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物をポンと投げて置く人

お昼の時間、今日の朝ドラの再放送の直前に以前の朝ドラを再放送している。(文章で書くとややこしい。)

とても評判のいいドラマだったが、本放送を私は見ていない。
見られる時間帯に家にいなかったというのが大きい。
再放送が始まった当初は、いまなら見られると楽しみにしたが、すぐに見なくなった。

ずいぶんと昔、そこに出ている俳優さんが離婚をした。
元の奥さんが語った離婚理由に「物をポンと投げるように置く」というのがあった。
ほかにもいくつかあって、人の心が離れるのは日常のささいな違和感の積み重ねなんだなぁと思ったものだ。

世間には「それくらいのことで」と、むしろ元妻のほうを責めるような風潮があった。
でも。

私は共感していた。
私も「物をポンと投げるように置く」行為が、そういう行為が平気な人が苦手だから。
ほんの一歩前に出て、ほんの少し腕を伸ばして、普通に置けばいいのに、それが面倒だとでもいうのか。

キーホルダーでも定期券でも郵便物でも、投げるという仕草が、まるでその物への暴力のように見えてしまう。
あるいは、不要な物、不潔な物、嫌悪する物を投げ捨てているように感じてしまう。
投げ置かれたテーブルや床やちょっとした台が、その瞬間ゴミ捨て場になってしまう。
それがいま、総菜を並べている食卓でも。

当該の俳優さんの元妻は、子供のころ、父親のDVを見たことがあるらしい。
母親がされたのか、自分がされたのか、詳細は知らない。
しかし、物を投げるように置く夫の姿を見て、怖くなったと言っていた。

その俳優さんは、優しそうだし、きっと暴力なんかふるわないと思う。
でも、妻は恐怖を感じてしまった。
当人しかわからないことだし、もしかしたら当人もどうしてそれだけで怖いのか明確な理由付けはできなかったのかもしれない。

たまに会社でも、抱えていたファイルをポンと投げるように置く人がいる。
デスクのすぐ前に立っていても、そっと置くということをしない。
きっとわざとじゃなくて、癖なのだと思う。

そんなに大きな音を立てなくても、私は嫌悪してしまう。
そして、この人の家族は平気なんだろうかと想像する。

恋愛とか結婚とか、私自身、どうやってやってきたんだろうといまは思う。
好きだったら、物の置き方なんかどうでも良かったんだろうか。
いや、そもそもそういう人は好きにならなかったのか。
結婚して初めて気づいて「あ」と思うのだろうか。
いや、少しずつわかってきて、緩やかに心が離れていくのだろうか。

私のときはどうだっただろう?
よく思い出せない。

結婚生活は26年続いた。
楽しかったのは最初の3か月くらい。
相手が嫌いになったわけではなく、一人になりたいから離れたくなったというのが最初だ。
嫌悪は子供が望めなくなってから後付けのように発生した。
それでも、実際に離婚を決断したのは、わりと直前。
離婚しようと思い、スッと実行した感じだ。
母が生きているうちはできないと思い込んでいたが、やってみたら案外簡単だった。
貧乏を我慢すればいいだけの話だ。

元夫は、ほとんどは普通に物を置いた。
でも、疲れて帰宅したときや酔っぱらって帰った夜は、テーブルに鍵や定期券をポンと投げた。
その数少ない光景を、いまも憶えている。


読んでいただきありがとうございますm(__)m