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短編エッセイ【『キャラ愛』によって自己同一性の喪失に陥った二次創作絵師の悩み/芯探求_5】

 これは非常に深刻な問題だ。私は「良いな〜」と感じたものを出来るだけ抽出して描こうと心掛けてる。「この思い浮かんだ構図良いな〜」だとか「この絵柄好きだな〜」だとか、そういう好みは大抵すぐには動じない。ごく短期間に好みがガラリと変わるのは通常起きないはずである。
 しかし、最初に言ったように非常に深刻な問題がある。ごく短期間に好みが変わってしまい、さらにそれから絶対的に逃れられないと実感してしまったということだ。(ごく短期間というのは一瞬。つまり考えたが最後、価値観が変わるということ)
 私は「良いな〜」と感じたものをそのまま抽出したいのだが、描いてる最中に価値観が変わってしまったら、一点突破の「言語化できない良さ」を貫くものが描けなくなってしまう。これは言語化、つまり「メモできない良さを抽出する」という私の作り方だと、あまりにも致命的だ。開発途中で制作方針がガラリと変わって失敗したクソゲーみたいになってしまうのは避けたい。
 ここまで読んで気づいたかもしれないが、常日頃話している【カヨコ】のことである。最初はカヨコの良さと、自分が良いと思った絵柄の合わせ技をしたいと思った。しかし、カヨコを観察、考察を続けていくにつれて、「カヨコっぽい要素」というだけで良さを感じてくるようになってしまった。私は「良い感じのカヨコ」を描きたいのに、「カヨコな感じのカヨコ」に好みが捻じ曲がってくる。そうなってしまったら「汎用的な良さ」のイラストが描けなくなってしまう。何を描いても、「カヨコっぽい他キャラ」という、他キャラの良さが引き出せないイラストになるのは、カヨコと他キャラとの絡みを描くうえで支障が出かねない。絡みとは二項対立であって、差を際立たせねばならない。どちらもカヨコだとただのカヨコのコスプレ集になってしまう。……それでも良い気がしてきた。ああ、駄目だ、私の思考は侵されている。
 急速に変わっていく価値観、アイデンティティの中では、もはや私は私なのかという確証さえない。あなたは幼少期の自分と現在の自分の人格の差を比べて、もはや別人ではないのかと思うことがあるかもしれない。今の私には、それがごく短いスパンで起きている。数秒後の私は別人なのではなかろうか。テセウスの船よ、私は私のままなのか。

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