『人間のアート』と『AIのアート』
日経電子版の記事【本物そっくりAIモデル 俳句でも素人超 2020年AI先読み通信簿2 国語・美術(表現)】は、第4次産業革命のアクセラレータ、イノベーションの鍵を握るAIの実力を先読みで通信簿に付けるシリーズの第2弾です。
毎朝、何か面白い記事はないかと、日経電子版の小宇宙をあちこち渉猟している私は、最初、この記事の冒頭に登場する俳句がAIの作ったものだとは気付かず、「へぇ~、こんなモダンな心象風景を読み上げる俳人は『誰だろう』……」と率直に感心したのですが、すぐにAIの作ったものと分かり、次の瞬間ハッとしたものです……
そもそも、様々な分野におけるAIの創作、『AIの作るアート』とはいかなる存在なのか、確かに完成度の高いと思えるものもあり、少なくとも技術的な研究を進める価値は十分にある、と思いつつも、その一方で、『AIの作るアート』には漠然とした違和感を禁じ得ませんでした。
ここに、そのような、『AIの作るアート』に対する肯定的な見方と否定的な見方を整理してみると――
▶『AIの作るアート』に対する肯定と否定
(1)肯定的な見方
① AIの学習・精度の向上によって、中途半端な不自然さや不気味さ
から解放された自然な作品も出てきている。
② 少なくとも、AIに創造的なタスクをさせる、という技術的な課題を
研究する価値があり、そこから人間の行う『創造』という作業に
関する新たな知見が発見されるかも知れない。
(2)否定的、または懐疑的な見方
① 『AIの作るアート』は、アルゴリズムによって計算されたもので
あり、人間による『創造』とは違うものなのではないか?
② AIには自我・人格がなく、自我のない機械の作ったものでも
アートと言えるのだろうか?
③ 例えばAIと人間がコラボしてアートを創作した場合、その作品の
どこまでがAIによるもので、どこからが人間によるものなのか、
外からは全く分からない。
……話を元に戻しますが、このように、『AIの作るアート』については、何か決定打に欠ける漠然とした印象しか持てずにいたのですが、今日この記事に出会い、冒頭の俳句に接したことで、思わずハッと気付きを得ることが出来ました――
本来のアート、『人間のアート』には、当然のことながら、創ったのは『誰なのか』という問題、アーティストである人間が存在し、そのアートにはアーティストからの『メッセージ』という性質がある。
――『AIのアート』は、自我・人格のない機械が作ったものであり、そこには主体性のあるメッセージはないのではないか……。
『人間のアート』と『AIのアート』との決定的な違いは、アーティストの存在と不在、主体的な『メッセージ』の有無であり、アートから受ける感動の大きな部分はこの『メッセージ』にあるのではないか、と思うのです。
例えば、ラスコーの洞窟壁画を見て湧き上がる感動は、その向こうに太古の人類を感じるからであり、また、例えば、モナ・リザを描いたのがダ・ヴィンチであることには計り知れない重みがあるのですから……
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