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私だけの連ドラ違和感

連ドラについて、心の底に澱のように溜まっていた違和感を書いておくことにする。
これは、自分の経験ゆえに感じた私だけのもの。
大勢の感動に水を差すつもりはないけれど、結果的にケチをつけていることになったら申し訳ない。

「海のはじまり」を、前回まで見ていた。
重いとか暗いとか言われていたけれど、私はむしろ「わちゃわちゃ」していないところがいい。
前回の終盤までは。

感想文にあらすじを書くような親切さは私にはないので、知らない人は「なんのこっちゃ」という話。(というか、あらすじしか書いてない「感想文」にはがっかりする。)
スルーされたし。

中絶に行った先の産婦人科に、落書帖みたいなノートがあるのはまあわかる。
私もその手術を受けたことがある。
日帰りで終わる手術だが、心身ともに疲弊した。

婦人科だけのクリニックならいいが、ほとんどは産科と一緒になっている。
生と死を同じところで扱う、病院の中でもっとも残酷な科だと思う。
「他の人も同じように病と闘っている」という前提条件に患者は救われるのだ。
何も話さなくてもわかる。
ああ、あなたもそうなのね、と。
せめて待合室だけでも分離してほしいと、私はもう20年書き続けているが、現実には難しいのだろう。

当時、そこに居合わせた人のほとんどは、私にとって「敵」だった。
攻撃したいというのではなく、見たくない、行き会いたくない相手。
そこでは誰にも共感できないし、してくれる人もない。
もしかしたら同じような人がいるのかもしれないが、早々に壁を作るのがもっとも自分を救う手段だと、本能が告げている。
だから一つの言葉もこぼさない。

落書帖があったら、絶対に触れない。
めくって、誰かの幸福感あふれる言葉を見たら、死にたくなってしまう。

有村架純演じる弥生は、中絶を誰にも知られたくなくてわざと離れた町のクリニックを選ぶ。
今後、通院する機会など絶対に発生しないようなところ。
だから、彼女が来たのは1度きりのはずだ。
つまり、手術直後に、誰かの寿ぎの言葉で埋まっているだろうノートを開いて、整った字で整った文章を書いたことになる。
ひとことふたことじゃないんだよ、これが。

手術して1週間とか1か月とか経ったあとなら、罪悪感と後悔の念に苛まれて書いてしまうというのはあると思う。
むしろ書いたほうがラクになる。

でも、直後?
痛みもあるし出血もする。
何より気持ちが混乱している。
慰めてくれる家族が付き添っているわけでもない。
大きなお腹をかかえた幸せそうな人たちの中で、冷静に読み手に呼びかける文章をノートに残すのは、私にしたら不自然極まりない。

それを、やはり中絶に来た水季(古川琴音)が読む。
ここで彼女は行動を翻すわけだ。

この二人の女性がこのノートで結びつく必要がどこにあるんだろう?
水季が誰かの言葉をきっかけに出産を決意したとしても、それを弥生が書いたという設定にしなければならない理由がわからない。
これって、ただ「そうしたほうが盛り上がる」からだけだよね。
私には、脚本家がこのシーンを見た視聴者を想像して「どうよ」「してやったり」みたいに胸をそらせている図が浮かんでしまった。

これって、作者が頭の中だけで考えた話だよね。
そうだ、弥生が書いたのを読んで手術をやめたことにすればいいと思いついたとき「やったね」とか思ったんだろうか。

そのために心理を無視して、中絶というできごとだけを利用した。
経験したことのない視聴者は、うまくごまかせると踏んだのではないかと、へそまがりの私は思う。

思惑通り、視聴者の99%は、ここに感動しているっぽい。
ここは「泣かせるところ」として用意されたシーンなのだ。
私は「ネタにされた」と思った。
違和感というより不快だった。

そうとは知らなかった父と子がどのように親と子になっていくのか、モトカノとの子をどうやって母として愛するようになるのかを期待して見始めたが、私は「一発アウト」の人だから、一度あざとさを感じてしまうと、もう復活しない。
なので、今日は続きの放送があるけれど、もう見る気をなくしてしまった。
きっとこれは、私だけの感想。

もうひとつ。
「笑うマトリョーシカ」で、若くして官房長官の座に就いた政治家の高校時代が描かれるわけだが、政治家を志す第一歩として生徒会長の選挙に臨む。
彼を政治家にしようとする友人や母親が指導というかコントロールする。
腕を上げてこぶしを握り、熱弁をふるうというシーンが過去も現在もある。

私はこれを見て、元プロテニスプレーヤーを思い出してしまった。
熱血が売りの人で、今回のオリンピックでも「うるさい」「口を出しすぎ」と非難の声が上がった人だ。

生徒会長を目指した高校時代ならわかる。
でも、いま令和の時代にも同じようにやるのは、なんだかすごく時代遅れの感がある。
しかし、ドラマでは、かつての高校生と同じように聴衆が彼に魅了されていく姿が描かれる。

原作未読。
たぶん、文章として読んだら普通に過ぎていくところだと思う。
そうなんだな、と。
でも、これを映像にすると、なんとなく昭和っぽくて、魅了されていく支持者の描写も含めて、どうにも気持ち悪いのだ。
カルトっぽい。
まあ、いまの政治自体がカルトっぽいので、これはこれで現実的なのかもしれないけれど。

それでもこちらは結末が気になるので、あとで録画は見るかもしれない。

ネトフリで「地面師たち」を見た。
原作未読。
原作よりバイオレンスっぽいという評だが、確かに視覚的にしんどい場面が多い。
でも、やっぱり「ちゃんと作ってある」という気がした。
いまの朝ドラも(大河も近づきつつある)、なんだか雑に感じる。

抜くところと丁寧に描くところのさじ加減が、私と合わないってだけの話。
良し悪しを述べているのではないので、ファンのかたにはご容赦願いたい。


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