見出し画像

どん底から人生を変えた          シングルマザーの起業ストーリー



こんにちは!
人生を輝かせたい女性のSNS起業サポーター|矢野 舞美(やのまいみ)です。

今でこそ、3人の子どもを育てながら、「好き」なことを軸に起業して好きな場所で自由に働き、SNSを通じて延べ880人以上の方々へSNS集客や起業、お金に関わるアドバイスしています。


1年半前からSNS集客やマーケティングを学び、本格的にSNSで情報発信を始めて1ヶ月で27万円の案件を獲得することができました。 
また、クライアント様が4ヶ月連続7桁を売り上げたり、LINE配信を変えただけで24名集客、177万円を売り上げた女性起業家さんなど、とても嬉しい成果もでています。


そして、起業して場所を選ばず自由に働けるようになってからは、子どもとの時間も自分の時間も増えて、毎日がワクワクする生活を送れるようになりました。


ただ、私もこれまで順風満帆だったわけではなく、人間不信に陥り、精神的にも病んで、鬱に近い状態で心身ともに疲れ果てた人生のどん底を彷徨っていた時期があります。


そこで、これまで親にも話せなかった私の過去と起業人生を歩むきっかけをお話ししますね。

心のブロックは幼少期が原因


「いつか起業できたらいいな…」と考え始めたのは、40歳の頃でした。
そして、本気で起業を決意したのは42歳の夏ですが、子どもの頃の私は、無口で、超人見知りのおとなしい女の子でした。

インスタグラムより


幼稚園の発表会で「おおかみと七匹の子やぎ」の劇をしました。
私が「おおかみ役」に決まったその帰りのことです。

母が私を幼稚園にお迎えに来た時、先生はこう言いました。

先生:「まいみちゃんが、おおかみ役をやることになったんですが、大丈夫ですかね?」

その言葉を聞いて、
「え?私には無理ってことなのかな?」
と思ってしまったんです。

まだ、練習も何もしていない。ただ「おおかみ役」をやると決まっただけなのに…。「どうしてそんな風に言ったのかな?」と思いました。

先生は、私がおとなしい子だから大丈夫なのかな?と心配してくれたのだと思います。今では、先生の優しい気持ちを受け止められるようになりました。

だけど、この時の記憶が何か新しいことにチャレンジしようとしたとき、「私にはできないかも」「無理かも」と考えるようになってしまいました。


なんとなくで生きてた時代



大卒で入社した地元の自動車メーカーを29歳で寿退社。

中学1年生のときに両親が離婚し、結婚に憧れを抱いていた私は
「結婚して家族をつくり幸せになれる!わたしの人生最高じゃん」
と、思っていました。

が、現実は甘くなかった。

子どもを出産後、0歳6ヶ月で保育園に預け、私は職業訓練校に通うことになり、母乳で胸がパンパンに硬くなりながら授業を受け、休み時間に搾乳してトイレに流し、お昼休みは授乳のために保育園へ行き、おにぎり片手に頬張りながら、授乳・離乳食をあげる毎日。

ゆっくり過ごせる時間など、まったくない!!

子育てって、こんなに大変なの?
子ども預けて働くとか無理じゃない?

いざ、就活で面接を受けても、
「子どもを預けて働けるの?」
「子どもが病気をしたら誰がみてくれるの?」
「0歳で子どもを預けるなんて、まだ早いんじゃないの?」
こんな質問ばかり…

子どもを預けて働くことにも、後ろめたさを感じはじめました。

だけど、子どもが初めて寝返りをしてり、初めて立ちあがろうとしたり、
一生懸命に生きている姿を見て、

「わたしが諦めていてはいけない」

と思ったんです。

でも、働きたいと思える仕事も見つからず、子どもと離れることもできなくてパートや契約社員で、ただただ生活するためだけに働いていました。


精神的な負担と子どもへの影響


結婚して7年が過ぎ、側からみれば仲のいい夫婦でしたが、不満が徐々に積み重なり、長男が小学1年生、2人の娘は4歳、2歳の時に離婚。

当時、離婚することは誰にも相談せずに決めました。
なぜなら、自分の人生は自分でしか責任はとれないと思っていたからです。

これまでも、高校受験に失敗し浪人すると決めた時、大学の進学先、就職活動で地元に帰ると決めたことも、人生の決断は自分で選択してきました。

だから、この先も我慢し続ける人生を送りたくない。私は子どもたちを守る!と誓い、子ども3人を育てていく覚悟を決めました。

お金を理由に子どもたちに我慢させたくないと思った私は、がむしゃらに働きました。仕事を自宅に持ち帰り、子どもとの時間を削って働く毎日、保育園や学童へのお迎えはいつも一番最後でした。

お迎えに行くと、子どもからは
「ママ、遅かった!」
と言われて
「ごめんねー」
と謝るばかりでした。

お迎え後は、近くのスーパーで食材を買い、家に帰ると座る間もなく、子どもの宿題をみながら夕飯の支度、お風呂に入らせて歯磨きして、寝かしつけ…
それから洗濯して、掃除して。。。
子どもが眠ったあとも翌日の仕事をしたり、予定をチェックしたり、資格の勉強したり、、追われる仕事と子育ての忙しさにイライラして…
子どもに大きな声で怒鳴るたびに、自己嫌悪。

はぁ〜。とため息ばかり

眠っている子どもの顔を眺めては、頭を撫でながら、
「ママはいつも怒ってばかりね。ごめんね。」
と声をかけ涙する毎日。
心身ともに疲れ果て、ついには酷いめまいで倒れそうになり病院で突発性難聴と診断されてしまいました。

「いつか倒れて死んでしまうんじゃないか…。でも、子どもたちを遺して死ぬわけにはいかない。」
もう気合いだけで乗り切るしかありませんでした。

そして、疲労がピークに達したころ、ある事件を起こしてしまいます。

疲労が引き起こしたある事件


2020年2月。
18時ごろは辺りも夜のように暗くなる寒い冬の時期。

仕事帰り、いつものように下の子ども2人を学童と保育園へお迎えに行き、サッカークラブが終わると小学校のグランドで待っている長男のもとへ向かうはずでした。

ところが、その頃、管理職についていた私は仕事のことで頭がいっぱい。
なんと、下の子どもたちを迎えに行った後、そのまま帰宅してしまったんです。

夜19時を過ぎた頃。ハッとしました。
「あれ?、一人いない」

食事の準備を終えてようやく長男がいないことに気づいた私は、一瞬で血の気が引きました。
慌てて下の子ども2人を連れて、小学校のグランドに車を走らせた。
だけど、そこには誰もいなくて…。

胸がギューっと締めつけられ、
震える手でハンドルを強く握りしめ、

『神様、お願いです。
どうか息子が無事でありますように。
私はどんなに辛くてもいい。だから、息子だけは…お願いです。。』

と、願ったその時でした。

ピコンと携帯が鳴り。
「〇〇君(息子の名前)が、今、帽子を届けに来てくれてうちにいるよ」
と友達のママからLINEで連絡をもらいホッとしたのは、今でも忘れません。

子どものお迎えを忘れるなんて、
「わたしは一体、なにをやっているんだろう。」

会社のために尽くして、生活のために働いているのに、家族を守れないなんて…
なにか間違っているんだろうかと考え始めました。

あるコンサルタントとの出会い


私のインスタグラムより

このころの私は、管理職というポジションにつきマネジメントに関わり、自分のことよりも会社のことや従業員のことを考えるようになっていました。

「子育てママが働きやすい環境つくりをしたい」
「会社の成長に関わり貢献したい」

こんな想いが強くなり、従業員とのコミュニケーションに悩み苦しみながらも、自分を奮い立たせていました。

そんな矢先、今度は真ん中の長女が不登校になりました。
子どものこと、仕事のこと、従業員のこと、どれも満足にできなくて、夜になると涙が出てくるもどかしい時期が続いていました。

「どうすればいいんだろう。」

そんなふうに考えていたとき、社内教育の一環で、
あるコンサルタントに出会います。
その方に今の悩みを打ち明けたところ

「すべて解決できますよ!」

と言われ、真っ暗なトンネルの中にいたのに、突然明るい兆しが見えた気持ちになりました。

そのコンサルタントの方に、すべての制限を外し自分の未来を描くことを言われ、約50個書き出してみると、本当にやりたかったことや自分のビジョンが見え、ふと、気づいたんです。

「私は、これまでずっと誰かのために生きてた」と

・子どものため
・会社のため
・従業員のため

だから、子どもたちも守れなかったし、自分も苦しかったんだって、、、

「これからは、自分のことも大切にして生きよう。私が心から笑顔で過ごせれば、子どもたちも笑顔でいられるはず」

自分の未来のためにアンテナを張るようになりました。

この頃からFPとして独立することを考えるようになり、そんな時にインスタグラム×公式LINEの集客法に出会いました。

「起業して事業をするなら、絶対に必要なスキルだ」と思い

人生でここ一番の努力をしようと、超苦手なSNSを必死で学び続けました。

人生が180度変わる起業の道


地方に住む私でも、インスタ発信を始めて、全国のたくさんの方々と交流するようになり、同じような志を持つ仲間もできました。

会社員として働いているままでは絶対に出会えなかったと思います。

世間ではウィルスの感染拡大、基礎疾患のある母と同居している私は会社員を辞めることを決意して、起業の道を選択して人生が180度変わりました。

朝、子どもに「早くしなさい!」と言わなくなり、学童保育もやめて学校から帰ってくる子どもたちに「おかえり」を言えるようになりました。

長男が中学生になってからも、部活の送迎や試合観戦もできて、子どもたちのそばにいられる時間は倍以上に増えました。

自宅で仕事したり、大好きなカフェで仕事したり、働く場所を選ばずに自由にできていることが本当に嬉しいです。

今では、あのとき人生の決断をしてよかったと思っています。

幸せな人生は〇〇で切り開く


43歳にして思うことは、自分の人生をどう生きるかは自分次第ということ。

今のままでは何も変わらない。
私が変わらなければと思ったんです。

理想の未来を叶えるために行動し、どんなこともチャンスと捉えてチャレンジしてきました。もちろん、中には「失敗したな」と思うこともあります。だけど、それも経験になり今ではネタになります。笑

これまでも、人生の分岐点で幾度となく、「人生の選択」をしてきました。
・いじめにあった時
・高校受験に失敗した時
・センター試験に失敗して、国立大学か私立大学に行くかの選択
・地元で就職するか、県外で就職するか
・帝王切開後の出産を普通分娩にするか
・結婚する時、離婚する時
・仕事を辞める時
・自己投資先の選択

人生は、すべて自分の決断で築かれていく
幸せな人生は、自分が進化し続けていれば手に入れられると確信しています。


おわりに


幸せな人生を生きていくために最も大切なことは、心・時間・お金のバランス。

このバランスが崩れてしまうと、
「毎日がつまらない」
「子どもがいるから無理」
「夫が〇〇っていうから」
というような言い訳や不満ばかりを漏らしてしまい、自分の軸で人生を生きられなくなります。

だからこそ、これを読んでいる皆さんにも自分を大切にしてほしいし、何から始めればいいのかわからない、一歩を踏み出せない、不安だと感じる皆さんの背中を押す存在でありたいと思っています。

40代シングルマザーで子供が3人いても自分を幸せにして、子どもも幸せにできることをもっと多くの人に知ってもらいたい、子育て中のママでも起業というカタチで人生を謳歌したい人や頑張っているのにうまくいかない人の憧れになれるよう精進していきます。

人生で、ここ一番の頑張りなくして成功することはありません。

「成功=幸せ」とも限らないし、どんなに頑張って、努力していても結果はなかなか現れないのが事実。

理想の未来を描き、適切なタイミング、適切な量、適切なフェーズを理解してプロセスを楽しむことこそ、心からの幸せを手に入れることができる。

だからこそ、私についてきてほしいんです。

過去にもがき苦しんだ経験とあきらめずに行動し続けたからこそ皆さんを理想の未来に導ける自信があります。

40代でもママでも自分をあきらめなくていい、ママが幸せになると子どもも自由にのびのびと生きられるという想いから

『すべての女性が自分らしく輝ける場所で生きる』
をコンセプトに自分に自信をもち凛とした女性へと変わりたい人を全力でサポートしていきます。

この記事を読んで私についていきたいと思ってくださる方が増えると嬉しいです。


誰にでも可能性はある。
チャンスを逃さずあきらめなければ、やりたいことは叶う

  • やりたいことがあるのに我慢をしている人

  • 子どもとの時間もお金にもゆとりを持ちたい人

  • 老後や教育資金に不安を抱えている人

  • 起業したいけど、勇気がない、一歩踏み出せない人

  • 何がしたいかわからない人

このように悩む方のために、
理想の未来をデザインし、お金を理由にあきらめないための資産形成やSNS起業で必要な集客ノウハウも発信していきます。

↓↓↓

私の経験や総額300万円以上自己投資をして得たノウハウを通して、みなさんのキャリアを活かすきっかけになれば嬉しいです。

✅月30万を安定させたSNS集客メソッド
〜インスタ×LINE入門編〜
✅小さく始めて夢を叶える起業の教科書
✅SNS苦手でも爆発的に売上を伸ばす超LINE術
✅たった5分!反応爆あがりインスタチェックシート
✅将来に必要なお金の流れがわかる!
 「夢を叶える未来家計ワークシート」

をLINE登録者限定でプレゼントしています!消えてしまう前に今のうちに追加しておいてください!

プレゼントを無料で受け取る☜ここをクリック!




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?