形而上学と新井白石:和辻哲郎による

和辻哲郎の「日本倫理思想史」岩波文庫2012年 全4巻(初版1952年)を読み耽っています。以前も少し書きました

・その後、驚いたところ
和辻哲郎は美術評論家で哲学ぽいことも言う人だと思っていた。と言うのは「古寺巡礼」「イタリア古寺巡礼」とか「日本精神史研究」を時折参照していたし、ニーチェを研究したいと言っていたようなことをどこかで読んだような。その和辻哲郎がこんな実学的な政治的な内容のものを書いていたとは知らなくて驚いた。内容は為政者付属の学者の歴史である。
・知りたくて調べられなかったこと
以前から知りたくてどう手をつけたらいいのかわからないことがあった。例えば大河ドラマを見ていると、明治維新に際し尊王攘夷などの思想を伝える本を、主人公たちが読んでいたりするがそれはどんな本で何が書いてあるのか?この本の4巻には新井白石、荻生徂徠、本居宣長、平田篤胤、吉田松陰などのサマリーがある。まだ新井白石しか読んでいないが読むほど吃驚である。例えば新井白石は形而上や形而下という言葉を使ってシドッチというイタリア宣教師との対話の抄録をまとめているのである(図書館に貸し出し依頼中)
 さらに15−16世紀のキリシタンとの議論で、キリシタン側は地球が丸いとかプリズムとか日本人のキリスト教徒はキリスト教教義とセットで知っていたらしく儒教者がそのようなことは知らず興味もないと言っていた。(3巻 別記事)ということは日本には宇宙の起源や宇宙、星の運航について理論的な説明は一切深掘りされていなかったことがわかる。知りたかったのは日本には古来から星の読み解きは伝わっていたが(藤原道長の日記の裏書や陰陽師が天を読むことや藤原定家の日記)、星とは何か?とか宇宙とは何か?と考えてきた形跡がないがそれは確かだろうか?と常々思っていたので、この和辻哲郎の記事を信じれば日本ではその時期までほとんど考えられてこなかった、ということがわかった。となると西洋ではそのような理論が発達した背景はなんだろうか?ということになる。例えば、聖書がなぜ宇宙のはじめから海底入るがアリストテレスの実証的思想による肉付けが有効だったのか。古事記にも世界のなりたちが描かれているが、それを実証しようとした人はいなかった?と考え始めることができる。
・ここで書きたいこと
 ということをつらつら抜書きし始めたら例によって終わらないがここでは一つだけ。
 新井白石のことを読んでいたら宣教師シドッチとの問答をまとめた「西洋紀聞く」という本があると読んだ。シドッチ、聞いたことがある。思想とかでなくゲノム解析とかで、と思って調べた。
 するとこのような記事

 さらにwikiでは

そこに出ている書籍「篠田謙一『江戸の骨は語る 甦った宣教師シドッチのDNA』岩波書店、2018年」以前私はクレイグ・ベンターのゲノム解析、キャンらの人類単一起源説からペーボらのネアンデルタール人、デニソワ人などとの交雑について本を読んでいた中で目にしたものだった。
 骨があるので顔も復元されている。

 先にも書いたが、新井白石は「所謂形而下なるもののみを知りて、形而上なるものは、いまだあづかり聞かず」とヨーロッパの近代科学と信仰について感想を述べているのだが、すでに形而上、形而下という概念が「所謂」がつくほど定着していることである。形而上学の由来は『易経』繋辞伝とのことは知っていたが、新井白石が概念として知って使っていたことは吃驚である。私は形而上学という言葉は明治時代に翻訳され使われはじめた言葉だと信じていた。和辻哲郎はこの言葉を3巻でも使っているので実はさらにさかのぼれるのかもしれない。

ということでだから何?と言われると、なぜ幕府と天皇の関係が認識されていたか?幕府お抱えの学者が書にまとめていたから。宇宙の始まりや星の実体の議論や考察は日本ではほとんど顧みられなかった。形而上学などの言葉と意味は結構古そう。ということが和辻哲郎の本で見つけた、ということでした。

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