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プールの話  もりたからす

学生時代、水泳で県大会に出場した。入賞したような気もする。

母校には当時、水泳部がなかったのだから、これは「15年ぶり2度目の夏の甲子園出場」に匹敵する快挙である。

「帰宅部なのになぜか泳げるやつあるある」の例に漏れず、私はスイミングスクールに通っていた。しかし部活並みの練習量とはとても言えず、実のところ「週1回60分」という、気楽に痩せたいおばちゃん向けの水中エクササイズ講座みたいなスケジュールだった。

比較的競技人口の多い県庁所在地にあって、私のごとき人間が市中大会を突破する方法は一つしかない。それは「めちゃくちゃ速い先輩に誘われてメドレーリレーにエントリーする」である。

スイミングスクールの「選手育成コース」には、私と同じ中学に通う先輩が2人いた。先輩達は驚くべきことに週5で泳ぎまくっていた。そしてもっと驚くべきことに「隣のレーンに毎週火曜に来てる子って後輩じゃない?あいつ誘って今年はリレーも出よう!」などと勝手に決めていたのだ。

ここで母校創立以来初の4×100mメドレーリレー参加メンバーを紹介する。

1.背泳ぎ→仰向けで泳ぐために生まれた!バサロの鬼!A先輩

2.平泳ぎ→ほとんどエラ呼吸!ウィップキックが止まらねえ!B先輩

3.バタフライ→テニス部休みがち!なぜかめちゃくちゃ泳げます!同級生C

4.クロール→息継ぎができます!100m泳いでも死なない私

このオーダーは完璧だった。市中大会レベルでは背泳ぎ、平泳ぎで他チームに大差を付けた上、バタフライでもその差を維持したため、私に求められたのは本当に「途中で死なず、泳ぎきる」くらいのものだった。

「運動部から泳げるやつ呼べるなら帰宅部の土日を奪わないでくれ」と思わないでもなかったが、その後の学生生活も一貫して帰宅部or落語研究会として陰気に過ごした私にとって、ほとんど唯一のチームで何かを成し遂げた経験となった。

大人になってからも行動範囲が変わらないタイプの人生を歩んでいるので、当時大会が開かれたプールはいまだに最寄りで行きつけの施設だ。

遊具など一切ないから娯楽目的の客はいない。利用者は50mプールを黙々と泳ぐ。疲れたら粛々と休み、やがてまた延々と泳ぐ。そんな静謐でストイックなプールである。

そんな理想の場所も、週に一度、水中エクササイズ講座が開催される日だけは趣ががらっと変わる。講師が大音量で山本リンダを流し、おばちゃん達は曲に合わせて水中で蝶になったり花になったり、もうどうにも止まらない様子だ。

言葉選びが難しいが、ダンサブルなご婦人の波打つ肉体の気配を感じながら長水路を黙然と泳ぐのは至難の業である。水中でツボに入ると命の危機にも繋がりかねない。

それでも私は泳ぎ続ける。途中で死なないこと、それがかつて50mプールの往復に際して私に課せられたただ一つの使命であり、現に今も、上級者コースは途中で足を付くことが禁止されているのだから。

しかし山本リンダは面白すぎる。「はい、蝶になるー、花になるー、もっと足上げてー、今夜だけー、今夜だけー、はい、まだまだ止まらないー」と講師がずっと叫んでいるのも笑っちゃう。



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