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見る気が失せる(ほぼ朝ドラ悪口)

つくづく私は性格が良くないと感じる。
まず無条件に人の善意を信じられない。
すべてに裏があるとは思わないが、少なくとも性善説ではない。
それだけならまだしも、あまりに疑わない人を見ると「なんで?」と思ってしまう。
「育ち」のせいかもしれない。

気を取り直して朝ドラを見た。
先週は、もやもや感が多かったので、週をあらためて新たなエピソードを見よう!と。
しかし、住み込みで寿司屋の見習いになったと思っていた道男が、一緒に猪爪家の食卓を囲んでいるのを見た瞬間「なんで?」となった。

しかも「ともこ」と呼び捨てにし、「花江ちゃん」と媚びを含んで呼びかけている。
申し訳ないがキモイ。
生理的に無理。
この距離感の詰め方が私には耐えられないのだ。

そういうことを学んで来なかったんだよ、学ぶ機会が与えられなかった気の毒な子なんだよとかばう声は多いだろう。
ならば、なぜいま周囲にいる「大人」が、礼儀や適切な距離というものを教えてやらんのだ。
私なら「『ともこさん』と呼びなさい!」と一喝する。

花江も花江で、なんであんなに「まんざらでもない」って感じで受け入れているのか。
不思議でならない。

猪爪家には書生も置いていたから、他人がいることに抵抗ないのかもしれない。
しかし、書生は「優三さん」だったのである。
人柄もさることながら、父親の銀行で働きながら法を学んでいた。
年月をかけて信頼関係や社会性を築いてきたのだろうし、ある意味父親の監督下にもあり、しかもすでに大人だった。

私は道男が本能的に怖い。
体の大きな少年であること。
教育や躾を受けていないこと。
怖いことをするかどうかは関係なく、精神的に未成熟で不安定な少年の存在そのものが怖い。

私が寅子なら、いくら懐いても愛する我が子は近づけたくない。
なんの抵抗もできない幼い女の子なのだ。
何をされているのかも理解できない年齢なのだ。
お父さんもお母さんもお兄ちゃんも優三さんもいないのだ。
自分は仕事で忙しい。

子供のころ、変質者にいたずらされそうになったことがある。
私は彼のことを親や警察に告げたが、真実は言えず「誘拐されそうになった」とだけ言った。
知らない人について行っちゃいけないとよく言われたものだが、近頃は知っている人だって信用ならない。

大人になっても警戒感が強いのは、思春期から一人旅を重ねてきたせいかもしれない。
一人旅をしてきたぶん、知らない人とすぐに打ち解けるという面も私にはあるのだけれど。

警戒感と緊張感と観察力、そして一瞬の判断力。
これらは生きていくのに欠かせないもの。
それらがない人を見ると、善い人なんだろうなぁとは思うけれど、ちょっととイライラしてしまう。

いやらしい気持ちがまったくなくても、「家族になりたい」「ここのうちの子になりたい」という願望や、親しさの表現が、その距離の詰め具合が、私は怖いし、生理的な嫌悪感がある。

道男をここまで引っ張る制作者の意図はなんなのだろう?
彼のエピソードの前までは毎日楽しみにしていたのに、なんだか見る気が失せてしまった。

そんなことにとらわれず、このドラマがずっと好きな人がいらしたら申し訳ない。
人が人やものを好きだと思ったり、一瞬で嫌いになったりするポイントって、人それぞれなのよな。


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