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イスファハーンは今も世界の半分だった。前編(イラン旅行記その①)

――「イスファハーンは世界の半分」。高校世界史で通史を学ばされた人間であれば、必ず1度は聞いたことのある言葉。未回収のイタリアだの、アウステルリッツ三帝会戦だの、キャッチーな用語の多い世界史の中でも記憶に残るレベルでは、わりと上位に入る言葉だと思う。
 先生の解説に耳を傾けてみれば、なにやらそのイスファハーンの想像を絶する美しさやら目覚ましい繁栄ぶりから、ここには世界の半分があると讃えた人がいたらしい。まぁ流石に世界の半分は言い過ぎやろwwと思いつつも、世界史資料集のページを贅沢に使ったイスファハーンのグラビアは、まぁ確かに美しいと思えたし、いつか行ってみたいなぁとぼんやり考えていた。
 イスファハーンは中東のイランという国にある。
 ――イラン。正直西側諸国的にはあまり印象の良い国ではない。内戦、戦乱等と隣り合わせになりがちな中東の国としては、行ける方の国であり、世界遺産をはじめとして観光資源には恵まれた国ではあるのだが、大米帝国様ととても仲が悪く、一旦イランに入国すると、ビザなしではアメリカに行けない身体になってしまったりとか、経済制裁でクレジットカードが全く使えなかったりとか、中国の金盾のように、Twitter等々へのアクセスができなかったりとか、それなりにハードルが高い国ではあり、流石になかなか現実に訪れようという気持ちにはなりにくかった。
 しかし、ここ数年、本当に世界が目まぐるしくかわっていった。昨今のあれこれによる3年近くもの鎖国もさることながら、いつかシベリア鉄道に完乗してみたいという、鉄オタなら誰しもが見るであろう夢は、もはや風前の灯である。この先、世界がどうなっていくかなど分からない。グズグズしている暇はない。
――と、いうことでこの今年のGWを使って行ってきた。イスファハーンに。


イスファハーンについて

 イスファハーン(Isfahan)。ペルシア語では、اصفهان‎; Eṣfahān [esfæˈhɒːn]となり、現地語的にはエスファハーンの方が正しいのだと思うが、なんとなく日本の世界史ではイスファハーンと書いていたことが多い気がする。
 イランの首都、テヘランの南約340kmにあるこの街は、古代ペルシアのアケメネス朝の頃から続く長い歴史を持っているが、特に、16世紀末にサファヴィー朝の首都に定められ、その繁栄は目覚ましいものになった。そんななかで、あの「イスファハーンは世界の半分(ペルシア語では、エスファハーン・ネスフェ・ジャハーン)」という言葉が生まれたとも言われている。
 ちなみにこの、エスファハーン・ネスフェ・ジャハーンというペルシア語、「ハーン」が韻を踏んでおり、ペルシア語的には、北海道はでっかいどう的なノリだとか何とか。まぁ実際、北海道はでっかいわけで、イスファハーンが世界の半分であってもおかしくはない(?。
 そんなイスファハーンには、1979年、世界遺産の中でもごく最初期に登録された、名だたる世界遺産がある。それが、イマーム広場。青を基調とした精密なアラベスク模様のタイルで覆われた荘厳なモスクや宮殿によって囲まれたこの広場こそが、その、世界の半分の中心地だった。

イラン入国

 カタール航空にてドーハで乗り継ぎ、イランに入国。今回は日程がかなりタイトなので、テヘランの空港に着いたらそのまま車で一路イスファハーンを目指す手はずになっていた。

テヘラン行きに搭乗
空港の建物内に入るとすぐ、イマーム広場の写真が迎えてくれた。

 ワクチン接種歴のチェックや、入国審査もつつがなく終わり、無事入国。日本語のドライバー兼ガイドと落ち合い、simカードの購入や両替等々を済ませ、早速イスファハーンを目指す。
 基本、一人旅でガイドのようなものはあまり付けたくないため、今回はやむを得ず…という感じだったけど、まぁスムーズにsimカードの入手等々ができたのは安心だった。なんか断られることもあるらしいのでww

荒野を爆走しイスファハーンへ

 イランはかなりの車社会である。というのも、まぁドチャクソアブラデル諸国の一員なので、ガソリンがまぁ安い。どのくらい安いかというと、1Lが10円以下だという。それだけ安けりゃ、当然車社会にもなる。道路特定財源も潤沢で、高速道路も発達しており、こうして乗っていても快適で日本とほとんど遜色はない。
 違うのは風景だけ。永遠と荒野が続く。永遠と。最初こそ物珍しかったが、まぁ数十分もすれば飽きてしまったww

イランのサービスエリアに立ち寄る

 そんなこんなで単調な風景を進んでいったが、トイレ休憩がてらサービスエリアのようなところに立ち寄った。高速バスも休憩しており、内部にはショップやレストランなど、日本で見られるサービスエリアとほぼほぼ同じである。

イランのサービスエリア
イラン各地を結ぶ高速バスもこうして休憩している
高速道路マップ

 用事を済ませ、車の近くでドライバーを待っていると、イラン人の家族から声をかけられた。渡航前、イランでは観光客がまだまだ珍しいので、よく声をかけられると聞いていたが、どうやら本当らしい。子どもの方は英語ができるらしく、日本から来ました~なんて話をする。
 すると、お母さんらしき人が、食え食えといちごのたくさん入ったタッパーを差し出してきたので、遠慮なく頂くことに。ほどよい酸味と瑞々しさで旨い。この後の旅で散々実感することになるが、イランの果物は本当に美味しい。美味しいという様子を見せると、もはやタッパーごと持っていけとアピールされるが、流石にそれは丁重にお断りしたww
 まだまだイランにおっかなびっくりだったため、失念していたが、せっかくだし、写真の一枚でも撮っておけば良かったな…。

ピンク色のアブヤーネ村

 一直線にイスファハーンに向かってもいいのだが、せっかくなので、経路上の近くにある、アブヤーネ村に立ち寄ることにした。なんと村全体がピンク色をしており、イランでも代表的な観光地らしい。

 高速道路に別れを告げ、山の方へと向かっていく。イラン人においてはスタンダードなのだろう、スリリングで荒い運転に揺られ、到着。この日は木曜日…イランでは土曜日にあたる日で、そこそこ混雑していた。

 確かに、家々の壁が赤みがかっている。このあたりの土は鉄分を含んでおり、それでこのような赤が生まれるらしい。華やかな女性たちの衣装も名物の一つだが、写真を撮るとお金を取られるらしいww…というかそもそも村の範囲に入るのにも入場料が必要だったので、まぁ観光地である。
 この村も、2000年以上の歴史があると言われているようだが、やはり昨今は過疎化が著しいらしい。ドライバー曰く、観光客で儲かっているので、イスファハーンなどに別邸があり、冬の間はそこに住んでいたりするのだそうだ。そうでなくても、不便な村からは若者はみんな出て行ってしまい、住んでいるのは高齢者だけ…なんてもうどっかの国で耳にタコができるくらい聞いた話を、ここでも聞かされたww

Abbasi Hotel Isfahanに到着

 車はいつしか街中に入り、交通量もグンと増えてきた。

 もうこのロングドライブも残りわずか。こんな長い距離を日本人を乗せて走るのは実は珍しいんだ、みたいな話をしつつ、イスファハンの滞在ホテル、Abbasi Hotelに到着。

翌朝撮ったホテル外観

 ドライバーは、無事チェックインができたのを見届けた後、またテヘランへと帰っていった。所々、エキサイティングな運転ではあったけど、色々助かった部分もあった。ありがとうございました。

 Abbasi Hotel今から400年前のサファヴィー朝時代に建てられたキャラバンサライ(隊商宿)を改装されたこのホテルは、イランの中でも指折りの名宿として知られる。現地の代理店を通して予約した部屋は「Pardis Suite」、そのお値段は朝食付きで一泊93ユーロ。日本円で1万5千円弱といったところ。日本と比較しても、まぁまぁなお高めなビジネスホテルの値段ではある。さてそのお部屋からはどんな風景が見えるのだろうか…。

ベッドエリア
リビングエリア
専用バルコニー付き

 ?????これで1泊15K弱はおかしくない??????幕張メッセでイベントがある時の9平米飯店幕張A◯Aより安いぞ????大丈夫そ?????

 いやまぁ確かにイランの物価は安いので、その分ホテルも安くはなります。とはいえ、この後泊まるテヘランのホテルは1万円でまぁきれいなビジホだったので、やはりこの価格はおかしい…。中庭の真正面ですよ…?

バルコニーから見た夜の風景

 うーん…写真見てたらまた泊まりたくなってきた…。もはやここだけで世界の半分だろ。全人類イスファハンに来るべき。

世界の半分

 さて、ゆっくりとこの風景を楽しんでいるのも良いのだが、この旅行の主目的を忘れるわけにはいかない。いよいよ「世界の半分」へと向かう。

 「世界の半分」ことイマーム広場へは、徒歩で30分ほど。交通量は多く、いわゆるエネルギッシュな国の例に漏れず、道路は車優先で、渡る時は少し注意が必要。とはいえ、歩道自体はよく整備されていて、とても歩きやすかった。

 そして、やはり目にする看板が、ペルシア語で全く読めないのは新鮮…!楽しい…!! でもなんか、漢字っぽく読めるような文字もあって、ちょっとおもしろいな、と。

なんとなく「夢」っぽく読める

 イランではペルシア語の書道的なものも盛んらしい。実際、美しい文字だと思うし納得。

 そして、歩くこと30分。日没のアザーンに導かれるように、「世界の半分」へとたどり着いた――

 ――夢にまでも見た風景。とはいえ、実際に見た風景はそれとは全く比べ物にならなかった

 とにかく、広い。本当に広い。圧倒。そして、その広大な空間に響き渡るアザーンの声。そして、いまここで、その空間の一部となっている自分

 こうやってある意味万難を排し、イラン、そしてイスファハーンに訪れることに一切迷いがなかったわけでないけれど、この場所に立った瞬間、再訪を誓った。世界の半分の美しさ、と言われても納得してしまう。確かにここはまぎれもない、ワールドヘリテージ、世界遺産だった。

 圧倒されたまま、そのへんの石に腰掛け、ボーッとしていると、突然後ろから声をかけられ、家族連れっぽいおばさまからお菓子を渡された。知らん人からもらったお菓子なぞ、普通なら食べないだろうけど、サービスエリアの一件で、もはや慣れた。ここはイランである。ありがたく頂き、そのまま口に運んだ。昔、どこかの国で食べたハルヴァのような味がした。美味しかった。

 しばらく、この空間に浸った後、広場の反対側へと向かってみることにした。ということで、長くなってきたので、一旦前編は終了。後編へ続きます。

夜のイマーム広場

次回はこちら↓


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