見出し画像

中文映画を100本くらい見て分かったこと

 突然だが、皆さんは中国語圏の映画を好んで見るだろうか?見たことがあるものと言えば、『少林サッカー』と、ジャッキー・チェンの出演作をいくらか、くらいじゃないだろうか。ちなみに自分はそうだった。何故か米国が作る映画に比べて野暮ったいというか、つまらないイメージがなんとなくあった。アジア顔を見慣れすぎていて、映画の中でまで見ようとしないのかもしれない。
 そんな僕も、一年ほど前に中国語圏の映画を見始める強いきっかけができた。台湾へワーキングホリデーに行くことが決まったのだ。大学時代から映画が好きだったので、映画を沢山見て勉強しよう!と考えた。それから一年ほど経ち、ワーキングホリデーの期間も残り2ヶ月ほどになってしまったところで、鑑賞記録を見ると100本に到達していた。無我夢中で観ていたのだけれど、冷静に考えたら、映画好きの日本人はこの世に数多くいれど、中国語という縛りで100本も見た日本人は、あまりいないのではないだろうか。そこで、中国語圏の映画(以下中文映画と書く)を沢山観る前は知り得なかったことや、それらを観ながら考えたことなどを、日本人の視点からまとめておくことにした。

 ここで中文映画の定義を説明しておきたい。僕がカウントすることに決めただけなので、出典も根拠もないのだけれど、以下の3項目のどれかに当てはまっていれば中文映画とみなしている。
・中国語圏(中国、台湾、香港)で制作された映画であること
・中国諸語(北京語、広東語、客家語、台湾語など)が主要登場人物の話し言葉として用いられていること
・中国、台湾、香港の文化・歴史がテーマになっていること

 この定義だと、幅広い作品が含まれることになる。2023年のアカデミー賞を総なめした『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス(2022)』も、作中の半分が中国語、半分が英語であるため、中文映画とした。坂本龍一が音楽を担当したことでも日本でよく知られる『ラストエンペラー(1987)』は、作中言語は全て英語であるが、最後の皇帝の故宮(紫禁城)での生活や、清と中華人民共和国の狭間の歴史を描いている点で、中文映画とみなした。『恋する惑星』で有名なウォン・カーウァイ監督の撮る作品は、作中言語がほとんど広東語なので、僕には全然聞き取れないけど、中文映画としている。

 このとおり、当初の目的である「中国語の勉強」とは結構ズレてしまって、100本のうちの半分ほどが、勉強にならない…と思いながら見ていた。でも、中文映画を観ながら台湾での生活を続けていて思うことは、映画を通して文化・歴史を学ぶことは、回り道ながらも語学力に繋がっているということ。台湾語、広東語、客家語の響きがどんなものであるか、中国語圏の人々がどういう暮らしをしているか、どういうことを考えているか、といったことを知ることができるからだ。言葉と文化は密接に繋がっている。

 また、100本も見ているうちに、各地域の映画の特色が、なんとなく見えてきたのだ。中国(西部・東部)、台湾(北部・南部)、香港などという撮られた場所によって、映画の帯びる雰囲気が異なる。具体的に言うと、中国の有り余る竹愛とか、死者と繋がる台湾、密集した暮らしの香港など。これは後に詳しく書くけれど、この発見がかなり面白かった。テレビニュースだけで漠然とイメージしてたもの以外の姿が立ち現れてくる。

 ということで、イントロはこのくらいにして、本題に入っていく。下に目次を用意したので、気になったところだけでも読んでもらえたら嬉しい。また、filmarksに、見た映画全て(マイナーすぎてfilmarksに存在しない映画を除く)の感想を書いているので、気になった作品があれば、より詳細に書いた感想が見られる。(悪口も結構たまに混ざってるので、苦手な人はお気をつけて)


各国の映画の特色

 つい先ほど「100本も」見ているうちにと書いたけれど、逆に言えば、「100本しか」見ていないので、結構偏っているだろうし、主観もかなり大きい。また、台湾映画を中心に見ていたので、自然と台湾の部分のボリュームが大きくなった。その辺はどうかご容赦してほしい。

古典アクションの中国

有り余る竹愛と紳士的な騎士たち

 中国アクション映画は竹林で戦うことに対してオブセッションでもあるのかというくらい、よく見る。竹槍、竹投げ、竹滑り、竹トラップ、竹跨ぎ、竹檻と、竹戦闘に関する全てのパターンは、中国映画でやり尽くされている。どれだけ竹が好きなんだ…とツッコミを入れざるを得ない。
 また、女性剣士が登場すると、戦闘中に衣服がはだけて、必ずハレンチな展開になる。女性剣士と、服がはだけることは、イソギンチャクとクマノミくらい密接に結びついている。なおかつ、はだけた女性剣士にはそれ以上のことをしないのが面白い。アメリカの映画だったらこうはいかないだろう。中国人剣士はいつだって紳士的だ。(中国政府の検閲が入るからという理由も考えられる)

まさかの、竹林の中でなく上での戦い
『臥虎藏龍(グリーン・デスティニー)』(2000)
竹絨毯で追い詰めたところを、竹槍投げで竹檻を作り身動きができなくする竹地獄
『十面埋伏(LOVERS)』(2004)

古典と伝統

 清の時代から続く伝統芸能である京劇、紫禁城に暮らした最後の皇帝の壮絶な人生、中国古代の四大民間伝説の一つである白蛇伝など、伝統の重みを映画化することが多い。漫画『グラップラー刃牙』で烈海王が「中国4000年の歴史」とよく言うけれど、これらの映画が生まれるのは、中国人にとって歴史の長さを誇っていることの表れだろう。特に白蛇伝に関しては、アニメ映画などもあり、探せばキリがないくらい見られる。

京劇に人生を賭けた人々を描く
『覇王別姫(さらば、わが愛)』(1993)
故宮(紫禁城)を貸し切っての撮影
『末代皇帝(ラスト・エンペラー)』(1987)
人間に姿を変えた蛇姉妹のお話
『白蛇傳情』(2021)

格差社会

 都会/田舎、富裕層/貧困層、持つもの/持たざるもの、の対比を沢山見た。現代社会に普遍的なテーマとも言えるけれど、中国の現代映画にはどの作品にもこの要素が含まれていたように思う。他の地域に比べて貧富の差が大きいことが、映画の内容からも見てとれる。

父親が危篤で都会に出稼ぎに行かなければならなくなった主人公
『雄獅少年(ライオン少年)』(2021)
綺麗なマンションを紹介されても「人は住めるけど、ロバや鶏や豚などの動物たちはどこに住むのか?」と断る
『隱入塵煙(小さき麦の花)』(2023)

香港映画スター

カンフー映画大国

 ブルース・リー作品、イップマン作品、ジャッキー・チェン作品といったアクションスターたちが織りなすのは、どれも香港映画である。肉体で戦う魅力を魅せるのは世界一と言っても良いかもしれない。ちなみに、イップマン(映画に登場するドニー・イェンではない)はブルース・リーの師匠であり、また、ジャッキーはブルース・リーの初期作にスタントマンとして登場したりしているらしい。お互いに影響を与えあったからこそ、香港でこのような映画が発達したのだろう。『少林サッカー』や『カンフーハッスル』など、チャウ・シンチーが監督権主演を務めるギャグアクション映画も、おもしろシーンに隠れがちだが、アクションの素晴らしさには目を見張るものがあった。

有名なセリフを見れて感動
『龍爭虎鬥(燃えよドラゴン)』(1973)
日々の生活そのものが鍛錬であることを教えてくれるシーン
『功夫(カンフーハッスル)』(2004)

ウォン・カーウァイの昏さと狭さ

 監督の名前と国名を結びつけることはしないでおこうと思ったけれど、香港映画の代名詞とも言えるウォン・カーウァイ(王家衛)監督は、どうしても切り離して考えることができなかった。彼の作品はどれもほとんど、遠景がない。狭いビルの部屋の中や、密集した建物の昏い隙間を歩く登場人物たち。降りしきる温い雨。あの都市が、あの暮らしが先にあったからこそ、ウォン・カーウァイはあのような映画を撮ったのだろう。

狭い場所で暮らす登場人物
『重慶森林(恋する惑星)』(1994)
湿度の高い画面
『春光乍泄(ブエノスアイレス)』(1997)

日常の台湾

自転車と青春

 台湾青春映画に特徴的なのが、自転車で好きな子を追い回すこと。共通点は、学生の恋愛で、イケてる男子が自分に自信満々で、下校時に追いかけること。この行為が「愛すべきあの頃」として描かれていることに、かなり驚いた。僕の目から見ると、家までの道を異性に追いかけられるというのは、普通に恐怖心を覚える。一対一ならまだしも、複数人で一人のマドンナを追いかけるシーンなどもあり、かつそれがヒューヒューと茶化すように、肯定的に撮られている。またどの作品も、追いかけたイケメンと追いかけられた女の子は、結局くっつくのだ。気持ちを伝える方法として健全なものとは言えないような気がする。

 ふと思いついて、台湾人の友達に聞いてみたら、「そんなこと、見たことも聞いたこともないよ」と笑っていた。彼曰く「学生の交通手段は自転車しかないから、自転車のシーンが多いだけでは?」とのこと。お言葉ですが、他の国の映画で見たことがないんだよ。台湾人にとって、自転車と青春は切っても切れない関係だと思われる。

帰り道が近いという理由にかこつけて、勝手にレースを仕掛けられるヒロイン
『藍色大門(藍色夏恋)』(2002)
学校一の秀才イケメンが、同じく秀才の女子に目をつけ(最初はライバル心だった)追いかける直前
『5月一号(若葉のころ)』(2015)
立ち小便をしているところに通りかかったクラスメイトを、急いで追いかけ始める少年
『六弄咖啡館(At Cafe 6)』(2016)

向こう側の世界が近いこと

 台湾映画に特に特徴的だったのは、日常の中に死後の世界があることだ。死後の世界とつながったり、死者と対話する場面が、他の地域に比べてかなり多かった。彼らはみな最初は少し驚くけれど、すぐに受け入れて対話(言葉のない対話を含む)を始める。これが特別なことじゃなくて、当然のこととして受け入れるところに、台湾映画の特徴を見る。死者が現れるのは(当然ながら)生前大事に思っていた人の前だけで、他の大多数の人の前には姿を見せない(もしくは見えていない)。ここら辺は、他のファンタジー系の作品にありがちだけど、それら場面が引き立つのは、映画の内容がとても日常的であるため。
 これは、様々な要因が考えられるが、一つの大きな要素として、葬式がまだ他人の手に渡っていないことが挙げられると思う。台湾に住んでいて何度も、亡くなった方が住んでいた場所(またはその前面の道路)で葬式を挙げられている場面に遭遇した。台北などの都会ではもうほとんどないと思うけれど、田舎にはまだそのような風習が残っている。それにより、死者が身近であるように感じ、映画でもそのような場面が撮られるのではないだろうか。

死んだ夫と一緒にカラオケをするラストシーン
『孤味(弱くて強い女たち)』(2020)
お婆ちゃんの葬式から抜け出すと、当のお婆ちゃんに「あんたは相変わらず現実逃避が好きねぇ〜」と叱られる
『幸福路上(幸福路のチー)』(2019)

 また、台湾映画では死者だけでなく、夢も重要である。啓示的な夢を見て、現実での問題に解決法を見出す場面にも遭遇した。非現実と現実がまだ近い場所にある魅力的な国だ。もしかしたら、他の東南アジア諸国の映画内にもこのような場面が多く見られるかもしれない。

母と娘にバラの花を受け渡す夢と、現実での事物がリンクしている
『一家之主(一家の主)』(2022)

虐げられてきた歴史

 台湾は、歴史的に見てずっと虐めらてきた国である。日本統治時代、第二次世界大戦、中国国民党の検閲など、周辺国家権力に振り回され続けてきた。蒋介石が中国共産党に敗れて以来、台湾内で政治判断をおこなっているけれど、未だに中国側は認めておらず、真の独立は果たせていない。
 当然、その様子を伝える映画も残っている。ありがたいことに、中国の映画に比べると、台湾映画内の日本人の描き方には少し温かみがある。台湾人に対して偉そうに振る舞う日本人は沢山登場するけれど、完全な悪者として描かれることはあまりなく、ユーモアを込めて演じられていることが、日本人の自分にとっての救いだ。
 『稲草人(村と爆弾)』(1987)では、日本統治時代の村を、『賽德克·巴萊(セデック・バレ)』(2011)では、日本軍による台湾原住民弾圧と霧社事件の歴史を、『返校(返校 言葉が消えた日)』(2021)では、国民党の独裁政権下の台湾を、ホラー仕立てで描く。その他にも、国家としてでなく個人として、制圧する側と制圧される側を描く映画は多かったように思う。

日本人にこき使われて、村に落ちた不発弾をおそるおそる運ぶ農夫
『稲草人(村と爆弾)』(1987) 画像元リンク
日本軍に酷いことをされるくらいならと、集団自決する女たち
『賽德克·巴萊(下):彩虹橋(セデック・バレ 第二部 虹の橋)』(2011)
 蒋介石率いる国民党の独裁政権下の台湾を、ホラー仕立てで描く
『返校(返校 言葉が消えた日)』(2021)

 史実としてだけでなく、現代台湾もまだ"虐げられている"。『我們的青春,在台灣(私たちの青春、台湾)』(2017)は、現代台湾の若者たちが真の民主化を目指す「ひまわり運動」の実情を伝えるドキュメンタリーである。立法院に立て篭ったり、学生運動を起こすのだけれど、結局は警察に制圧されてしまい、根本的に世の中を変えることは敵わない。こういう映画の中にも、歴史の影響が垣間見える(気がする)。

運動のリーダーが警察に取り押さえられる
『我們的青春,在台灣(私たちの青春、台湾)』(2017)

全体での発見(まとめにかえて)

台詞が理解できなくても「わかる」ということ

 細かい理解ができなくても、全体として理解できることを知ったのは、大きな発見だった。最初の10本程は日本語字幕を使って観ていたが、残りは全て中文字幕で見た。当然、分からない部分が沢山ある。100本見ていくうちにだいぶ上達したけれど、まだ分からない部分は多い。それなのに、面白い映画は面白いし、つまらない映画はつまらない。映画には言語情報以外にも、人物の行動(ジェスチャー)、表情、声の大きさ、また更にシナリオ、音楽、ポスターまで、情報が沢山ある。ここで身につけた、細かな情報をかき集めることで、「言葉が分からなくてもわかる」という力は、日常でもとても役に立つ(と思う)。そんなの当たり前のことだと思う人もいると思うけれど、僕にはとても驚きだった。目の見えない人が音や匂いを頼りにするように、中国語ができない人は仕草や状況を頼りにする。

普段では見ないジャンルを見ること

 中文映画は、英語ほど多くの作品があるものではないし、ある程度知名度のあるものから見ていくと、50本を超えた頃から観るものに困り始めた。そのため、自分が進んで見ないような、ドキュメンタリー、ノンフィクション、ホラー、政治といったジャンルを見ることになる。最初は半分嫌々見ていたけれど、内容に発見があったり、普段出会わない言葉に出会ったりと、後半は結構面白く見ることができた。この、中文映画しか見ないという制約を与えることで、自分だけでは行き得ない場所に行けることを知ったのも大きな発見だった。

100本から厳選したオススメ5選

 最後に、100本見た中で特に面白くておすすめしたい作品を、国などの条件なしで5作品紹介する。色々発見や気づいたことや考察みたいなものを書いたけれど、やっぱりなんといっても、沢山見ることの効用は、面白い映画に出会えることである。

・『隠入塵煙(小さき麦の花)』 /李睿珺 (リー・ルイジュン)(2022)
・『飲食男女(恋人たちの食卓)』/李安 (アン・リー)(1994)
・『恐怖分子』/楊德昌 (エドワード・ヤン)(1986)
・『一一(ヤンヤン 夏の想い出)』/楊德昌 (エドワード・ヤン)(2000)
・『大紅灯篭高高掛(紅夢)』/張芸謀(チャン・イーモウ)(1991)

(カバー画像は『一一(ヤンヤン 夏の想い出)』より)

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?