい。寺山修司の『あゝ荒野』である。この小説も、ボクシングが一つの軸に据えられた群像小説である。舞台は新宿歌舞伎町で、『太陽の季節』とは正反対に、唐十郎であれば彼らを「河原者」と呼んだかもしれないような、社会階級の低いものたちの姿が描かれる。寺山自身と同じく地方出身者が多いことも一つの特徴であろう。
 身体についていえば、登場人物たちの多くは、自らの身体に欠陥を抱えている。吃音で「ちんば」のボクサー<バリカン>に、足の悪い父親、低身長で性的不能のスーパー経営者、他にも「出っ歯」や数々の「跛(びっこ)」が出てくる。その一方で十全な身体を持つのは、<バリカン>とはジムの兄弟弟子である新次である。彼はボクシングにおいて類まれな才能を発揮し、健康な肉体を印象付ける存在だ。

「毎日毎日、新次は逞しくなってゆく。一緒に銭湯へ行って、ちらりと見た陰茎も少年ハウスにいた頃とは見違えるようにふとくひらいていたし、肩から胸へかけての肉も野生の獣のようにしなやかだった。(だんだん、俺と新次とは違ってゆく)と、〈バリカン〉は思っていた。銭湯のタイルに並んで坐って、まるで(新宿三丁目のヘラクレス)のような新次の肉体にくらべると、俺の方は柄が大きいだけでちっとも迫力がない。(陰茎だって、いつも萎びているうらなりの漬物のようだ)」

新次にはスーパー経営者の性的不能や女性の跛行をバカにするセリフもあり、他の不具者たちとの対称性が際立つ。

「足の悪い人は、どうしても跛の思想を持つようになる」

 新次にとっては、身体こそが当人の思想、内面を表すのである。
 新次のガールフレンドもまた、十全な身体の持ち主と言って良いだろう。彼女は渥美清のファンで、彼がビタミン剤のCMで言う「丈夫で長持ち」を口癖にしている。実際に「丈夫で長持ち」の身体の持ち主でもある。
 ここで当時の理想の男性像が問題になるが、身長1メートル59センチでスーパー経営者の宮本太一に、次のような言葉がある。

「昔は「大男、 総身に知恵まわりかね」と言って大きい男を軽蔑し、肉体と精神の分離を説くのが通説であった。小さな日本人は、すなわち、精神的な日本人であり、「頭のいい日本人」でもあったのだ。だが今は違う。今は、大きな男の方が、頭もよいと思われるようになってきたからである。(たとえば美智子妃殿下の弟の正田修という男などは一メートル八十センチ近くもあるのに、森村学園から東京大学を出た秀才だし、黒沢明も石原慎太郎もみんな「大きな日本人」という新種に属する。大体、私の店の支配人の佐々木猛だって、明治大学出なのに一メートル七十三センチもあるのである)」

 石原慎太郎はやはり、肉体と精神の両立した十全な身体を持つ側にいるようだ。 
 こんな劣等感を抱く宮本もまた、ボクシングに惹かれていくのである。

「私は近頃、「言葉」でも「性」でもなく「暴力」というものに興味を持つようになってきた。暴力という伝達行為。暴力という連帯方法。これは、いかがなものであろうか?何人も、戦場に於ける兵士のようにきびしく「相手」を見張ることは出来ないし「相手」の一挙手一投足に興味を持つことは出来ない。少なくとも「暴力」行為には、疎外などのつけこむ空隙がないからある。
 そんなことから、私はボクシングに心惹かれるようになった。あの、殴りながら相手を理解してゆくという悲しい暴力行為は、何人も介在できない二人だけの社会がある。あれは正しく、政治ではゆきとどかぬ部分(人生のもっとも片隅のすきま風だらけの部分)を埋めるにたる充足感だ。相手を傷つけずに相手を愛すことなどできる訳がない。勿論、愛さずに傷つけることだってできる訳がないのである。」

 つまり、ボクシングとは「暴力」を通じたコミュニケーションであり、「相手を愛すこと」であり、相手を憎み傷つけることである。そこにおいてボクサーの身体とは、「肉と肉とが結ばれる瞬間」の、「特権的肉体」であると言ってよいだろう。
 最後にみる三島由紀夫も、実際にジム通いをするほどにボクシングに傾倒した一人である。彼はボクシングに惹かれる理由を直裁にこう述べる。

「ボクシングのいいところは、そこに偽善がない。妥協がない。文明社会のゆるすかぎりにおいて、闘争本能がもっとも純粋に高揚され、一方が意識を失うまで戦われる。そこに、現代の文明社会で失われたそう快な野生がむき出しになっている。」(「ウソのない世界」1963, p. 168)

 この特権的なスポーツの観戦に三島は足しげく通い、多くの観戦記を新聞に寄稿している。その中の一節に次のようにある。

「十四日晩の国際スタジアムにおける金子対中西のボクシング試合は、熱狂的なものであった。挑戦者中西の、例のごときシツヨウなファイト、六回目のダウンを喫しながらなお立上がる負けじ魂……それは見物の期待を裏切らぬものであり、見物はおのおの、悲劇の傑作を見たあとのように、十分にカタルシスを味わって、帰途についた。そんなところにも、私は今日、すぐれた芝居の果たすべき成果を芝居があげず、代ってスポーツが果たしていることを、思わずにはいられなかった。」(「悲劇」1957, p. 155)

 これが三島由紀夫の、(そしてもはや唐十郎のとも言えるような、)演劇論なのである。
 三島の目指したものが垣間見える、次のような一節もある。

「「仮面の告白」という拙作を読んだ方はご承知と思うが、私は病弱な少年時代から、自分が、生、活力、エネルギー、夏の日光、等々から決定的に、あるいは宿命的に隔てられていると思い込んできた。この隔絶感が私の文学的出発になった。しかし年を経るにつれ、私が自分一人の個性の宿命だと思い込んでいたこの隔絶感は、実は文学そのもののなかにひそんでいる一般的な原理だと知るようになった。トオマス・マンに親しんでから、マンの生−対−芸術という図式のうちに、ますますそれを深く感じるようになった。それから私の人生観も芸術観も変ってきた。ここ三、四年の私の実生活上の全努力は、この隔絶感をぬぐい去り、幼少時代に失ったものを奪回しようということに集中している。人から見たらずいぶん気ちがいざたに見えるだろう。
 シャドウ・ボクシングに熱中して大汗を流し、目の中へ流れ込む汗を感じているとき、私は大ゲサな話だが、ショウペンハウエル的な世界から遥か遠く離れている自分を感じてうれしい。そのとき少なくとも私の中に、如上の隔絶感は完全になくなっている。
 私は自分が住みたいと思う理想的な世界を考えるのだが、そこではボクシングと芸術とが何の不自然さもなしに握手しており、肉体的活力と知的活力とが力をあわせて走り、生と芸術とが微笑をかわしているのである。それじゃ「太陽の季節」じゃないか、という人があるかもしれないが、話はそれほど簡単ではない。私は私のやっていることが一場の喜劇にすぎず、小説家がボクシングをやっている姿はやはり漫画的であり、私の理想世界は夢にすぎないことを知っている。しかし三十を越したからといって、先生呼ばわりなんかされて、骨董をいじくったり、俳句をひねったりするようになるのは死んでもイヤだ。」(「ボクシングと小説」1956, pp. 143-144)

 「肉体的活力」と「知的活力」とが力をあわせることという言葉が、先に紹介した引用で寺山が指摘した、「肉体と精神の分離」がなされていた昔に比べ「大きな男が頭もよいと思われるようになった」と言う男性像の変化を思わせる。しかしことは『太陽の季節』ほどには単純ではないらしい。
 そしてこの点は、三島が『太陽と鉄』でいう「文武両道」という言葉にも通ずる。

「「文」の原理とは、死は抑圧されつつ私かに動力として利用され、力はひたすら虚妄の構築に捧げられ、生はつねに保留され、ストックされ、死と適度にまぜ合わされ、防腐剤を施され、不気味な永生を保つ芸術作品の制作に費やされることであった。むしろこう言ったらよかろう。「武」とは花と散ることであり、「文」とは不朽の花を育てることだ、と。そして不朽の花とはすなはち造花である。かくて「文武両道」とは、散る花と散らぬ花とを兼ねることであり、人間性の最も相反する二つの欲求、およびその欲求の実現の二つの夢を、一身に兼ねることであつた。」(「太陽と鉄」1965-68, pp. 240-241)

 三島の身体論についてはより精密な読解が必要であるはずとして(ここで三島を単純に「十全な身体」の側に整理することを避けたい)、続きはまた今度。


・ 参考文献

石原慎太郎『太陽の季節』2002、幻冬舎
唐十郎『特権的肉体論』1997、白水社
寺山修司『あゝ荒野』2013、角川文庫
三島由紀夫『三島由紀夫スポーツ論集』佐藤秀明編、2019、岩波文庫
ボクシング・マガジン編集部『日本プロボクシング史 世界タイトルマッチで見る50年』2002、ベースボール・マガジン社


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