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男性がガマンできない”曖昧さ”の先に、夫婦の絆があるのかもしれない。

「わからないと言ってはいけないんです」

NPO法人パパノミクス代表の小森剛さんはそう言った。

出産や育児を控えて不安な気持ちを抱えている妻の気持ちを、ぼくら男性は100%理解することはできないですよね。

でも、妻は不安な気持ちをわかって欲しいと思っています。

(出産しないあなたは呑気な顔をしているけど、わたしの不安な気持ちをわかってる?)

そう思っているわけです。

だけど、子どもを産むことができないぼくら男性は、お腹に赤ちゃんを宿すことによって生まれる様々な感情を理解することはできないですよね。

だから、「わかりたくてもわからない」という答えを出してしまいがちです。ぼくもそうです。

ですが、そうなると妻は”わたしの気持ちを理解してもらえない”という孤独感を感じ、夫婦の溝が広がってしまうんです。

ぼくもそういう経験があるし、他の男性や女性からもそういった声を本当によく耳にします。

いったい、どうすればいいんでしょうか?

小森剛さんはこう言います。

「女性はわかって欲しいと言いますが、本当はわかって欲しいのではなく、”分かろうとして欲しい”と思っているんです」

「わからない」と言って切り捨てるのではなく、わからないながらも理解しようとするその姿勢を見せて欲しいと。

ぼくも以前、妻から同じようなことを言われました。

「わかろうとして欲しいの」と。

では、なぜぼくら男性は「わかろうとすること」ができないのでしょう?

ぼくは、そこには男性特有の”曖昧さに対する許容度の狭さ”が関係しているんじゃないかなと思うんです。

どこまでいっても、身体的な違いがある妻と同じ気持ちにはなれないことがわかっているのに、理解しようとする姿勢を見せるという”曖昧さ”が、ぼくら男性には受け入れられないんじゃないかと思うんです。

仕事では「できること」「できないこと」がはっきりしていて、いくらやっても物理的にできないことには労力を使わず、「できること」から着手をしますよね。

例えば、ある商品を日本の20代の男性に売ろうとするときに、そのターゲットの人口を増やすことはできないですよね。

売上の天井は決まっているわけです。

ですが、販路を海外に向ければ売上の天井を上げることはできます。

この場合、「日本に住む20代男性の人口を増やすこと」は「できないこと」で、「商品の販路を海外に向けること」は「できること」です。

ぼくらは仕事のなかで、目標を達成させるために、常にできることとできないことを秤にかけて、できることの中から打ち手を選んでいきます。

そういった仕事を何十年も続けていると、人とのコミュニケーションにおいても、「できること」と「できないこと」を切り分けてしまいがちだと思うんです。

「誰かと同じ気持ちになること」は「できないこと」なのだから、「できること」の中から行動をしようとします。

例えば、夫婦関係ならば、妻と同じ気持ちになることはできないから、その苦痛を取り去るために「こうしたらどう?ああしたらどう?」とアドバイスを送ります。

これは、ぼくら男性にとっては妻を思っての行動なんです。自分が「できること」の中から考えた最適な打ち手を打っているわけです。

ですが、女性が求めているものは、男性の「できること」と「できないこと」の狭間にあるんです。

「同じ気持ちになって欲しいのではなく、このわたしの気持ちをわかろうとして欲しい」

論理的に考えると、「理解できないとわかっているものをわかろうとする行為」は無意味に思えるし、「理解できないとわかっているのに、わかろうとするフリ」は不誠実に思えるし、時間の無駄にも思えてきます。

なんというか、とっても気持ち悪い状態なんですよね。

どっちつかずで、答えが見えなくて、不安な気持ちにさえなってきます。

なんで、こんなことが起こるかというと、仕事と家庭では異なる言語を使っているからだと思うのです。

以前、ポッドキャスト(アツの夫婦関係学ラジオ)で、「リポートトークとラポートトーク」についてお話をしました。

ぼくらは仕事では、情報が正しく相手に伝わるように、感情を混ぜずに「何が、なぜ起こり、どうするのか」という論理的な話し方をしていますよね。

これがリポートトークであり、職場で使われているトーク技法です。

ラポートトークは家庭で(夫婦間や親子間で)使われている言葉で、自分の感情や心の動きを感情豊かに伝え、相手に共感させるためのトーク技法です。

気持ちをただ話すのではなくて、相手がその言葉を受けて、共感するような言葉を組み立てることがポイントです。

リポートトークはハッキリカッチリしていますが、ラポートトークはどこかファジーな雰囲気をまとっています。

レポートトークに慣れている人は、ラポートトークを受けたときにどうしたらいいか戸惑ってしまうはずです。

レポートトークは”答え”を求められるけど、ラポートトークで求められるのは”共感”だからです。

ぼくは新卒で働いた呉服屋でラポートトークを徹底的に叩き込められ、その後、転職先の商社でラポートトークを使っていたらクビになりました。

一般消費者のお客さまとのコミュニケーションで求められるものはラポートトークですが、企業対企業のビジネスで求められるのはリポートトークだったのです。

ラポートトークからリポートトークへの移行も大変でしたが、リポートトークからラポートトークへの移行も大変でした。

妻との会話で揉めるときは、だいたいぼくがラポートトークを忘れてしまっているときです。

リポートトークの方が簡単なんですよね。答えがすぐに見つかりますので。

夫婦間で使われるラポートトークには答えがないんですよ。そこにあるのは目に見えない”感情”という曖昧なものなんです。

たぶん、使っている脳の部位が違うと思うんです。

だから、リポートトークに慣れた人にはラポートトークが難しく、人の気持ちをわかろうとする行動もまた、難しいんです。

だけど、「仕事と家庭では異なる言語が使われている」ということを知っていれば、その曖昧さに対する許容度が上がり、徐々に受け入れられるようになるんじゃないかと思うんです。

ふたりの間に漂う”曖昧さ”を、その”曖昧さ”のなかに含まれる優しさを、ふたりが抱きしめられる日が来るんじゃないかと、ぼくは思うんです。

そのときに初めて、「わかろうとして欲しい」という言葉の意味を理解できるようになるんだと思います。

妻の言う「わかろうとして欲しい」という言葉の意味を体と心で理解し、お互いへの気づかいを習慣化することで、ふたりの信頼関係の土台が作られるんだと思うんです。

ラポートトークや感情など、目に見えないものが漂うなかをさまようことは、霧のなかで迷子になることに似ています。

どっちに行けばいいのか、正しい道がどこなのかまったくわからない。

不安に怯え、自分が慣れ親しんだ方法(リポートトーク)で、この窮地を切り抜けたいと願ってしまう。

だけど、妻と自分が使っている言語が異なることを理解し、必死に新しい言語を身につければ、いつの日か、霧の中にいる妻の姿をはっきりと捉えられる日が来るはずです。

そして、霧の中をふたりで進んでいったその先に、多くの人が求めてやまない”夫婦の絆”があるのだと、ぼくは思うんです。



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