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ある男の子を恨んでる話

家族でまるくなって話した。

ある男の子のことを。

その子の存在はいつも私たちを狂わせる。


11月27日
今日はその子のお誕生日。

私の2つ下のまるで双子のような
弟の。

この日が近づくにつれて
家族はどこか表情が曇っていくようで。

ひっそりと私は弟を恨んだ。

そんなおはなし。


┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈


物心ついた頃には弟がいた。

いつも私にひっついてまわって
私の好きなことを一緒になって楽しんでくれるような子だから

嬉しくなった私は弟の布教botと化した。

私がピアノを弾いているところを
眺めていたときも
「いっそのことはじめちゃわない?」
と弟を誘ったらほんとにはじめた。

すごく容量がよくて
私が5年かけて覚えたことを一瞬でできるようになった弟をみるのは辛かったし

ピアノコンクールでも私より先に受賞したときにはさすがに嫉妬して
お姉ちゃんらしくない態度とっちゃったけど。



中学生になった弟は吹奏楽部に
所属して、希望だったトランペットを吹けることになった。

いつものことながら弟は
サラッと吹けるようになって

コンサート出演のオーディションにも
受かっちゃったって。

ここまでくるとさすがにすごさを認めざるを得なくて、応援したい気持ちが勝った

家族みんなでコンサートを見に行こうと
楽しみにしていたのにいつまで経っても
コンサートの詳細が送られてくることはなかった。

そのまま、気づいたら弟はいなくなってた。
何も残さずに

ほんの数分前まで一緒にご飯を食べていたのに。




全然気づけなかった。

わからない。


どこかネジがぶっ壊れてたんだろうな。
夢の中のフワフワした気持ちのまま
全く泣けなくて、
笑ったりなんかして。


お母さんの泣き声と
お父さんが電話越しに泣くのをはじめて聞いたときに

やっとこれが現実なんだと思った。


┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈


学校から連絡が届いて
実はコンサートのオーディションには受かっていなかったって。弟が嘘をついていたんだということを聞かされた。

きっと弟にとってはじめての
「大きな失敗」だったから悔しかったのかなって。
それでもわからない。何にもわからんよ。


それから、家族は狂った。

みんなが自分を責めた。
そして人を責めた。

泣き虫で怖がりな弟に
「しっかりしろ。」と毎日説教していたお父さんはもっと寄り添えばよかった と。
お母さんも同様で…。


その瞬間習い事に行っていた妹は
「習い事してなきゃよかった。」と言った。

1番下の弟は「死」なんてまだ知らなから
「寝ていたよ。」なんて言ってた。

私も後悔なんて山ほどあった。

しっかりしてなかったから
お姉ちゃんらしくなかったから


ある日弟がYouTuberになってみたいと言ったとき、なんとなくで動画を投稿した弟のコメント欄に
「お前のお姉ちゃんは害児やから害児の顔」
っと書かれていたこと。

弟は傷ついたはずなのに私に話さなかった。

そういう優しさとか気遣いができる
男の子だから。

自分が発達障がいで生まれてきて
特別支援学級という一際目立つ場所に所属していたことで私だけじゃなくて
きょうだいまで傷つけたことがほんとうに悔しかった。



次第に人を攻めるようになっていった家族の姿は醜くてもう消えちゃいたいと何度も思った。




お葬式は地獄だった。
人生でこんなことを経験するだなんて
思ってなかった。

弟はすごく綺麗で生きてるみたいだった。

思わず大きな声でさけんで、わっと泣いた。
自分のことなんてもうどうでもよかった。
周りなんてどうでもよかった。

そうして全てが終わった。


何日も何日も小さくなった弟を抱えて
眠りについた。


┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈


あれから4年が経った。

「生きてたら18歳ね。」

そう聞いたとき、もうとっくに過去の人になってしまったんだと思った。

私は今でも生きていると思っている
というのは嘘で思いたいだけ。

この数年でいろんなことがあって
徐々に弟との思い出は
引き出しの底の方へと埋まっていく。

ずっと覚えてはいるんだよ。


すごく無責任かもしれないけど
辛くても苦しくても生きづらくても
もしも生きていたら
それだけで何でもできるんだよ

貴方がいなくなってから
家族も成長して
他人を恨むことは減った。
減っただけだけどね。

今でもみんな、自分は恨んでるよ。

私だってそう。
貴方がいなくなってから
「お姉ちゃんでよかったのかな?」って思うようになっちゃった。

それだけ、貴方の存在は大きかったんだよ。


お葬式の日、びっくりするくらいたくさんの人が集まってくれてびびっちゃった。


貴方の周りには貴方が大好きな人が
たくさんいたんだよ。

こうやってこんなところで
ひっそりと弟を恨んで生きていくしかない。

「許さない」って本気で思う。

それは貴方が大好きだから。
大切な弟だから。


弟のお誕生日。
生まれてきた感謝を祝う日なのに
どう祝えばいいのかな。



今いなくても、生まれてきたこと
一緒に生きたことに
精一杯ありがとうを言うね。


いつかまたこの地にたった日は
懸命に生きてね。



┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈


「追記」


弟についてずっと書こうと思っていたけれど、いざ書くとなると怖くてなかなか踏み出せなかった。
結局纏まらない文章になってしまったし
どう弟を綴ればいいのか迷いに迷った結果になってしまったけれど、今思っていることを綴りました。暗く、わかりにくく、視点があまり見えない文章でごめんなさい。
最後にもう少しだけ弟のことを書かせてください。


・やりたいことはなに?
弟は私が布教したことはなんでもはじめたし、
親が進めたこともはじめたどころか「ぼくってこれやるんでしょ?」なんて他人事見たくいうことが多々あった。そのたびにほんとうにやりたいことはなんだったんだろうと思っていた。実際、吹奏楽部のトランペットも親から「いいんじゃない?」と言われたことで最後まで弟が自らやりたいと言い出すことは無かったなと。
ほんとうにやりたいことが見つけられなかったのか、4人きょうだいでちょうど真ん中に挟まれていた弟だったから自分の意見をなかなか言い出せなかったのか。どちらかも結局わからない。もっと弟の心に耳をすませたかったな。


・ 心霊写真
小さくなった弟を抱えて数日。
一緒に写真を撮った。
その頃、私は抜け殻みたいになってたから
あまり覚えていないけど
「思い出作りだー」なんて言ってた気がする。そこに小さな影がうつりこんだ。
影と一緒に妹が棺に入れたぬいぐるみもうつっていたことで確信ついた。
これは弟だ、と。鑑定士の方にもみてもらったけど間違いなかった。
私に会いに来てくれたんだって。
バカだなぁと思った。ここにいればいつでも会えたのに。


・友人の一言
お葬式に集まった人はみんな涙を流していた。そんな中、私にそっと声をかけてくれたのが幼なじみだった。心配してくれて手をぎゅっと握ってくれて。彼女は言った。
「私は絶対に泣かないよ。」と。弟を亡くして1番悲しい想いをしているのはたんぽぽちゃんなのに、私が泣いたらもっと不安にさせちゃうでしょと。すごく強い子だと思った。
幼なじみは何度も涙をひっこめていた。
「無理しないでいいんだよ。泣いていいよ。」今の私なら、そう声をかけられるのだろうか。あの頃の私は全部がいっぱいいっぱいで余裕なんてなくてもしかしたら冷たくあしらってしまっていたのかもしれない。
だけど、私すごく救われたのよ。だからいつかちゃんとお礼を言おう。寄り添ってくれてありがとうって。

・11月27日の奇跡。
私にとって11月27日は
弟の誕生日。そして今の彼とお付き合いをした
記念日。彼とは今日でちょうど1年だ。
毎年この日は弟を思い出すから辛くて泣いてばかり過ごしていたけれど、彼との記念日という
喜ばしいことができたおかげで少し心が軽くなった…実際はそんな気がしていただけではあるんだけどね。それでもきっとこの日は私にとって特別で大切な日。弟のせいできっと今後も辛いと思ってしまうことはあるだろうけれど、もしかしたら新しい1歩を踏み出せと神様に言われたのかもしれないと。
泣いてばかりいたらそれこそ弟に悪い。懸命に生きてバカみたいに生きて生きていたらよかったと弟を後悔させるためにも今日は彼との記念日を存分に楽しもうと思う。

・4年越しのメッセージ
あの日、弟がいなくなってからすぐに家にかけつけてくれた友人が言った言葉を今でも覚えている。「私が一緒に遊んでいればよかったんだ」と。
家族だけじゃなくて、友人も自分を責めてた。
そして、今日。4年越しにまた同じメッセージが送られてきて実感したんだ。
「生まれた時点で一人きりの人生じゃないんだ」って。
当時抜け殻だった私もやっと今になって
「友人は悪くないよ」と伝えることができた。それでも弟がいなくなってからできた溝はどこまでも深く、一生埋まらないだろうな。それだけ重罪なんだよ。勝手にいなくなっちゃうなんて。みんなで弟を恨もう。
愛いっぱい恨み続けよう。

・ このnoteを読んでくれた人へ
ありがとう。ほんとうにありがとう。
私の友人、知り合いも思った以上にこれを読んでメッセージをくれた。
すごく、生かされてる。
綴ろうと思ってから4年もかかった文章。
正直言うと読まれるのも怖くて今でもビクビクしてる。だけど、noteという形でここに弟の存在を残すことができてよかった。私やみんなの想いも一緒に。
これを読んでくれた人は生きてね。
生きるって大変だよね。消えちゃいたい瞬間もたくさんあると思う。
きっとこの地にたっていればやりたい放題。やりたい放題して生き延びよう。たった1度きりしかない人生なんだから。

あ、そうだ。これは書いとかなきゃ。
発達障がいを持って生まれた人へ。
ごめんなさい。障がいのせいだと蔑むような文章を使ってしまって。
自分を責めないでね。(どの口が言うw)
障がいが個性と言われてもそんなの綺麗事だと思う気持ちは重々承知です。
だけど、障がいがあるからこそできることはきっとあるよ。私は言葉が達者だからこうやって経験を文字にしたり、独特な感受性をお芝居や音楽って表現に活かしたり。苦しいこともあるけど今は精一杯なんとなやってます。だから障がいがある人も諦めないで。生きて。

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