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「冒険の書 AI時代のアンラーニング」――教育と探求の新しい地平

孫泰蔵氏の『冒険の書 AI時代のアンラーニング』は、まさに混乱を呼ぶ書でした。
一気に2回通読した上で、まだ書かれている内容にすべては納得できていなかったり、疑問も多いです。
でも、それも含めての著者からの問いかけ(挑戦状)だったのだと思います。

教育の現場に立つ先生方の間でも読書会を開いたりしているそうです。
そんな風に、いろいろな場所で議論されているということに価値があると思います。

学びの再定義

著者は教育の在り方に疑問を投げかけます。
彼は子どもと大人が一緒に学ぶ場の重要性を語ります。
また、どんどん早期化する「早い教育」に対して、興味がわいてから自発的に学ぶ「遅い学習」を提唱しています。

ルールについて

さらに、ルールの弊害について語ります。
ルールは人々の思考を停止させ、成長にとって大事な失敗をさまたげてしまいます。
つくるべきなのは、ルールではなく
「試行錯誤できて、失敗から学べる環境」だといいます。
この主張は、僕がかけっこ教室でも繰り返し投げかけているメッセージと一致するところです。

メリトクラシーの問題点


著者の視点では、学校というシステムは能力絶対主義(メリトクラシー)を背景に、テストや成績を上げることが目的化されているといいます。
これにより、優先されるべき「人間としていかに善く生きるか」、「公共の利益と何か」という問いに対する探求がおざなりにされています。
しかし、AIの発展により、メリトクラシーの束縛から解放される可能性があるため、今こそ学校本来の問いに立ち戻るべきだと提言しています。

「遊び」、「学び」、「仕事」の区別


著者は、現代社会で「遊び」、「学び」、「仕事」が三つの異なる領域として分けられてしまったことに言及しています。
「雇う側」と「雇われる側」との関係性から、「仕事」の中から「遊び」が追い出されてしまいました。
そして、学校の授業と休み時間によって、学びの間は遊んではいけない、という意識を植え付けてしまったのです。

しかし、著者はこのような分割が人間の学びや成長を阻害する可能性を示唆しています。
彼の視点からは、「遊び」も「学び」も「仕事」も全てが個々の成長と学びのプロセスの一部であり、それらを一体的に捉えることで、より自然で、自発的な学びの場を作り出すことができるという考えを示しています。

大人はなぜやりたいことを見つけられないのか?


子どもはやりたいことだらけです。
それなのに、多くの若者(大人)はやりたいことを見つけるのに苦労しています。
その根本的な問題は、我々が「やりたいこと」の定義を「お金になること」に限定してしまっていることにあります。

これは資本主義社会によってもたらされた、すべてのモノがお金と交換できるという錯覚からきています。
結果、自己の興味や好奇心、情熱が導く「やりたいこと」が、経済的な見返りがなければ価値がないと無意識に感じてしまうのです。

著者の視点では、この思考の枠組み自体が制限となり、我々の探求の自由を阻害しています。
著者は、「自分の人生は誰が何と言おうと自分で決めるべき」ということを強く主張しています。
その中には経済的な利益だけでなく、自己実現や喜び、楽しみなど、より広範で多様な価値観が含まれるべきだと主張しています。
その「生涯」そのものが、後世に残す最大の遺物だと主張しています。

僕も、孫氏の提言を踏まえて、さらなる議論と探求を深めていきたいと思います。

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