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イベンタル・シンメトリー

1964年東京五輪、1970年…大阪万博。

その合間を縫った1967年、アテクシ誕生――酸いも甘いも舐め尽くして半世紀、カルマさえ消えた感ある…昨今。

2020年、再びの東京五輪。
さらに2025年、これまた再びの大阪万博――。

ふふ、画家っぽくイベンタル・シンメトリーで飾れそうな人生の花道!――と喜んだのも束の間。

“え、開催ヤバいん、万博?"

プレハブ式パビリオン?
会場地の地盤沈下?
建設費、オトナ事情のアレやコレ?

しかも、初見オゾゾ風味なキモいマスコット・キャラ…その名も“ミャクミャク"!?

万博のカケラ情報を耳にするたび、わが脳内を駆け巡るイメージは…[突貫]と[取り繕い]。

〈ニッポンの技術力〉
〈ニッポンの経済力〉
〈ニッポンジンの勤勉さ〉

…等々、ニッポンジンなら誰しもの誇り…――と胸張りたいが。今や100歩譲っても、胸張れるのは平成初頭までのニッポンだろうさ。時折、セカイが声高に浴びせてくるニッポンへの称賛は、ステレオタイプ化されたニッポン・イメージに向けて…ではないかと勘繰りもする。

ジブンがガイコクジンとして、令和ニッポンに訪れたなら!
上辺の観光に飽き足らず、ひと皮剥いたニッポンを見聞したなら!

――きっと落胆、二度と訪れはしないだろうなと常日頃。

世界のどこぞで終末への時を刻む終末時計もあれば、わが脳内で時を刻む‘ニッポン凋落時計’ってのもある。

その針は、既に[23:50]――完全凋落まで残り10分の瀬戸際である。

わが人生の始まりと終わりに、思わぬイベンタル・シンメトリーをもたらしてくれるはずの、大阪万博2025。

開催予定日に間に合わなければ、眼も当てられぬ。その時点で〈ニッポン凋落時計〉は5分進み、ニッポンの国際的評価は、極東の辺境国にさえ成り下がり得る。

何やら得体の知れぬ息苦しさに包まれている令和ニッポンと、感性の関節がズレたか外れたか…と、肌感せずにはおれぬ令和ニッポンジン。

かつて、某独裁者はニッポンジンの精神年齢を‘12才’と評した。よく受け取るなら〈精神的に純真〉、裏を返せば〈精神的に未成熟〉――ガイコクジンの高評価リップサービスは心地よかろうが、そのジツ…彼らの目は冷徹にニッポンを見透かしている。

チョイと毒を吐いたが、すべては大阪万博2025の成功に向けたエールである。

そこで、わが提案!

旧万博会場、今の万博記念公園を万博2025の会場にしてはいかがか?

地盤沈下の心配はないし。
交通インフラも既に整っているし。
太陽の塔の背面の顔をダーク・シンボルにすれば、令和ニッポンの象徴としてアイロニカルでもある。

何より、〈月の石〉やら〈人間洗濯機〉やらに沸いた半世紀前の万博会場で、再び開催する大阪万博2025――が、実現するなら!

当時とは比べ物にならぬ発展を遂げた現代最新技術が、同じ時間軸の延長線上にあるのだと、しみじみ思い馳せるのも‘万博的意義アリ’ではないか?

今さらながら…遅まきながらの提案なるも、《太陽の塔》産みの親――故‘ゲイジュツはバクハツだッ!’画伯も、きっと1票投じていただけるに違いない。

意味ありげの巡り合わせ、わが人生の始めと終りの――イベンタル・シンメトリー。〈ニッポン凋落時計〉の針が進まぬよう、浪花のド根性と鬼畜のソロバン勘定をば…期待してまっせー!!


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