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待合室では緩やかに  もりたからす

喘息患者なので、月に一度の通院が欠かせない。

混雑をやり過ごすため本を持って出かけると、あそこは意外に読書が捗る。

病院の待合室にはある種の厳粛さが漂っている。あれだけの密度で人が集まる場所としては例外的な「盛り上がらなさ」を誇る。

私の通う呼吸器内科などはとりわけて静かだ。患者が揃って気管に問題を抱えているため、喋っている場合ではない、という点が大きい。

診察を終えて向かう隣の薬局も、同じ理由で好環境といえる。

薬局は良い所だ。お金を払うだけで薬が貰える。私大文系の私はただでさえ理系の専門職に弱い。その上、気管を拡張したり炎症を抑えたりと持病の緩和・改善に効果のある薬までいただけるとなると、これはもうテキメンに懐いてしまう。

このような好意を露わにするのは少々小っ恥ずかしいので、人類の尻尾が退化していた良かったとたびたび思う次第だ。

ところで、病院にも薬局にも、およそ待合室なる所には決まって観葉植物が置いてある。

あれはレンタルというのかリースというのか、とにかく雰囲気作りのため外部業者によって設置されているようだ。

そのためかどうか、待合室の観葉植物は誰からも注目されることがない。大抵は隅っこに置かれ、やや調子が悪い。葉が黄がかったりなどしていて、緑色の栄養剤がぶっ刺してある。

「それにしたってこの状態はどうも」と思った翌月には、鉢は入れ替えられ、日当たりも風通しも最善とは言えない待合室の環境で、新たな観葉植物は繁り、そしてまた徐々に弱っていく。

私はこれを、メタファーとして捉えている。

弱った体には適切な薬があり、駄目になった部位は入れ替えれば良い。医学の発達は多くの「改善」を可能とした。しかしそれでも、どうしたって人は、緩やかに死へと向かう。

そのような摂理を忘れぬため、医療機関の待合室には観葉植物が置いてある。人が、やがて向き合うべき「死」を忘れぬように。

メメント・森。



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