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”柔らかな部分”で夫婦がつながるための三つのアイデア

子どものことは大好きだけど、家事育児が大変でつい可愛くないと思ってしまうときがある。

励まして欲しくて夫に気持ちを打ち明けると、正論で返されてしまう。

「可愛くないって、子供がかわいそうだよ」

「母親は子どもに無償の愛を注がないと」

分かってもらえない孤独感だけが強まり、夫に気持ちを打ち明けたことを後悔する。

そんな経験はないでしょうか?

なぜ、夫は正論で返すのか?いったいどうすればいいのか?

これらについて、考えてみたいと思います。

ぼくら男性って、言葉をそのままの意味で受け取ってしまいがちです。

「励まして欲しい」

妻からそう言われたら、(よし!じゃあ、頑張れと言えばいいのか)と短絡的に捉えてしまい、冒頭のようなセリフを言ってしまうような気が確かにします。

ぼくも言ったことがあるかもしれません。

だけど、ここで妻が欲しいのは「フレー!フレー!がんばれ!」という応援じゃなくて、気持ちへの寄り添いなんですよね。

「そうなんだね。それは辛いね。君はもう十分がんばってると思うよ」

とか

「そんな悩みを抱くなんて、君は素晴らしい母親だと思うよ。君のようなお母さんに育てられて、この子は幸せだよ。無理しなくていいんだからね」

といったものなんだと思います。

ぼくも妻が言って欲しい言葉を言わなくて「そうじゃなくて、ただこう言って欲しいの」と、言って欲しい言葉を教えてもらい、その通りに言ったことが何度もあります。

妻の中では(こう言って欲しいな。こう言ってくれるよね)という期待があり、その期待値を超えない時に妻に落胆が生まれるようなんですね。

ただ、その「期待に対する認識のずれ」が夫婦は起こりやすいなと感じてます。

事細かく説明しなくても分かってくれるんじゃないかという期待が生まれがちです。

これはぼくもですし、夫婦関係の相談を人から受けていても感じます。

「何を望んでいるのか」を事前にすり合わせをしておくと、同じことは起こりにくくなると思います。

ただ、「いや、そこは分かって欲しい。察して欲しい」という意見もあると思うんですね。

でも、やっぱり人はみな考え方が違い、男女となると余計異なるので、「何を望んでいるのか」を伝えることは大切だと思うんです。

自分の気持ちを伝えないまま歳を重ねると、認知症になりやすくなる可能性があるそうです。無理をしすぎると自身の心身の悪化を招くので要注意です。

もし、夫に「それは大変だね。それは辛いよねと言って欲しいの。ただそう言ってくれるだけでいいの。それだけで私は頑張れるから」と伝えても正論で返されるなら、丁寧な心理描写が必要かもしれません。

妻の「辛い」という感情を夫が受け取れない。妻の孤独感を感じ取ってくれていない。

もしそうなら、その孤独感を丁寧に伝える必要があるかもしれません。例えばこんな風に。

「あなたとつながり合えていない感じがする。

あなたが遠くへ行ってしまったような気になる。

私のそばにいて欲しいのに。

私の心にはいつでもあなたがいて欲しいのに。

心が凍りつくような寂しさを感じている。

胸が締め付けられて、目の前が真っ暗になる」

夫とのコミュニケーションで生まれた心のさざなみを丁寧に拾い上げ、しっかりと見つめ、どういった変化が心に生まれたのか、丁寧に描写するんです。

ぼくもそうですが、多くの男性は会話のトピックに対して「賛成」か「反対」かで考えがちです。

そのため、単なるおしゃべりがすぐに議論にすり替わったり、自分の正しさを証明するための演説になりがちです。

ぼくが男性とのおしゃべりが苦手なのはこのせいだと思います。

多くの男性に抜け落ちている視点は、第三の選択です。

それが「情緒の共有」です。

こう思ったんだよね。こう感じたんだよね。

何かを決める議論では拒絶される表現ですが、こういった言葉が相手の心を理解し、心と心をつなげるのだと思うんです。

感情をただ感じる。賛成も反対もなく、ただ体感してもらう。

その苦しみを、悲しさを、孤独を、そして喜びを。まるで自分のことであるかのように体感すること。

それが情緒の共有であり、世間で言われる共感の正体だとぼくは思っています。

その選択の存在に男性は気づく必要があるのですが、女性から気づきを与えることが一番効果的だと思います。

そのために必要なのが、丁寧な心理描写です。

相手に分からせようとするのではなく、自分自身に伝えるように、自分の心を丁寧に拾い上げ、それをしげしげと見つめ、言葉を使ってただ描写していく。

優れた映画って多くの人の心を動かしますよね。

喜び、辛さ、孤独。

映画を見ているとそんな気持ちになることがありますよね。押し付けがましい描写をされているわけじゃないのに、なぜか感情移入してしまう。

あれって、クリエイターが自分の心を丁寧に描写しているからです。心の変化をカット割や音楽の選択や挿入タイミングによって表現しているんです。

夫に対しても、自分が感じた孤独感をそのまま素直に、自分の心を描写するかのように伝えることで、感情を体感してもらうことができるんです。

夫婦の会話の場合、映画のようにこだわった演出はできませんが、それでも「心の丁寧な描写」だけでも十分に伝わります。

少なくとも、ぼくはそうでした。

「気持ちを分かってもらえていない感覚がする。とても寂しい。あなたが遠くへ行ってしまったような気持ちになる。そばにいて欲しいのに」

妻からそう言われたことで、ぼくは妻の感情を体感することができました。

三つ目は期待値を下げることです。

分かってもらえたらラッキーくらいの気持ちで自分の心を描写すれば、相手とのコミュニケーションに疲れないで済みますから。

分かって欲しいという気持ちが強すぎると、そうでなかった時の落胆が大きくて、もうやりたくないと思ってしまいますよね。

自分の柔らかな気持ちをさらけ出すことって勇気が要りますから。

そう簡単に人の価値観は変わらないし、人の気持ちを理解することもすぐにはできるようにならないと思うんです。

相手に対する甘えがあったり、育った家庭環境が夫婦で大きく違う場合は特に。

だけど、「何を望んでいるかをすり合わせ」し、「自分に言い聞かせるような丁寧な心理描写」をし、「相手に対する期待値を下げる」ことで、ちょっとずつ変わっていくかもしれないなって思っています。

少しでも参考になれば幸いです。

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