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エビの尻尾、カニの脚

コロナ前、大阪から遊びに来た友人と老舗の蕎麦屋さんに入ったことがある。
天ぷら蕎麦で有名な店だ。

特大のエビ天の尻尾を、私は残した。
そして、彼女に叱られた。
「エビの尻尾を残すなんてありえへん!」

彼女は、エビフライの尻尾も食べるという。
まあ、そうだよね。
私はそれも残してしまう。
すんません。。

川エビの揚げたのは丸ごと食べたことがある。
でも自分では作らないし、店でも頼まない。

想像してみると、サワガニの揚げたのは、ちょっとたじろぐ。
殻の部分が、口の中に刺さるような気がするのもあるけれど、サワガニの素揚げについている足が苦手だ。
たくさん足がついているものは、虫を連想させる。
でも、ズワイガニやタラバガニの脚肉には喜んで食らいつく。
足はダメで、脚ならOK。

生のエビを買ってきて、キッチンで殻を剥くとき、やっぱり足が気になる。
怖いというか、気味が悪い。
あれは脚ではなくて足だもの。

母が元気な頃、毎冬に郷里から香箱カニをお取り寄せしていた。
分不相応な贅沢であることはわかっているけれど、今年も1年頑張ったねの贈り物。

私は、そのカニに何のためらいもなく指を押し込んで甲羅を剥ぐ。
脚を切断し、剝きやすいようにさらに縦に切り込みを入れる。
外した甲羅を器のようにしてミソを盛る。
胴体の身も横に半分に切って、身を出しやすくする。
エビの殻を剥くような気持ち悪さはない。

この差は、私の虫嫌いに起因しているものなのかもしれない。
虫は無理。
世の中にイナゴとコオロギしか食べるものがなくなったら私は真っ先に死ぬと思う。

ちなみに、心の中で生物としての比重が大きいときは「蟹」と漢字で書き、食料としてとらえているときは「カニ」とカタカナで表記するのが、なんとなくのマイルール。
ペットとして買うのは「蟹」で、食卓に並べるのは「カニ」。

義理でイヤイヤ参加している飲み会で、たとえば会社や上司がお金を払ってくれるのなら、私はカニを食べる。
終始無言でカニをほじる。
人のまでほじってあげる。
ほじるのに集中しているから、人の話も聞いていなくて、相槌も上の空である。
ああ、しょうがないよね、カニだもの、という雰囲気になるから来たのだ。

おごってあげるから好きなものを言ってと言われて「カニ」と答えたら、私の場合、それはイヤイヤということだ。
カニじゃなかったら行かない。

若いころは、組織の宴会が嫌で嫌で仕方がなかった。
若い女性はお酌要員みたいな認識の男性社員が少なからずいて、いまならセクハラやパワハラまがいの行為や発言もたくさんあった。

そういえば、教育実習の最終日、教職員全員参加の慰労会があり、女性陣はひたすらお酌をして回らねばならなかった。
そのとき、ベテランの男性教員(教務主任だった)が、自分の空いたグラスを示して「おーい、ねえちゃん」と女子実習生を呼んだことは忘れない。

あとで実習生だけで集まって打ち上げをしたときに、私たちは本気であの教務主任を体育館裏に呼び出してボコボコにしようと相談した。
まあその話題で盛り上がっただけで、いくぶん溜飲は下がって、実行にはうつさなかったけれど。

思い返すと、あんな飲み会、よく行ったものだ。
特大のタラバをご馳走してくれると言われても、いまならもう行かない。


読んでいただきありがとうございますm(__)m