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映画「劇場」の配信への移行から考える映画の意味とは・・・

こんにちわ

本日、あるニュースが飛び込みました。

全国公開する予定であった映画『劇場』が「映画館」公開と「Amazonプライム・ビデオ」での同時配信の決定です。
そして、さらに、メイン劇場(全国公開の映画館の中で1番の頭になる劇場)が、「新宿ピカデリー」から「ユーロスペース」というミニシアターに変更になったということです。

これは結構大きな衝撃で、音楽のライブ会場で説明すると、「東京ドーム(55,000人キャパ)」で開催予定だったアーティストライブが、急遽、「赤坂BLITZ(1,400人キャパ)+有料オンライン配信」、に変更になったくらいの衝撃です。

今まで、海外含めコロナの影響で配信ストレートになった作品もいくつかありますので、それを踏まえて今回の事象から考えられる世の中の移り変わりを考えてみたいと思います。

はじめに

今回は以下のような流れで考えていきたいと思います。

まず最初に映画「劇場」含む最近の劇場公開から配信に変わった実例の紹介をします。次に、なぜ、Netflix (ネットフリックス)やAmazonプライム・ビデオがそれらを実現しようとするのか、コストパフォーマンス含めた検討をします。

さらに、今回のことで考えられる日本の映画製作委員会における起こりうる事象や調整内容など、そして、最後に映画とはそもそもなんだっけということについて考えていきたいと思います。

1 最近の実例 

まずこのような事例で最初に日本で驚かさせたのは、アニメ映画「泣きたい私は猫をかぶる」です。東宝映画事業部配給という形で全国公開していた作品でした。しかし、Netflixに変更になりました。

本作の制作スタジオは、日本アカデミー賞優秀アニメーション作品賞を受賞した「ペンギン・ハイウェイ」を制作したスタジオコロリドです。前作も東宝映像事業部が配給して、5.4億円の興行収入(劇場のチケット売上)を記録した作品です。普通に興行しても同様の興行収入を達成できるのではと思われていただけに、驚きでした。

次に、今回のニュースでご紹介した、映画「劇場」です。「劇場」は、行定勲監督の作品で、山﨑賢人(映画キングダムの主人公役)主演の作品です。行定監督といえば、『世界の中心で、愛をさけぶ』、『ナラタージュ』などのヒット作を多く生み出した監督です。

そのような組み合わせもあり、多くの人が劇場で公開するだろうと思っていました。なお、今回の決定前の公開劇場は283館〜(ムビチケ発売劇場)と全国公開映画と言える規模でした。それが20館になりました。

さらにハリウッドでも起こっております。

ドリームワークス・アニメーション製作の『トロールズ ミュージック★パワー』です。当初、4月10日から全米公開予定でしたが、突如、ユニバーサルは4月10日からの劇場公開と同時にオンデマンド配信をすると発表しました。ちなみに配信開始3週間で、約1億ドル(約110億円)の売上があったそうです。(オンデマンドは、劇場と比べると間のコストが少ないので、手数料を除いた金額が丸々製作会社の収益になるので成功事例と言えそうです)

さらにワーナー・ブラザースは、アニメ『弱虫スクービーの大冒険』を劇場公開せずに5月15日にアメリカとカナダでデジタル配信を行いました。

ただし、アメリカの2作品は、NetflixのようなSVOD(定額見放題)ではなくTVOD(レンタル)やEST(購入)といった方法が取られたようです。

また、近隣韓国では、ベルリン国際映画祭にも出品された『狩りの時間』がNetflixでの配信に変わり裁判沙汰になるまでとなった。

このように、業界(特に映画館)内からの批判は多いながらも、コロナによる危機により、いくつかの事例となる作品の配信が進んでいきました。

まずは、このような事例を押し進めた配信側の狙いを考えてみたいと思います。

2 配信プラットフォーム側の狙い

まず日本市場における配信プラットフォームにおけるユーザーの推移をご覧ください。

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Amazonプライム・ビデオは堅調な伸び(2年間で500万人増)がみられますが、Netflixは緩やかに上昇(2年間で150万人増)しているという感じでしょうか。

そして、それぞれコンテンツ拡大戦略を続けております。

Netflixは、洋画作品だけではなく、アニメやオリジナルドラマ、恋愛リアリティーが強い印象を受けますです。特にアニメでは制作プロダクションや監督・演出家たちとの作品契約を最近結んだりしています。

一方、Amazonプライム・ビデオは、作品数は話題作を集めているものの、オリジナルコンテンツの数はNetflixにはかなわないです。特に製作費だけの比較を見ても、Netflixは15billion💲(2020年は17billion💲)かけるのに対して、Amazonは、6.5billion💲と3分の1になっております。

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そこでAmazonが目をつけたのが、邦画コンテンツです。

上記にような形で、毎月話題になった邦画コンテンツをリリースしていきます。老若男女幅広くターゲットにおいて、それぞれに楽しめる作品を提供しているように思います。

つまり両社のポジショニング戦略としてのコンテンツ獲得傾向は、

  Netflixは、洋画/アニメ/独自コンテンツ
  Amazon プライム・ビデオは、邦画/ファミリー

を狙っていると言えそうです。

もちろん両社ともに、理想としては、独自のオリジナルコンテンツ供給を押し進めていますが、なにぶん制作するのに時間がかかることがネックになっています。さらに、人気のある監督やキャストは劇場公開作品を優先したり、それで抑えられていることもあり、なかなかブッキングできないという状況も続いております。ちなみに、アニメの制作に関して言えば、もっと状況が悪く完成までに2-3年以上かかります。

そのため、直近ですぐにオリジナルコンテンツ作品の供給はできないという状況だったのです。

最近では、様々な配信プラットフォームの出現により、いかに再生数の稼げるコンテンツを独占的に抑えることができるかということにより重点が置かれているので、供給できないというのは、常に重要な課題だったと思われます。

では、どれくらい供給が必要なのかを考えてみます。理想は月4本くらいだと思います。

以下の、総務省の統計などによると、日本人は(観る習慣のある人/ない人含め)映画館以外で平均20日以上映画をみています。

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(引用:https://www.meti.go.jp/statistics/toppage/report/minikaisetsu/hitokoto_kako/20190320hitokoto.html)

さらに、下記のデータを観ると、映画を映画館やらホームシアターとしてしてみている人は、大体45-50%なので、(観ていない人を引くと)映画をよく観る人は平均で、年間50本、つまり週1本くらいは観る習慣があるのではないかと思います。(ここはざっくりなのでご容赦ください)

上記のように、配信プラットフォームとしては、週1本=月4本は主力となる映画コンテンツをユーザーに提供しないと、ユーザー離れが起こってしまう可能性があるとも言えます。

そうした中、すでに完成された未公開作品ということは、非常に魅力的で高いお金を出してでも獲得したいのです。オリジナル作品を1本作るのと同様の価値があると考えます。

ちなみに、Netflixに関しては少し補足させてください。

Netflixが2019年9月度に出した会員数の数字です。


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以下の2点がわかります。

・アメリカ(カナダ)の市場は頭打ち状態になってきており成長が鈍化
・ヨーロッパ、南アメリカ、アジア圏域は成長は著しい

そのため、Netflixは、視聴ユーザーにただの海外作品が観れるアプリサービスとしてではなく、「ハリウッド潮流の作品だけでなく、各国のローカライズ作品が観れるサービス」であると認識させる必要があります。

だからこそ、より一層ローカライズ作品の制作を押し進めているのだと思います。近年の「全裸監督」や「愛の不時着」などもそうですね。

余談ですが、ジブリ作品は、日本では見れませんが、その他の海外では観れます。

海外の人にとって、日本のコンテンツをみるには、Netflixをみれば大丈夫というように思われているのかもしれません。

では、そうした配信プラットフォームの思惑に対して、制作側はどのように考えるのでしょうか。

3 映画製作委員会における判断とそのメリット

 劇場興行はギャンブルでありリスクも多いが、配信だと確実に勝ちにいくことができ、次の作品にチャレンジできるというのが答えな気がします。

これは企画会社であるツインエンジンの山本幸治プロデューサーの言葉ですが、下記のようなことが語られております。

ビジネスの観点でも、映画公開を前提に作ってきたわけですから、劇場でやりたいという思いは強かった。でも作り手の人たちは、作品を世に出さないと次にいけないと考えました。自分たちとしてはこの作品は完成させたわけですから。
Netflixともいい条件で契約を結ぶことができたので、製作委員会の同意も得られました。ただそんなに早く決断するのかと驚かれましたけどね。

製作委員会の問題の1つに、キャッシュフローの問題があります。制作員会は、出資が早い反面、収入のタイミングが非常に遅いです。

例えば、劇場公開では、劇場収入を映画配給会社が取りまとめ、製作委員会に報告し、収支配分を計算し、契約書の規定タイミング(大体3ヶ月ごとが多い)に各社へ振り込みという形で、公開してから最低3−4ヶ月かかります。そして、さらに、その後配信という形で実施した場合、劇場から最低でも1年程度は期間を開けないといけません。

一方、配信を先行して行った場合、まとまった金額を最初にMG(ミニマム・ギャランティー)として支払うケースも多く、キャッシュフローが良いです。ただ、この契約の仕組みやお金の流れはあまり詳しくありません。

特に中小規模の会社が製作委員会で入る場合は、出資した割にお金がなかなか戻ってこないというケースがあります。

さらにもう1つの問題はリクープするかわからないという点です。多くの映画製作委員会では、当初予定していた興行収入に達せず、出資した分のお金が戻ってこないということになります。

今回の件ではおそらく、上記2つ納得する良い条件が提示されたと考えます。それはつまり、「通常の劇場興行収入で期待していた収益」+「その後の配信で稼げるであろう収益の金額分」を最初に支払うような形で提示されたのだと思います。

全て憶測ではありますが、「泣きたい私は猫をかぶる」の場合は、前作といえる「ペンギン・ハイウェイ」(興行収入5.4億円)よりも高い目標が設定されていたと思います。

知っている方には釈迦に説法で恐縮ですが、補足で興行収入の考え方だけ紹介しておきます。

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映画館のチケットは上記のような感じで分配されます。例えば、1000円のチケットを買うと、劇場に500円、配給会社に100円、製作委員会に400円です。のでざっくり40%が収益になります。

今回の交渉をベースとした数字として、「興行収入ベースで入る収益」なのか、「製作費(映像制作費+宣伝費)原価」で考えるのかどちらかはわかりません。

仮に、今回興行収入10億円を目指している作品だとすると、委員会収入を4億としたらそれプラス配信で色をつけて5億くらいでしょうか・・・。もっとかもしれません。

つまり映画館での劇場公開はとても魅力的ですが、お金だけ考えると配信は堅いのです。今回の映画「劇場」も同様のことが考えられます。

この規模で公開される映画が興行収入目標10億円というのはあり得ないので、上記のアニメよりももっと良い条件だったと思います。

生々しくてすみません。。

次にお金以外の面での、劇場公開と配信の違いってなんだろうということについて考えたいと思います。

4 劇場公開の意味とは

僕自身、結論としては、配信も劇場公開も使い分けて良いのではないかと考えます。だって、両方とも良いメリットがあるから。

今まで牛丼しかなかった中に、親子丼のメニューが追加されたら、両方食べたくなりますよね。。そんな感じですw

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いくつか最初にインタビューを紹介します。

これは、昨年、アカデミー賞にもノミネートされたNetflix作品「アイリッシュマン」のマーティン・スコセッシ監督は過去のインタビューで下記のように話しています。

正直に言えば、クリエイティブ面での自由と引き替えに、作品がストリーミング向けになっても構わないと考えたわけだ。実際には、最高の経験をさせてもらった。映画作りにおいて、これほど自由にやらせてもらったことはないよ。本当に信じられない経験だった。
だからこそ自分たちをコントロールするように心がけた。伝えたい物語に集中し、必要以上に派手なこと、装飾的なことをやらないように意識したつもりだ。
同時に、ストリーミング向けだからこそ、新たな挑戦をしてみようと思った。通常の映画であれば2時間や2時間半に収めなくてはいけないが、この作品にそんな義務は存在しない。だから、ある場面を3分間引き延ばしてみたり、作品として最高の形を模索して完成したのが、この『アイリッシュマン』なんだ。

実は劇場公開作品は、映画の尺の問題や、描写の問題など見えない縛りがありました。しかしながら、配信作品の場合は、そのような制限がなく自由にできるのです。

さらに今回の映画「劇場」でも行定監督は下記のようにコメントを出されています。

「本作は公開直前に緊急事態宣言が出され延期を余儀なくされました。その後、延期を決めたものの思い通りの再公開の状況が作れないという問題に直面していたところに、Amazonから声をかけて頂きました。しかも公開と配信を同時にという私の希望を叶える形で。これはコロナ禍において私の作った映画がより観客に届くことを最優先させた結果です」

また、韓国の「狩りの時間」に関する記事では、映画の海外売買スタッフは、制作国だけでなく一人でも多くの「世界の人にもこの映画を伝えること」がゴールであると語っている記事がありました。

つまり、映画とは、多くの人に観ていただいて初めて価値を生み出されるものであるので、そうした多くの人に観てもらうことによる機会を提供できる配信プラットフォームはその機会のもっとも適しているのです。

例えば、Netflixの会員数は、全世界で1億8,300万人です。

Netflixオリジナルになれば、通常の他作品よりもさらに押し出した形で、この約2億人もの人たちに対して、(ネットならではの自由なクリエイティブで)作品認知や視聴を促すことができます。

一方で、Amazon Primeの会員数は、1.5億人です。

特に日本では、900万人を超える利用者がいるので、かなりのリーチができます。仮に映画「劇場」が、その利用者全員に観られるとしたら、興行収入換算で言うと(1200円×900万人=)約110億円の記録を叩き出すことになります。

昨年の映画興行で見ると邦画1位が「天気の子」が140.6億円、2位が「名探偵コナン」が93.7億円なので、その間に入ることになります。

つまり、作品そのものの認知度アップ、作品視聴者の最大化と言う点では、とても理にかなった方法だと思います。もし、そこで良い評価を得れると、次の劇場公開作品は現在よりもさらに株が上がる可能性があると考えます。

もちろん配信に関しては、いろいろなご意見もあるかと思います。

ただし配信は劇場に近い形なのかと思っております。それは、誰がその作品のお金を払っているかという点からです。

通常、テレビ作品は、スポンサーがありきで成り立っていますが、配信サービスのスポンサーはユーザーです。NetflixもAmazonプライム・ビデオもユーザーが毎月お金を払って映画を楽しんでいます。そうした意味では、劇場にくる鑑賞者と同じ考え方なのかなと思います。
※Gyaoのような広告型の配信サービスを除きます

つまり、それぞれのメリットが存在するので、「劇場公開という形」や、「配信公開という形」などの幅広い選択肢を持って映画を作っていけば良いのではないかと思いました。こうした劇場以外での映画ビジネスができるようになるというのはとても喜ばしいことだと思いました。

そのおかげで、監督やクリエイターは、劇場公開でできなかった新たなクリエイティブにチャレンジできるようになり、さらに良い作品が生まれるきっかけになれば良いのかなと思います。

最後にどうして、、映画といったときに抵抗感を感じてしまうのかについて考えてみました。

5 さいごに/映画とは何か?

この文章をまとめながら、実は結構大事だなと感じたことがあります。それは、「映画」という言葉の定義が大きく変わってきていて、人によって捉え方が変わってきているなと思いました。

そもそも映画という言葉自体が生まれたのは19世紀末ごろにリュミエール兄弟が「シネマトグラフ・リュミエール」という、現在のカメラや映写機と基本的な機構がほぼ同じ複合機(カメラ+映写機+プリンター)を開発し、1895年3月にパリで開催された科学振興会で公開されたことが始まりだと言われています。

つまり、映画というものは、映写機を使ってスクリーンに上映する映像であるというような理解でした(だって最初は、駅のプラットホームに蒸気機関車がやってくる情景をワンショットで撮したもの(『ラ・シオタ駅への列車の到着』)や、自分が経営する工場から仕事を終えた従業員達が出てくる姿を映したもの(『工場の出口』)などが上映されていたわけですから)。

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そして、短い動画作品の時代が続き、現代の映画(90-180分程度の尺)の元となりそうな作品ができたのが、「國民の創生」(1915年、D・W・グリフィス監督)です(おそらく・・)。今まで10-40分程度までしかなかったものが、一気に165分という長編に進化したのです。

そして長編映画が生まれることにより、映画が芸術であるという認識が高まり、映画祭と呼ばれるものも始まりました。

1929年〜 アメリカ、アカデミー賞
1932年〜 イタリア、ヴェネツィア国際映画祭
1946年〜 フランス、カンヌ国際映画祭
1951年〜 ドイツ、ベルリン国際映画祭

「映画館のスクリーンに上映された作品」という映画の定義から始まったので、対象は映画館で上映されたものとなっております。

大事なのは、この時代テレビもほぼ普及していなく、ビデオ、ましてやインターネットなどは存在しなかったです。ちなみにアメリカでテレビが普及したのが1950年代、日本もそれ以降だと思います。

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テレビが普及してくると、選択肢が生まれます。

映画館で上映せず、最初からテレビでやろうということで、テレビ=スクリーンというような定義にし、「テレビ映画」というジャンルが生まれました。

当然、前述のように、映写機でスクリーンに写されているものを映画と定義している人たちにとっては、これは映画とはみなされませんでした。

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(引用:https://courses.lumenlearning.com/suny-massmedia/chapter/8-2-the-history-of-movies/)

これは、アメリカで毎週どれくらいの人が劇場に通ってたかを表すグラフです。上記のグラフを見ると、1960年ぐらいまでは、全人口の30%近くは毎週映画館に行っていました。映画の価値は大きかったのだと思います。

テレビが出現した頃から大きく下がっていっています。おそらく、テレビによって、映画館にいくという行為が日常的なものから、非日常的なものに変えたのだと思います。

さらに、1970年代からビデオが普及してくると今度は、ビデオテープ=スクリーンというような定義にし、「ビデオ映画」というジャンルが生まれました。

そして、2000年代以降伸びてきたのが「配信オリジナル映画」です。当初は、配信もテレビやビデオの一種だろうと甘く見ていた業界関係者たちでしたが、10年-20年と技術が進化し、4K配信などの高画質で映画を観れるようになるにつれて、映画館有名監督や、キャストたちが参加し、映画館で上映してもおかしくないクオリティで作品を作り出したのです。

そうすると、ギャップが生まれるのです。

「映画館で上映されているものが映画であるのに、映画館で上映されていないものが映画と同じくらいのクオリティで楽しめてしまう」

そうして我々の中では、一種の定義のゆらぎがおきました。それは、「映画というものは、映画館で上映されるものではなくて、映画館でかけてもおかしくないレベルでかつ、映画的な手法で制作された作品」ではないかということです。

つまり、今までは映画というものが「(映画館でかけるという)商品的な価値」から、「(映画館でかけてもおかしくない映画と同じ方法で作られた)手法的な価値」に移り変わっているのではないかと思いました。

そうすると、映画祭で上映していた映画作品という定義が異なってしまいます。だって、配信映画でも、映画館でかけても良いクオリティの作品が制作されているのですから。

そのため、どこかで言葉を再定義しないと、2つの意味を並行して使う状態になり、ボタンのかけ違いが起こり続けるのかなと思いました。

そうした意味で、今後は、後者の価値を大事にし、映画的な手法で取られた作品は映画ということに扱い、出すメディアはその映画の特性にあった形で良いのかなと思いました。もちろん映画館という場が、映画そのものを作品効果を最大化させる場所であるのは変わりはないと思います(本来はそれを目的に作っているわけですから)。

もちろん、インターネットで視聴することを前提に作った場合、ヨリ(顔のアップ)のシーンを多くしていたりと多少の演出の違いはあるので、厳密には同じと言えないですが、クオリティとしては同じだと思います。そのため、ヨシとしても良いのではないかなと思いました。

ということで、今こそ映画ってなんだろうということを固定概念ではなく、柔軟な価値観で捉えると、もっと面白いことができるのではと思いました。映画を作っているという魂は忘れず、素晴らしい作品がいろいろなところで見れたら良いなと思いました。

要は、劇場であろうが配信であろうが映画を作っているという精神は変わらないのだから楽しく観たいなということです!!

今回題材として書かせていただきましたが、本作は「パラサイト 半地下の家族」でアカデミー作品賞を受賞したポン・ジュノ監督も今作を絶賛していることなので、作品はとても楽しみです。

本日の内容ももし楽しんでいただけたら、「いいね」を押していただけると嬉しいです!

では、さようなら

※Top画像は、勝手にogp画像を使ってます。。すみません。



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