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アジ・ダハーカの箱 第4話:死都編 【起】

「ちょっと、旦那ァ、恵んでくだせぇ。どうかお恵みを。あなたのために祈りますから」

「邪魔だ。どけ」

人でごった返す雑踏の中、俺は擦り寄ってくる物乞いの胸を勢い良く突き飛ばした。奴はそのままゴミ捨て場に吹っ飛び、頭に生ゴミを被りながら俺に対して何かわめき散らしている。俺は無視して歩き続ける。

「ねえ!ねえ!あんた!奴隷を買わないかい?若くて良いのが揃ってるよ!」

「間に合ってる。失せろ」

中指を立てて奴隷商人の女を追い払う。丸々と太った女の手には枝分かれした鎖が握られ、そこには憔悴しきった半裸の男たちが繋がれていた。クソみたいな世界にふさわしいクソみたいな商売だ。地獄に堕ちろ。クズが。

ここは砂漠のキャラバン。

もともとはそれなりに森が広がってた田舎町だったが、滅び去って荒れ果てた大地と化した。だからこそキャラバンが来たんだ。キャラバンってのは、こんな世界でもたくましく生きる行商人たちが一時的に作った集落。終末世界とは思えないほどの人ごみで、そこらじゅうにテントが張られて露店がひしめき合い、我先に物資を得ようと集まった民衆たちと、それを迎える商人たちが熾烈なビジネスに勤しんでいる。彼らは定期的に色々な場所で集まって市場を形成し、取引したり情報交換したり、原始的な物々交換をしてこの世界を生き抜いてるってわけだ。まあ何でもある。食い物や飲み水、銃やナイフなんかの武器もあるし、麻薬だってある。さっきみたいに人間の奴隷も売ってる。そうだ。尻を拭く紙以下の価値しかないカネも使えるんだぜ。アメリカドルやメキシコペソとかな。倫理や道徳すら無視して何でもあるんだ。もう誰かが何かを規制したりできるような世界じゃあないからな。声高に人権を叫ぶ奴なんかもいない。皆、生き延びたり、あるいはひとときの快楽を得るのに必死なのさ。警察?みんな辞めちまったか、死んだぜ。仮に、正義感を振りかざして……例えば、大声で文句を言おうものなら、半日もせずそいつはあそこの肉屋の商品の棚に並んでることだろう。ここはそういう場所だ。そういう世界なんだ。時代が狂ってる。だからこそ、俺みたいに指名手配されてたほどの犯罪者でも、くそポリに撃たれたりムショにブチ込まれたりせず自由にやってる。なぜこんな世界になっちまったかって、2003年に突如としてドラゴンどもが現れて、世界を滅ぼしたからだ。

もう一度言う。ドラゴンだ。ドラゴンがこの世界を滅ぼして、人類が築き上げた文明が崩壊した。ドラゴン。ファンタジーだとかビデオゲームに出てくる火を吹いたり飛んだりするデカいトカゲども。だが、現実に現れた本物のドラゴンたちは、あんな生易しいものなんかじゃなかった。俺は、まあ、いろいろあって、世界崩壊前に指名手配されてて、今まさにくそポリどもに身柄を拘束されようとしたとき、空を埋め尽くした蚊属性モスキートドラゴンに襲われたんだ。警官の連中が銃で撃っても全然効かなくて、みんな、みんな、頭を潰され、骨をへし折られ、体液を吸い尽くされて死んだ。男も、女も、老人も、子どもも、金持ちも、貧乏人も、白人も、黒人も、黄色人も、メキシコ人やロシア人も、善人も、悪人も、みんな、みんな、その日から人間はドラゴンのエサになった。世界中にさまざまなドラゴンが同時に大量に現れて人間を襲ったんだ。ああ、悪夢そのものだぜ。奴らの目的は統一されてて、それは人類を滅ぼすこと。俺はそんな竜どもから必死で逃げて、生き延びて、そうこうしてるうちに何度かドラゴンを始末することができて、今ではドラゴン狩りの仕事が舞い込むほどになった。

奴ら……人類の天敵であるドラゴンにはそれぞれ属性があって、その弱点を突いて殺す。属性ってのは、属性だ。それ以上でも以下でもない。性質というか。現実のドラゴンへの攻撃方法は、ビデオゲームみたいに"火属性は水属性に弱い"なんて単純なものじゃなく、連中の習性や能力、名前や姿から推測して見極める。しかし、実際にはかなり厳しい。一匹のドラゴンの弱点を知るために何十人も死ぬなんてザラだしな。俺も何度か死にかけたし、弱点がわかっててもドラゴン特有の強烈な存在感に曝されると、足がすくんでビビってしまう。蚊属性モスキートドラゴンだとか、犬属性ドラゴンドッグ、烏属性ドラゴンレイヴンなどなど、そういう名前がわかるのは、説明しがたいことだが、奴らを前にするとテレパシーのように伝わってくるんだ。奴らが何なのか頭に流れ込んでくる。おそらくは、人間の遺伝子に刷り込まれた竜に対する防衛本能なんだろう。ともあれ、ドラゴンハンターなんて言われてる俺でも知ってることなんかこの程度だ。どこまで行っても人間はドラゴンどものエサでしかなく、このキャラバンみたいに集まっては解散してを繰り返しながらコソコソ生きるしかない。まったく、まいるよな。それでまた今から仕事の依頼を受けに行くんだ。もちろん、ドラゴン案件。嫌になるぜ。

俺は中東めいた露店だらけの埃っぽい市場を進み、広場の中心部に張られた大型のロッジ型テントを見つける。その入り口には、お揃いのサングラス、お揃いのスキンヘッドの屈強な男二人がそれぞれマシンガンを持って立っていた。たぶん双子だな。俺は吹き出しそうになるのをこらえ、軽く挨拶する。双子は俺を見ると店内に入るよう二人同時に顎で入り口を指した。俺はいざなわれるまま入店する。そこには簡易的に出店された酒場があった。内部は仮設とはいえなかなか広い。30人ほど客がいるだろうか。ホールのスタッフは慌ただしく働いており、店主らしき口髭の男は店全体に睨みを利かせている。まるで昔の映画に出てくるダイナーのような賑わいだ。その入り口に現れた俺に対して、スイングドアを開けた西部劇のカウボーイに対するならず者よろしく一斉に視線が集まる。

「おい見ろよ、サンダウナーだぜ……」

「生きてたのか」

「ジロジロ見るな。奴が殺したドラゴンの呪いが感染(うつ)るぞ」

サンダウナーってのは俺のことだ。もちろん本名じゃない。このクソみたいな世界を生き抜くための処世術、というかまあ、いわゆる通り名だな。客どもは口々に俺についての感想を述べ、目を伏せる。ドラゴンの呪い?それが感染?アホか。何言ってんだザコどもがよ。迷信や都市伝説ってのは文明が滅ぶとまことしやかに囁かれるもので、俺がジョークで放った本名からのシャレ、"サンダウナー"とかいうあだ名が広まったのも、どうせこういうところからだろうな。呆れるぜ。

酒場。酒場とは、ここでは、この時代では、世界崩壊前と違って、密造酒やよくわからん肉、まずい葉っぱなんかを軽食として提供している飲食店のことをいう。テキーラなんて上等な酒がこんな世界にあるわけないし、チキンなんてとうの昔に絶滅してるからな。野菜……農業は、毒属性トキシックドラゴンや汚属性マッドドラゴンに土壌を汚染されたから軒並み廃業してる。俺もタマネギやニンジンなんか何年も口にしていない。ビタミンは合成のケミカルから摂るのが主流だ。タブレットとかな。そんなわけで、酒場でもっとも重要な商品は、情報だ。仕事を受けるための情報。命の次に大事なものだ。ドラゴンに効くかわからん銃なんかよりも優先順位はずっと高い。

だが、今日は酒場の様子が何かおかしい。いつもだったら、「かかってこいよサンダウナー」「カネをよこせ」「あのときの恨みを思い知れ」とかそんな因縁をつけてきて絡んでくるアホが必ず一人はいるものなんだが、なんというか、どいつもこいつも、荒くれでさえも、おとなしい。いや、酒場特有の喧騒はあるんだが、みんな雑談してまずいメシを食って、水や酒をふつうに飲んで、金を払ってそのまま帰ってやがる。なんでだ?なぜか誰も彼もがお行儀が良い。

その理由はすぐにわかった。あそこの……酒場の隅の席に座ってる奴だ。あいつは、

「アリアンナ・パーガトリー……」

無意識のうちにその名を口にしていた。アリアンナ・パーガトリーだ。煉獄(れんごく)のアリアンナ。あの女、生きていたのか。

アリアンナも俺に気づいたようだ。彼女は俺と目が合うと軽く頭を下げた。そして何事もなかったかのように再び豚肉を頬張り始めた。あれは、オジギ、会釈ってやつか。やっぱりあいつが日本人って噂は本当なのかもな。そんなことを考えていたら、挨拶を返すタイミングを失ってしまった。彼女は人種的に俺と同じようにマイノリティでもある。それもあってか、つい、まじまじと観察してしまう。うまそうに食ってるものも……あの肉から滴っているのはバター、本物のバターだ。いったいいくら大金を積めばポークソテーなんて料理がこの時代に食べられるのだろう。やることなすことすべてが異様な雰囲気を放つ女。この酒場の奇妙な静寂、喧騒の中の秩序も、アリアンナ・パーガトリーが店内にいるということなら納得だ。俺もおとなしく席に着くとしよう。

アリアンナ・パーガトリーはドラゴンキラー。ドラゴンを殺す者。そして、人間も殺す。つまり殺し屋だ。彼女は依頼を引き受ければ竜でも誰でも殺す。それもギネス級に竜と人を殺しまくってる。どんな残忍な行為だって平気でするし、口ごたえをした奴を容赦なく無感情に射殺したり、それから、腹が減っていれば人間の肉さえも食って、誰とでも寝る……って噂だ。最後のはただの噂。実際は知らん。だが、他のことは本当だ。俺も一度だけアリアンナと仕事をしたことがあるからよくわかる。あの冷酷さはまるで血が凍るかのようだった。ただ、そのときの依頼は、北米から南米へ移動する難民の護衛で、結果的に酸属性アシッドドラゴンを打ち破って人々を守ったんだから、そういう意味では英雄扱いもされている。
それにしても……相変わらずだ。アリアンナは若い女性だ。年齢は、見た目25歳前後といったところだが、20歳ぐらいにも見える。どうだろうな。東洋人の女の歳はよくわからん。いつもトレンチコートを着ていて、それから、なんと、化粧をしてるんだ。そう、化粧だ。口紅とファンデーションもしてる。黒髪もシルクのように艶があり、手入れが行き届いているのが誰の目にも明らかだ。まるで、ドラゴンの襲来なんか歴史上からなかったかのような、この世界に似つかわしくないほどの見た目の清潔さ、不自然なぐらいの美しさ。それらをアリアンナはドラゴンと人間を殺して得た報酬で賄っている。命懸けで戦ってそれだぜ。殺しに何の恐怖も罪悪感もないようだし、腹が減ってたら人間の死体の肉も焼いて食うし、マジでイカれてやがる。いや、この滅び切った終末世界に適応したのがあいつみたいな奴で、新人類ってやつなのかもな。俺たちはさしずめ滅び行く旧人類ってところか。

「……ウナー、サンダウナー!」

「ああ?」

「何かドリンクでもフードでも良いからとっととオーダーしてくれ。用がないなら帰ってくれよ」

口髭を生やした汗臭い店主が目の前にいた。いかめしい面構えで親指を立てて入り口を、いや、出口を指している。

「ああ、すまん。考え事をしてた。そうだな。水と、それから、バッタのピクルスをくれ」

「今日も酒は飲まんのか?」

「水で良い」

俺もアリアンナほどじゃないがあちこちから恨みを買ってるからな。酔って襲われて死ぬ賞金稼ぎは多い。だから俺は酒を飲まない。

「わかった。ランチタイムが終わったらビジネスの話をしよう。……ドラゴンの案件だ。それと」

店主は声をひそめた。

「ミス・パーガトリーをジロジロ見て彼女の機嫌を損ねないでくれよ」

「ああ、わかった。わかったよ。後でな」

店主を追い払った直後、外で民衆のざわめきと悲鳴。それから乾いた銃声が鳴り響いた。

だが酒場の中の雰囲気は少しも変わらない。争いや諍いなんて日常茶飯事、銃撃戦ですらよくあることだからだ。誰も気にしない。が、そうも言っていられなくなった。全身血まみれの女が突入してきたからだ。右手にはマチェーテ、左手にはサブマシンガンを持っている。まだティーンエイジャーぐらいのクソガキだ。血走った目を見開き、小娘が叫ぶ。

「アァァリアンナァァー!パーガトリィィ!煉獄のアリアンナ!お前だ!父の仇!私と殺しあえッ!」

ほとんど絶叫に近い声だった。セキュリティが来ない。たぶん、さっきの双子は殺されたな……これはさすがにヤバいか。当のアリアンナはというと、優雅にハンカチで口を拭いている。ヒゲの店主はしどろもどろになりながらアリアンナに進言する。

「あ、あの、ミス・パーガトリー。大変申し上げにくいのですが、店内であなたに暴れられますと、ちょっと、その」

店主は肝の座った男だ。小娘のサブマシンガンにビビってるんじゃない。アリアンナの恐ろしさをよく知っているんだ。機嫌を損ねたら皆殺しにされることを。それほどの戦闘能力と異常性を彼女が有していることを。アリアンナは小娘を一瞥すると、座ったまま口を開く。

「あなた、ランチがもう少しで終わるから、それまで待ちなさい。食べたら外でやりましょう」

店主は胸を撫で下ろした。小娘は勢いに水を差されたのか、それとも復讐の相手が想像よりはるかに危険な奴だと察知したのか、アリアンナに言われるがまま店の外に出た。

「ごちそうさま。それじゃ、殺して来るわ。ランチのお代は私が生きて帰ったら払います」

「えっ」

「私、これでも験を担ぐタイプなのよ。いいわね?」

「は、はい!いえ、ミス・パーガトリーが敗北することなどあり得ません!へへ、お代はあとでけっこうですので、どうぞ、どうぞ」

ふん、とアリアンナは鼻で笑い、有名ブランドのデッドストックであろう上等なトレンチコートを無造作に脱ぎ捨てた。コートの中身は、薄手のブラウスに特注のガンベルトを身体中に巻きつけた姿。それぞれのホルスターにはコルト社のシングルアクションリボルバーが差されており、なんと合計六挺ものリボルバー拳銃を装備している。以前見たときと変わらないスタイルだ。あの女は六挺もの銃を信じられないような身体能力で操る。アジアンらしい細くスキニーな身体を鋼鉄のように鍛えているのが薄いブラウス越しにもよくわかった。小娘が持ってる銃がサブマシンガンでも、アリアンナの早撃ちには絶対に勝てないだろう。それはまるで、復讐心では冷酷非道に勝てないことのように。

アリアンナ・パーガトリーはコツコツと革靴を鳴らしながら外に出て行った。俺たちはその一挙手一投足を固唾を飲んで見守っていたが、やがて銃声と悲鳴が聴こえ始めると、何事もなかったかのように酒場の喧騒が元どおりになった。まるでBGMのジャズでも流すように、殺し合いの音を聴いて過ごすなんてのはこの世界じゃよくあること。まったく、狂ってるぜ。

数分後、外が静かになった。足音が聴こえる。入り口を開けて再び入ってきたのは……アリアンナだ。俺たちは一斉に彼女を見た。そして絶句した。

アリアンナ・パーガトリーは血まみれで立っていた。

右腕が無い。肩から切断されている。

腹部にも深手を負っているようだ。おびただしいほどの出血と、青ざめた顔、虚ろな瞳。

助からない。

アリアンナは出血多量によるショック状態でもうじき死ぬだろう。酒場の店内の誰もがそう思った。アリアンナは出て行くときとは逆に、革靴を鳴らしながら、先ほどまで自分が座っていた席に向かって歩いて行く。切断された肩から多量の血液を滴らせながら。口髭の店主に向かってアリアンナは静かに言った。

「お待ちどうさま。殺して来たわ。それと、これで追加のオーダーを。デザートに、スコーンと、紅茶を、頂戴」

アリアンナはコートのポケットから大量の札束を取り出して放り投げる。店主は固まっている。

「早くしなさい。殺すわよ」

「……は、はい、ただいまご用意いたします……!」

ふう、とアリアンナは深くため息をつく。虚ろな瞳。ただちに店主自ら駆け足でスコーンと紅茶が配膳される。スコーンも、紅茶も、紅茶に添えられたレモンも、世界崩壊前の千倍以上の相場価格。おそらくあれで二万ドルはするだろう。それを、アリアンナは、彼女は、残った方の左腕でスコーンを食べ、器用に紅茶を飲んだ。

「ああ、おいしい。悪くない世界だったわ」

一言だけ呟くと、彼女は目を閉じた。座ったまま、少しだけ上を向くような姿勢。眠るように安らかな顔。アリアンナ・パーガトリーは、煉獄のアリアンナと呼ばれた歴戦のドラゴンキラーは、死んだ。

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