博士課程最後の夏

今年は博士課程最後の夏ということで、何となく過去を振り返ってる時点で私の中では一区切りの夏なのかなぁという気がしている。ありきたりだけど、こういう感じで博士課程が終わっていくとは、始まった時は想像もしていなかった。

博士課程の一年生から三年生の間は、ずーっと停滞している感じがあって、一年生の間は授業や試験が多かったので、必要以上に頑張りすぎたため全て終わった後プチ燃え尽き症候群になり、その後一応実験をやっていたり学会に行ったりしていたので何もしてなかったわけではないのだが、特に何かを生み出している感覚もなく、何もしないまま二年経ったような感覚である。

研究はそんな感じでモチベーションも低く、一つの実験のセットアップを作ったり分析をやり終わるのに、締め切りがないことをいいことにずっと先延ばしにして、年に一回の研究発表会とかたまにある学会の前に何かやって、それ以外ずっとぼーっとするというような生活だったような気がする。

しかし思い返すと研究以外は色々やってたような気がする。例えばこのブログも定期的に更新していた。過去の気持ちはその時に書き残さないと消えてしまうので、一人で欝々と悩んだり考えた事を書き溜めていたのは将来の自分への贈り物だと思う(ということでnoteの記事を自分の手元に移行したいのだが、pythonのテキストマイニングの学習ついでにいつかやろうとどこかに書いていまだに何もやっていない事を思い出した)。いくつか今ざっと読んで好きな記事を置いておく。

あとヨーロッパにいることを利用して、たくさん旅行した。この前数えたら、これまでに行った国は既に二十ヵ国以上になっていることに気づく。色んな文化に触れることは自分にとっては人生の中で必要なことだし、将来どんな形で活きてくるかわからないから、行ってみたいなぁと思っただけでなう、実際にチケットを予約して各国に足を運んだことは褒めたい。

Japan, South Korea, Thailand, Vietnam, Taiwan, Australia, New Caledonia, Turkey, UK, Netherlands, Finland, Estonia, Czechia, Slovakia, Slovenia, Croatia, Montenegro, Bosnia and Herzegovina, Hungary, Austria, Germany, Spain, Italy

特に一番活発にやったことがやはり色んな人に会うということだったと思う。これは思い返せば色んな人に会ったということではなくて(例えば学会など)、私からわざわざ連絡をして会いに行った人がたくさんいるということである。その会いに行った人たちは私がいつも使っているfediverseというSNSの友人なのだが、2018年頃に始めた初期は日本人のコミュニティーの中にいたので、日本に帰るたびに二十人ぐらいに会い(今思い返すとすごいバイタリティーである)、コロナになってからは英語力がついたこともあって、すっかりヨーロッパコミュニティーに移動して、近場のオーストリアやドイツで色んな人に会った。高校や大学の学部のように「クラス」みたいなものがある学校生活から一度離れてしまうと、なかなか仕事とは関係ない人と会うことも少ないと思うのだが、fediverseのおかげでそういう友達とたくさん出会えたのはとても嬉しかった。

その中で今の恋人にも会い、一年ぐらい続いている。大学生に初めてできた彼氏と別れて以降、恋愛に関して「どうせ付き合っても別れるんだろうな」という悲観的な考えがおそらく防衛反応のようにいつも頭にちらついて、たまに彼氏ができても両親はおろか友達にもあまりいうこともなく(どうせ別れるから)、実際相手に対しても依存することなく、結果依存しないので特別な関係とも思わず別れるということばかりだったのだが、今の恋人は遠距離にも関わらず、一年一緒にいられたのは嬉しい。

また、私がまだブダペストにいる時、別のラボにインターンで来たスロベニアの女性がたまたま私のオフィスに配属されて、何だか不思議なダイナミックスですっかり仲良くなり、三年以上たった今も二週間に一回ぐらいお話しするぐらいの親友となった。昨日もウィーンに遊びに来ていて、彼女の息子と一緒にお寿司を食べに行った。

正直三十を過ぎたあたりから、恋人とか親友とか、そういう特別な個人関係というのは私の人生にはないと思っていた。人に嫌われたくないし人を嫌いにもなりたくないので、結局誰も嫌いにならないためには、誰も好きならないのが一番楽なのである。しかしやっぱり好きになることもあるんだなぁ、しかもそれでうまくいく人もいるんだなぁと改めて自分の人生どうなるかわからない。まぁ、今後どうなるのかはわからないのもまた人生なのだが(とりあえず今の関係に感謝)。

四年生になってからは、お金の終わりを意識し始めて博士課程の終わりを現実的に考え始め、先生ももう十分じゃないという感じだったし、何より自分自身があと何年いても本質的なところは変わらないという自信があったので、この辺りで終わることにした。終わりが見え始めると、昔のようなぼーっとした頭のモヤは少なくなり、ただやる事をこなすだけになってくる(とはいえ、それまで全然手を動かしていないので、いきなりできるようになるわけでないのだが)。

博士課程のうち、学業という部分だけ見てしまうと、私の博士課程なんて本当にちっぽけなもので、発表した学会でもよくわからんみたいな顔をされることはあるし、これに五年以上の価値があるのかと言われるの辛いので聞かれたくないのだが、博士課程は人生の一部であって、その間に学んでいることはたくさんあるということに振り返って気づくというか意味づけることにした。

今年の夏は、やることは学業に置いて過去一番忙しく(締め切りがあるから)、そしてコロナの規制がゆるまっていることもあって来客も多く非常に忙しい。さて来年はどんな夏だろうか(仕事していますように…)。