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体育会には入らなかった、4年間で卒業しなかった大学生活のこと|#あの選択をしたから

 私が大学に入学したのは2013年なので、ちょうど10年前のことです。社会人になってからは5年半経っていて、今年の春に大学生だった期間よりも社会人でいる期間の方が長くなりました。
 私が大学生だった期間は5年間でした。その延ばした1年の話をこの先で書くことになりますが、あの選択をしたから今の自分がある、と思える決断を思い浮かべようとしたとき、真っ先に浮かんだのは、社会人になってからではなく、その大学生時代の過ごし方のことでした。
 大きな決断を2回していて、あのときの自分はよく決めたなあと思います。

 私にとって大きな決断だった選択の1つ目は、大学の体育会に部があったものの、高校生活の中心だったハンドボールを続けないことにしたこと。
 2つ目は、3年次修了後に1年間休学をしてアイルランドでの語学留学、東京のゲストハウスの住み込みスタッフを経験したことです(ヘッダー画像はアイルランドから帰国する際の空港で撮った写真です)。

 休学はもちろん大きな決断でしたが、さらに遡って入学当初に体育会に入るか入らないかという選択を迫られたことが、休学に至った要因の1つでもありました。
 まずはなぜ体育会に入るかどうかの選択を「迫られた」のか、その前段から話していこうと思います。

1.体育会には入らない、という選択

(0)高校時代、そして大学入学前の春休み

 大学時代から少し遡って、高校時代の私の生活は部活一色と言っても過言ではありませんでした。
 3年生になる春休み明けには日焼けしたねと言われ、引退後の夏休みには白くなったねと言われたのをよく覚えています。

 最近の母校は立派な強豪校ですが、ちょうど自分たちの代は名監督と言われるような先生が赴任してきて2年目で、強豪校になる過渡期の頃でした。
 先輩たちが叶えられなかった関東大会出場を自分たちの代では達成。
 しんどいことも当たり前にたくさんありましたが、初心者だったのでできることが増えていくのは楽しかったですし、チームの雰囲気も大好きで、本当に充実した日々を過ごしていました。

 ただ、高校時代の部活においては痛烈な悔いが残ることなります。関東大会出場決定の瞬間をコートの中で迎えられなかったことでした。
 3年生に上がったとき、強豪中学出身で入部してくれた1年生と交代するシーンが増えていき、関東大会出場が決まった試合でも序盤以降はその後輩が出ていたのです。私は1年生の頃から目指していたチームの悲願達成の瞬間を、ベンチで迎えたのです。

 もちろん決まった瞬間は嬉しくて号泣しましたが、その日のうちに片付けか何かを終えて同期の3年生と監督で歩いているとき、顧問の監督に「今日は試合の流れで出せなかったけど、関東頑張ろうな」と言われ、「はい!」と答えた声がやたら大きくなってしまったことは今でも覚えています。

 さて、そんな悔いを片隅に残したまま受験勉強に臨み、大学も2つ受かったので迷いましたが、色々なことが広くできそうな方を選び、春休み。

 祖父母宅に向かう私のスマホ(受験が終わったらスマホにする、で買ってもらったばっかり)に、1本の電話が。
 それは大学の体育会ハンド部の監督からの電話でした。既に入部を決めている入学予定者が1人しかいない状態で(!)、春休みのうちに練習に来てみないかというお誘いです。

 「色々なことが広くできそう」の中に、体育会に入るという選択肢も、一応数えてはいました。入学までに考えるつもりでしたが、そんな暇もなく、春休みのうちから入部するかどうかを考えることに。
 選択を「迫られた」という言い方をしたのは、考えなければいけないきっかけがこうして向こう側からやってきたからでした。
(ちなみに高校の部活顧問には、連絡先を誰かに教えるときは言ってくださいよ、と文句を言いました。)

(1)春休みから練習に参加して、でも入らなかった理由

 体育会の練習に混ざり、嫌でもかき立てられる、高校での悔いを大学で晴らせたら、という気持ち。

 でも同時に、大学リーグのレベルで高校の悔いを晴らすには、どれだけ努力の時間を割けばいいのだろう、とも思いました。

 高校は主にグランドでの練習でしたし、朝や居残りで自主練をすることができましたが、大学は基本的に体育館なので、使える時間は決まっています。
 基本的な体育館を使用しての練習が夕方2時間で、授業と重なる可能性もありましたし、そうすると好きな授業を選べない可能性がある。
 履修の自由度が高い(専攻外の授業も取れる)というのも大学選びの決め手の1つで、つまり好きな勉強をやりたい、というのも大学生活に向けて楽しみにしていたことでした。
 それから大学では短期留学もしたいなあという考えも既に持っていましたが、留学に行けば長期休みの練習をがっつり不在にすることになります。

 高校生の時までの私は、何かやる・やらないで迷ったらやる方を選ぶ、という方針で何かを選択していました。
 でも大学からはやる・やらないの2択ではなく、Aをやる・Bをやる、の2択で選ばなければいけないことが増えて、それを初めて強く感じた選択だったことを覚えています。

 結果としては、「ハンドボールを続けるために大学を選んだわけではないから」という理由で、私は体育会に入ることはしませんでした

 でも本当に、結構未練たらたらで、当時漫画「ハイキュー!!」が始まりだした頃(5巻くらい)だったのでハイキューを読んでは「本気でスポーツを頑張る」をもう1度やりたいと思わされたり(「黒子のバスケ」もそう)、高校生活があまりにも部活を軸にしていたので大学生活は何を軸にしたらいいんだろうと不安になったりと、時折ものすごい衝動にかられることがありました。

(2)体育会に入らなかった大学生活その後

 ものすごい衝動にかられることがなくなったのは、2年次の夏に短期留学に行ってからだと思います。
 体育会に入ったらできない、と考えていたことの1つを達成できましたし、短期留学を経てもう1度ちゃんと留学したいという想いが生まれて未来志向になったのも大きいと思います。

 ほかにも、部に入っていたら練習とかぶっていた講義を受けて大学の勉強って楽しいと思えたり、音楽系のサークルに入って居場所ができたり色んな友人が増えたり、あとはセクシャルマイノリティのサークルに入ったのも人生において大事な時間になりましたし、何よりこのあと2つ目で取り上げる休学という選択は体育会に入ったらしていなかったでしょう。

 体育会に入ってハンドボールを頑張る学生生活を送っていたら、それはそれでこっちを選んでよかったという結論に至っただろうと思います。
 でも、ハンドボールは続けない、という選択は、続けていたらできなかったことをちゃんとやりたい、というエネルギーになって、そのエネルギーがなければ私の学生生活はあれほど多様な経験を得られるものにならなかっただろうとも思います。

今後の人生を含めても片手に入るであろう未練が残る決断でしたが、その後に向けたエネルギーを生んだ決断としても片手に入るものだったかもしれません。

2.休学して卒業を遅らせる、という選択

 2年後期以降はサークル活動を軸とした生活を送っていましたが、3年次修了後、4年生になる前に1年間の休学期間を挟みました。

(1)3年生が終わったあと、すぐ4年生になりたくなかった理由

 理由は2つあって、まず「4年生になりたくなかった」という言い方で分かるかもしれませんが、つまり就活と卒論を遅らせたかったからというのが1つ目です。
 もう少し良い言い方をすれば、何をテーマに卒論に取り組むか、自分がどんなキャリアに進みたいか考えるための期間がもっと欲しかったから、とも言えます。

 特に卒論の方はその時点では本当にふんわりとした方針しか持てていませんでした。
 環境を変えて自分を見つめ直すことで自分が何について考えたい(書きたい)のか、もう少し具体的なアイディアを持てるようになりたかったのでした。

 2つ目は、既に触れたのですが、2年次夏に経験した短期留学以降、もっと長い期間で留学をしたいという想いがずっとあったからです。
 短期留学は4週間でしたが、英語で考えて英語で話す(※)感覚がもう少しで掴めそう、というところまで来ていましたし、4週間は本当にあっという間だったので……。
(※日本語で考える→英語に訳す→訳した結果を話す、ではなく)

 ただ、当時は経団連の就活ルールが変動していて選考開始時期が読めなかったので、まる1年間の留学は不安がありました。
 結局は12月開始になった場合でもその頃に国内にいられるように、という考えで半年弱の海外留学+国内ゲストハウスでのスタッフ、という計画に。
 箇条書きでまとめると以下のようなスケジュールでした。

・2015年8月(3年次)
  夏季インターンなどには参加する

・2015年12月(3年次)
  サークルの引退

・2015年冬~2016年4月(3年次~休学期間突入)
  少しだけ就活(企業説明会などに参加)、
  アルバイト、留学準備

・2016年5月~2016年10月(休学中)
  アイルランドで語学学校に通う

・2016年11月~2017年2月(休学中)
  東京のゲストハウスで住み込みスタッフ
  (年明けあたりから就活開始)

・2017年4月
  4年生として復学

(2)休学中とその後の大学生活

 突然ですが、私には割と人に負けない自信があることがあります。「住んだことのある居住形態の数」です。
 どういうことかと言うと、①実家暮らし、②ひとり暮らし、③ホームステイ、④シェアハウス(ルームシェア)、⑤ゲストハウスに住み込み、の経験があるのですが、こんな色んな住み方したことある人はきっと少なかろうという、説明すると文字通りのことなのですが。
 とにかく休学期間は住む場所がしょっちゅう変わっていました。

 留学中、前半2ヶ月はホームステイをしていましたが、後半3ヶ月は10人のシェアフラットに暮らしていました。
 テナントが入ってる建物の2階に4人部屋+2人部屋×3の10人です。私が住んでたのは2段ベッド+ワードローブ1人1つの3畳くらいの2人部屋。

 生活リズムが合わないのでそこまで煩雑な暮らしではなかったですが、彼女連れ込む奴がいて壁越しに「夜空の星が数えきれないのと同じくらい愛してる」みたいなのが聞こえてウワ~と思ったのは覚えてますね。週末しか友人連れてきちゃいけないルールだったんだけど……。
 あと他の人がお皿洗い後回しにするのは注意するのに(※自分でやるルール)平日に友人連れてくる人がいて「私の住む場所じゃん」って言われて「私たちの住む場所でしょ」って言い返したのも覚えてますね。
 それから、住み始めるときにはデポジットがあったんですが、自分の直前に住んでいた人に払って、いなくなるときに自分の次に住む人から受け取る、という仕組みでした。次の住人は自分で探す必要があって、すごくめんどくさかった……。

 もちろん楽しいこともありましたし、ゲストハウス住み込み勤務の経験も合わせて、日常会話以上(ちょっとした口論)ができるくらいの英語力と、環境の変化に強いという自信を手に入れました。

 それから休学中に経験できてよかったと思った別のこととして、色々な大人に出会えた、というのがあります。

 留学先では、一度働いてから仕事をやめて転職の前に語学留学しに来ている人や、次はワーキングホリデーでオーストラリアに行く予定の人だとか、30代前後以上の大人がたくさんいることを実感できました。

 ゲストハウスの住み込みスタッフの中には、旅しながら写真を撮るなどして暮らしているという人もいましたし、そもそもゲストハウスなので当たり前に旅している人が集まるわけで、大学の中だけでは絶対に出会えなかった人たちに出会って、自分の大人像の解像度が上がったり、種類が増えたりしたのはありがたかったです。

 当時は就活も憂鬱だったし社会人になるのも憂鬱だったんですけど、社会人を経験した上で一旦そこから離れている大人に出会えたことは私にとって新鮮で大切な経験でした。
 住み込みスタッフ仲間のお姉さんに、一度働いたことがある人とそうじゃない人は違うなって思うよ、と言われて納得して前向きになれたことも覚えていて、ふとしたやり取りでしたが本当に大事な会話だったと思います。

 そして卒論と就活の前に自分を見つめ直す期間を設ける、という目的に関しても、達成されたと思います。
 正直、何かしら自分に変化が起きることを期待していたのですが、実際はそこまでの変化は感じなかったなというのが当時も感じていたことです。
 休学期間を経て成長したとは思っていて、それを変化だと捉えることもできますが、それは一旦置いておいて……。
 考え方や価値観がひっくり返ることはなかった、という意味で、私は休学の経験によって自分が変化したとはあまり感じませんでした。

 むしろ感じたのは、違う環境でも自分は自分なのだと、自分の輪郭がはっきりした感覚です。
 やっぱり読むことが好き、考えることや学ぶことが好きだなあとか、根は内向的だけど行動力はあるよなあとか、人と話すのも好きだけど一人の時間も大事だなあとか、あるいはこういう人は苦手かもとか。
 自分の中にあるものを再確認できる期間だった、というのを、まあ就活の面接でも話したりしたんですけど。

3.あの選択があって、今

 こうして振り返ると、あの大きな決断2つによってもたらされたものが今の自分に繋がっているなあと強く思います。

 例えば友人関係は、まあ選ばなかった方の道に進んでもきっと色んな人に出会い、出会えてよかったと思っただろうけども、選んだ道の途中で出会った友人たちに出会えてよかったなと強く思うので……。

 それから社会人になる前に色んな大人に出会ってたのも本当によかった。転職を1度していて、今も実は考え中だったりするんですが、道を途中で変えること自体も、新しい環境に入ることに対してもあまり抵抗がなくて、環境を変えた経験があるこそかなと思います。
 まあこれは性格の問題なので、休学しなかった私でも転職にも抵抗がなさそうかもしれない。笑

 でもそれで言うと、留学の経験によって選択肢を絞って考えられる部分があって、確実に今現在に効いていることです。

 というのも、社会人経験が5〜6年経った頃なので、オーストラリアにワーキングホリデーに行っている友人や、働くことから一旦離れて専門分野の勉強期間をとった友人など、会社勤めから離れた知り合いが何人かいます。
 そして自分もそっちに行きたいと思うことが、すごくあります。
 でも語学留学しておいたおかげで(あるいは休学期間で出会った人たちのおかげで)、例えばワーキングホリデーは自分には向いていないだろうと根拠を持って考えられますし、自分にとっての専門分野は語学だと思うけど語学の勉強は留学しなくても自分で進められる部分があると考えられます。
 学生時代のうちにずっとやりたいと思っていた比較的長期の留学だったので、やり残したまま社会人になっていたら、多分このあたりのタイミングで海外に飛んでいた自分を容易に想像できます……。

休学して既に留学などを経験しているおかげで割と堅実な考え方ができる部分が確実にあって、新しい環境に抵抗がないという柔軟で身軽な部分と対照的ですが、こんなところは現在進行形で過去の経験に助けられています。

 あとは語学はずっと好きで緩く続けているんですが、自分が頑張ればどの語学レベルまで到達できるか、というのを知っているのはキャリアを考える上で助かることの1つですね。

 細かいことを挙げていけば他にもありそうですが(あ、素早いシーツ交換の仕方とかボックスシーツのきれいな畳み方をゲストハウス勤務で知るなど…)、でも学生時代から繋がっている、今の自分に関していいなと特に思うことはこのあたりです。

 今続いている友人関係が大切だし、環境を変えることに抵抗のない自分が気に入ってるし、選ばない道を根拠を持って選ばないでいられるし、自分の好きなことの最大レベルが大体わかっていて、よかった。

 やっぱり、学生時代の過ごし方に大きく関わる選択をああやって決断した自分はよくやったなあと思います。

 お題「#あの選択をしたから」に機会をいただいて、学生時代の私にとっては大きかった決断について書いてきました。
 基本的に今の自分が気に入っているので、そういう自分に繋がってよかった、と前向きな内容になりました。書く前に思っていたよりたくさん肯定をしたかもしれません。

 これからも自分には色々な選択が待っていると思いますが、何を選んでも(選ばなくても)それでよかったと思える未来が来るんだろうなと思えて、書いてよかったです。

 体育会に未練たらたらだった大学1~2年の私には、これから充実していくことは確かだからそれまでは好きなだけ苦しみなさいって言いたいし、サークル同期の卒業式に出て寂しいなと思った私には、社会人になっても仲良しは続くし、これから出会う卒論ゼミの仲間が楽しい人たちで一緒に卒業式出られるから安心しなよと言いたいです。

 長い文章でしたが、ここまで読んでくださったあなたに感謝です!
 それでは。

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