たった1人の人を死ぬまで愛し続けるとは、どういうことか?
「あたしね、社内に彼氏がいるの」
蒸し暑い8月の夜、混み合う肉バルの店内で、保育園と小学校に通う息子が2人いる彼女は、バドワイザーを飲みながらさらっとそう言った。
悪びれることもなく、まるで当たり前の出来事であるかのように、それが彼女の日常であることを告げるかのように、彼女の声色は落ち着いていた。
ぼくは女性から「不倫をしている」と告白されたことが何度かあるのですが、思っていたよりも女性も不倫をするんだと驚いたことを覚えています。
不倫や浮気をしている男性も何人か知っていますが、彼らは自慢話のようにそんな話をします。「聞いてくれ」と言わんばかりに、浮気をしていることを匂わせながら会話を進めてきます。
そういった人たちの話を聞いていると、一度結婚をしたら一人の人間を愛し続けることが唯一の道ではないような気もしてきてしまうんですよね。
でも、それは「どっちの生き方を選ぶか」という信条の話なのかなとも思うのです。
そして、「どっちの生き方」がどうのだなんて頭にのぼることもなく、「たった一人の人を愛し続けることに疑問を抱かない人」も、ぼくは何人も知っています。
そして、そういった生き方しかできないがために、誰にも言えない苦しみを感じていることも知っています。
さらに、そういった生き方を選び、前を向くことで、言葉にできないような喜びを得られることも、ぼくは知っています。
浮気は生物として自然なことなのか?
心理学や人類学では使い古されたお決まりのフレーズ。
これは、進化心理学や人類学といった学術書から、ナンパ攻略テクニックといった軽い本にまで出てくるフレーズです。
きっと、一度は耳にしたことがあるんじゃないかなと思います。
これって、男同士にとっては浮気の免罪符のようなものなんですよね。
浮気をした既婚男性の話をする時には、心のどこかで(しかたないよな、男だから)なんて思ってます。
「許さない!刑務所送りだ!」なんて憤慨する男はほとんどいませんよね。なぜなら、男にとって浮気をすることは「生物として自然」なことだと言われているし、いつ自分が「そっち側」に行ってしまうか分からないし、なんなら「あわよくば、そっち側に一度行ってみたい」と思っている男も多いです。
ぼくが呉服屋で働いていた時の同期で、何人もの女性客と関係を持って、いわゆる枕営業をしている男性販売員がいました。
1週間、毎日違う女性と関係を持つこともあって、嘘か本当か分かりませんが、「体から女性の匂いがする」と言って、前日の相手との証拠を消すために大変だったそうです。
過去の歴史を振り返ると、国や社会がそのような風土を作り上げてきた面もあるんです。
明治時代では妾(愛人)の存在がおおやけに認められていて、妻が男の子を出産しない場合は、妾との間に作った息子を妻の許可なしに養子に迎え入れることが、民法で認められていました。
妻の許可なしに不倫相手の子どもを養子にできるって、今から考えるとすごいというか、とんでもないことですよね。
ちなみに、あらゆる生物は相手を変えて繁殖活動をします。鳥類の90%は育児のために一夫一婦のつがい関係になりますが、ひなが巣立つとその夫婦の50%はつがい関係を解消し、別な相手と子作りを始めます。
唯一、プレーリーハタネズミというネズミだけが、生涯をたった一人の相手と添い遂げるそうです。
人を含むすべての生物にとって、たった一人の相手を愛し続けるのが「不自然」だと言われる根拠はいくらでも出てくるのですが、「たった一人の人を愛し続けることの素晴らしさや豊さ」についての話って、ほとんど聞きませんよね。
ぼくも若い頃は、たくさんの女性と関係を持つことばかり考えていましたが、子どもが生まれた後に妻との関係が悪くなり、関係を修復していく中で、「どれだけ妻との間に深い関係を作れるか」という思考に、自然とシフトしてきました。
でも、そういう話って、なかなか表に出てこないですよね。これってなぜなんだろうなと考えていたんですが、たぶん「妻との関係が良くない」ことを男性は誰にも言えないからじゃないかなと思うんです。
男性って、自分の気持ちを素直に人に話すのが苦手ですし、「自分が負けている」ということをなかなか受け入れられないところがありますから。
もっとはっきり言うと、「妻とセックスができないこと」を男は恥ずかしいと思っているからじゃないかなとも思うんです。
さらに言うなら、「たくさんの女性とセックスができないことを恥ずかしいこと」と考えているんじゃないのかなとも思うんです。
経験人数が多かったり、そういった種類の体験をサラッとできる男たちを、ぼくらはついつい上に見てしまいがちなんですよね。
でも、ぼくは「たった一人の女性を幸せにできないこと」の方が、よっぽど恥ずかしいことだと思うんです。
男にとって、たった一人の妻と愛し合い続けることは、浮気よりも難しい
たった一人の妻と愛し合い続けることは、浮気をするよりよっぽど難しいんです。
妻との関係が悪くなり、関係性を改善しようと一度でも努力をしたことがある人なら分かると思いますが、「男として見られていない状態」から「精神的にも肉体的にも求められるようになる状態」への変化は並大抵のことではありません。
なぜなら、その変化のためには、ぼくらは自分自身の弱さと向き合わなければならないからです。
そして、それは自分の中に眠る「男性性」との戦いでもあるのです。
ぼくら男性は、性的に拒絶された相手にまた会いたいとは思いません。
道を歩いていて、男性からナンパされた女性がその誘いを断ると、その男性がその女性を口汚く罵ると言う話を聞いたことがあるかと思います。
その男性の心理は、多くの男性にとって、ある意味分からなくもないことなんです。
「自分を拒絶されたことへの反感」
「自分を全否定された不能感を払拭するために湧き出る怒りの感情」
こういった感情に心が支配され、「劣っている自分」を水面下から引き上げるためにその女性を下に見ることで溜飲を下げ、落ち込んだ気持ちを引き上げるために怒りという感情を利用する。
ナンパ男が自分を振った女性を口汚く罵ることは、女性の尊厳を大きく傷つけることですので、あってはならないことだ思います。(もっと単直に言うとかっこ悪い)
ですが、その時のナンパ男の心理がどういったものだったかは、簡単に想像がつきますし、おそらくほとんどの男性が認めたくはないけれど、その男が感じていることを感覚的に分かるはずです。
そして、妻から性的に拒絶された男性の心の中にも、これに近しい感情が芽生えるのです。
妻を思い通りにできない。自分が妻よりも下位に置かれている。
そんな状況に我慢ができなくなり、多くの男性は妻をないがしろにし始めます。
そんな自分の心の中に存在するドス黒い「男性性」と向き合うことは、自分自身の弱さに向き合うことにもつながります。
その弱さを克服できた人間だけが、妻との愛し愛される関係を再び手に入れられるのだと、ぼくは思うのです。
おのれの中の男性性に打ち勝ち、自らの弱さを受け入れ、自らを変革し、妻を愛し、そして妻から愛されるようになる。
これって、浮気を繰り返す男なんかより、何百倍もかっこいいと思いませんか?
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この記事は、林伸次さんのこちらの記事に触発されて書きました。恋愛に悩む男女の解決の糸口になるような記事をたくさん書かれていておすすめです。
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