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「自尊感情」という言葉の謎を探して研究における運命のいたずらを感じた話

今回は,いつから「自尊感情」という言葉が使われているのか,あれこれと検索してみようと思いました。データベースは,CiNiiおよびJ-STAGEです。

研究者どうしで話をしていると,たまに話題になるのです。「自尊感情という言葉は,いつから使われているのでしょうね」と。そういうときはたいてい「最近のことですよね」という話になったりします。でも調べてみると,意外と昔から使われているようなのです。

それは,自尊心と自尊感情のどっちの言葉を使う?ということが話題になることがあるからです。

そして最後には,ちょっと巡り合わせのいたずらかも……という話にも触れてみようと思います。


ドイツの学会報告

J-STAGEで検索すると,1925年の日本心理学雑誌に掲載されている,小野島右左雄による『ミュンヘンに於ける第九回實驗心理學會に就て』という報告がヒットしてきます。

当時の学会の題目が並んだ記事なのですが,その中にドイツ語の“selbstwertgefühl”を,「自尊感情」と訳した文字が出てきます。英語のself-esteemですよね。

この記事は全体としてとても興味深く,当時の学会の様子がうかがえます。そして,知っている心理学者の名前も出てきます。記事を読むと,この学会で「人格学」を提唱しているのがシュテルンだということもわかります。シュテルンは,知能検査で精神年齢を実年齢で割るという方法を提案した研究者でもあります(その数値に100をかけるようにしたのはアメリカのターマンです)。

適応性診断テスト

次に自尊感情という言葉が出てくるのは,心理検査の中です。1950年代によく使われていた様子がうかがえる,適応性診断テストという心理検査のなかに出てきます。そしてそれらの文献には「野間教育研究所」という言葉が出てきます。ここで作成された心理検査のようです。

国立国会図書館の検索結果では,1949年に適応性診断テストの書籍(検査マニュアルでしょうか)がヒットしてきます。著者は,長島貞夫・山崎 正です。

この検査の下位側面の中に「自尊感情」があります。

適応性診断テストは全体として適応の程度を測定するとされており,大きく個人適応と社会適応の2側面の適応に分けることもできます。

そして,個人適応の中には異常傾向,神経質傾向,自尊感情,退避的傾向,自己統制の5つ,社会適応の中には社会的技術,統率性,家庭関係,学校関係,近隣関係の5つが含まれています。

ここで使われているのが「自尊感情」という言葉なのです。しかし,どういう内容を自尊感情としているのかについては,手に入る文献だけではよくわかりません。そのうち,この適応性診断テストの古書を手に入れて中身を見てみようと思っています。

実はよく使われていた?

次に1970年代の論文を検索すると,いくつかの論文で「自尊感情」という言葉が使われているのを目にすることができます。ただしそれらは,自尊感情そのものを測定したり研究したりするのではなく,先行研究を説明する中で使われるというパターンのようです。

たとえば1976年刊行の『多動児の行動変容に関する研究(1)』という論文です。

この中に,次のような一節があります。

また,Cantwell, D. P. は,この4主症状以外に,攻撃性,反社会的行動,認知と学習障害,そして抑圧や低い自尊感情のような情緒的徴候を示す場合もあることを指摘している。(p. 1)

また,1978年刊行の『学級における教師のリーダーシップ行動の自己評定と児童評定の関連に関する研究』という論文のなかにもあります。

それは,このような一節です。

第2の理由は,教師自らが自尊感情のため,否定的情報に耳を傾けたがらないためである。(p. 37)

これらの論文の中の書かれかたを見ると,意外と何気なく,プライドやポジティブな自己か何か,そういうものを説明するときに自尊感情という言い回しを使っていたのかもしれない,と思えてきます。

自尊の感情

1974年の実験社会心理学研究に掲載されている論文『社会的比較過程についての基礎的研究I』では,少し違った表現を見つけることができました。

この論文の中では,自尊心でも自尊感情でもなく,「自尊の感情」という言葉が使われています。間に「の」が入っています。「自尊の感情」というのは,ちょっと今では見かけない表現かもしれません。

どうもこの「自尊の感情」という言い回しは,社会的比較過程を研究する社会心理学の文脈でしばらく使われていたようです。

しかもこの表現は,単に自己評価の言い換えとして使われていたものではありません。それは同じく1981年の実験社会心理学研究の論文『能力評価の社会的比較に関する実験的研究』を見てみるとわかります。

この論文には,次のような一節があります。

ところで,個人は比較状況において自己評価を求めようとするだけでなく,自己を高めようとする傾向のあることも知られており,比較を行うことが自尊の感情に関 わる場合には,この自己を高めようとする傾向が働きやすいとされている。すなわち,自尊の感情を高めるような情報には積極的に接触を求め,逆にこれを脅かすような情報を回避するなどの自己防衛的,消極的な情報接触を行うことが考えられる。

この論文では,自己評価という言葉と自尊の感情という言葉を使い分けていることがわかります。そして,テストを受けた実験参加者に嘘のフィードバックを与えて,「自尊の感情」を操作しようとしています。テストを受けて,「よくできましたよ」とか「全然ダメですね」といった結果の伝達をすることです。嘘を伝えるわけですが,それによって相手の気持ちをコントロールし,その影響を検討する実験をしているということです。

今の研究で言えば,自我脅威状況つまり自分自身の存在を脅かされるとか,自分を否定されるといった,自我に脅威が与えられるといったニュアンスでしょうか……。それを「自尊の感情」を操作すると表現していたようです。その点で,自己評価よりも重く,深刻で,深く,重大な問題をこの言葉で表現しようとしているニュアンスが感じられます。

Rosenbergの尺度

さて,自尊感情尺度としてよく知られている日本語に翻訳されたRosenbergのself-esteem scaleについてです。

いちばんよく使われているのはこの論文に掲載されている尺度です。卒論での引用も含めれば,いったいどれだけの論文にこの論文が引用されてきたのか,途方もない数字になりそうです。

ところで自尊感情尺度を使ったことがある研究者・大学院生・卒論などに取り組む学部生のうち,この論文をちゃんと読んだことがある人って,どれくらいいるのでしょうか。

というのもまず,この論文の中にはどこにも「自尊感情尺度」という言葉は出てきません。この論文のなかで使われている言葉は,「自己評価の尺度」「自己評価尺度」「Self Esteem Scale」といったものです。

加えて,この論文の中には,10項目の尺度項目の内容が掲載されていません。さらに言えば,何件法で測定されたのかも書かれてもいません。脚注に平均値が掲載されているのですが「回答を加算して自己評価得点を算出した」として書かれている平均値がどうも納得がいかないものだったりして……ということに,メタ分析をしようとしてあらためて論文を読んだときに気づきました。

自尊感情尺度の言葉は

はたして,どこに自尊感情尺度という言葉があるのでしょうか……?

答えはこの本です。

先ほどの論文の尺度が,この尺度集に掲載されているというわけです。

忘れられた?尺度

さらにもうひとつ。

実は先ほどの論文と同じ年の1982年にもう1本,Rosenbergの尺度が日本語に翻訳されているのです。たぶん,研究者のあいだでも,あまり知られていないのではないでしょうか。

でもたぶんこの後,ほとんど誰もこの論文に掲載された尺度を使っていないと思うのです。同じ年に刊行されて,それぞれが尺度を翻訳しているのに,どうして片方ばかりが引用されるようになっているのでしょうか。

それはこの論文です。

この論文の方法部分には,次のように書かれています。

セルフ・エスティーム尺度(SE: Self-Esteem, Rosenberg, 1979). 自己概念の高さや自己満足の程度を測定する10項で構成され, 内的信頼性は.71であった.

論文の受稿日を見ると,先ほどの論文が1981.11.9でこちらの論文は1981.3.14なのでこちらのほうが投稿時期は早いのです。そしてともに同じ年,1982年に出版されています。そしてどちらの論文にも,Self-esteem Scaleの項目内容が記載されていません。論文だけを読んでも,次の研究者が尺度を使うことはできないのです。

これらふたつの尺度の運命を分けたのは,明らかに心理測定尺度集ではないかと思うのです。

この両論文の引用のされ方のちがいは,ものすごいものがあります。そして,掲載されている自尊感情尺度のほうの論文の著者は,この本の編者でもあります……そういうことを考えると,運命といいますか戦略といいますか,いろいろな研究の流れのなかではこういうこともあるのかもしれないな,と考えさせられてしまいます。

自分の研究をどう売り込んでいくのか,どこでどう見せるのか,そういう流れによっても,その後の運命が左右される様子がわかります。

世の中を見渡せば,意外とそういうものなのかもしれません。ベストセラーの本とか,テレビ番組とか,ネットの記事もそういうことが起こりがちです。

そして,論文もまた同じだということです。人間の活動ですから,そこには共通点があるということなのでしょう。

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