僕くたちのラジオと過ごした青春の日々~since1998~vol.5
2003年。部長2年目で、大学2年生になった私。ブログが流行り始めた。ネットは普及してきたが、まだスマホがない時代、radikoやVoicyはまだない。
ネットラジオ全盛期
それまでの学生時代は、運動部だった私には、文化部は目標がよくわからなかった。
アナウンスの技術はないので、大会やコンテストの出席はなかった。
定期放送は、週一の昼休みだけ。
他大学生の放送サークルも含めて、だいたいは学内放送か、地域のコミュニティラジオ局で放送していた。
第三の発表の場として、大学生の間でネットラジオが流行っていた。
今みたいに、簡単にYouTubeやVoicyで配信できなかった時代。
私たちのサークルもネットラジオを配信していた。
2003年、部員増員!
2年生になり、新入生勧誘をした。部員が増えた。
記憶が曖昧だか、サークル設立から2003年の春までに8人になって、
さらに後輩が11人増えた。大所帯になった。
私たちの活動に賛同する仲間が増えた。
文化祭への参加
1年目は、文化祭の参加は間に合わなかった。
2年目は、人数がいるので朝から夕方まで、2日間の放送をした。
内容は忘れてしまったが、楽しかった。
なんとも言えない達成感。
大学にもサークルの存在を知ってもらうことが出来た!
大学を代表するサークルへの成長
私たちの大学は、メディアの勉強をする学部があるので、私たちのサークル活動は大学にとっても都合が良かった。
私たちは、その事をわかっていて利用した。
オープンキャンパス放送、大学関連イベントのアナウンス、大学案内のパンフレットでの取材。
依頼があれば、何でも対応した。
サークル目当てで、大学に入学してくる学生もいた。
認められたサークルへ成長しました。
ラジオ業界の神様「伊集院光」の存在
それまでニッポン放送しか、聴いていなかったが、大学生になりTBSラジオを聴くようになった。
SPEEDから始まり、井手功二、福山雅治などを聴いていたが、
そこには、ラジオ業界の絶対的な存在である伊集院光がいた。
テレビで観る伊集院光とは違う、喋りの神様がいた。
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