「論語」と「自己への配慮」7 論語は年長者に都合の良い思想か?それは誰に利用されたのか?
論語について、ギリシア哲学やローマ時代の実践において論語は多くの共通点があることがわかった。
はじめに書いたように、論語は教育勅語に活用された。教育勅語は年寄りには便利だが若者には窮屈な内容だと考える。
では日本では論語はどのように活用されてきたのか?今回は、國學院大のサイトから始めて和辻哲郎の見解を紹介する。
國學院大学のサイトによると、古事記に論語は現れており、應神天皇の皇子に教えていたとある。
また、同サイトによると「聖德太子(厩戸王)が制定した『十七条憲法』(※1)の第一条「和をもって尊しとなす」も『論語』の教えを取り入れている。」とのことである。
この紹介文に続いて、「石本教授は「『論語』の教えの中から日本人はその時代時代で、主体的に自分たちにとって価値のあるものだけを選んできた」。」書いてある。
この態度は現代のキリスト教原理主義者が聖書から都合のいいところを抜き出して主張することと何ら変わりがない。
それだけ論語は貴重で権威が高かったのだろう。
この國學院大学のサイトでも、そこから先は江戸時代まで飛んでしまう。せっかくなので間も埋めてもらえるといいな、と考える。
では、なぜ江戸時代まで飛ぶのか?
その間のことは和辻哲郎の「日本倫理思想史」岩波文庫2011年版 3巻の187-194ページあたりに詳しい。ただし現代ではこれが正しいかわからない。この本は1952年の出版だから。学問が進み更新されていることを期待する。
以前この本を少し紹介した箇所は秀吉のころのことだった。
https://note.com/astrolabe_jp/n/nae62f4a2c1db
その後の時代のことを少し紹介すると、和辻哲郎は新井白石を引用しがら述べる。秀吉のキリスト教への禁教・追放以来、
「キリスト教に対する仏教の反撃ははなはだしくなり、キリスト教に邪教の烙印を押した。」・・・「しかし仏教が正教であるかどうかは疑わしい。」p187、
なんとこの勢いで、仏教は儒教もキリスト教の道連れにしたそうである。
「仏氏の徒、そのすでに勝の勢に乗じて、吾儒をあはせて駆り除くべきの計に出候歟。(新井白石全集6巻550ページ)」p188
説明は省くがここに本佐録という著者不明の本が登場、天照大神の神道は「正しさをもはらとして、万民をあはれむ」ことを極意。これが儒道と同じと説いた。これが功を奏して「武士階級の指導原理として儒教を宣伝しようとする本佐録が神儒一致の立場」とのことである。
かくして幕府では儒教による統治をすすめ、新井白石や荻生徂徠といったお抱え学者に研究させ、助言をうけた。
つまり儒教は日本の古代から中世での影響力は限定的で、江戸時代からの影響力であったと考えられる。
この後の儒学は国学へ向かい、日本の歴史について研究して日本書紀などを紐解いて天皇の重要性に気がついた。尊王の概念。それが明治への思想の動きにつながる。お抱え学者により自らの政治的基盤を少しずつ切り崩されてしまっていた。これは和辻哲郎の4巻に詳しい。
さて、その和辻哲郎の同書4巻の明治時代についてのところを読んでいると、「日本道徳論」が西村茂樹によって出版され(明治19年の講演。岩波文庫版1935年)、西洋と日本の諸思想を融合した試み(要は都合の良いところを取り入れる)である。
まだ「日本道徳論」の序論を開いたばかりだが吃驚である:西洋では下等の人々をキリスト教でまとめ中等以上の人々には哲学で「人智を開発する」と、いきなり宗教や倫理による統治から話が始まる。もちろん中国、日本ではと話が広がるが、今の日本ではこのような言い方はしないし、できない。なぜなら、中等、下等と言うのはいいが経済ベースなのかどのようなファクトがあるのか、主体はどこなのか、施策の展開をしているのは誰なのか、一種の陰謀論にも見える。それでも西洋に統治されないようにするには、そのために西洋の統治のメカニズムを道徳や宗教から考察している強烈な思考を感じる。
さて、和辻によれば西村の西洋哲学の知識が深くなくうまくいかなかったらしい。そんな西村ではあるが、儒教を取るかキリスト教を取るか考え、儒教の欠点として、
1 当時入ってきた科学に合わない
2 儒道の教えが消極的
3 尊卑に不平等
4 男尊女卑
5 尚古主義
を挙げている(p301)。「日本道徳論」で確認。
つまり、今から見れば男尊女卑で古めかしいと思われる明治時代においてもさえもなお儒教は古めかしいと考える人がいたのである。
儒教が男尊女卑という評判があったことで、ギリシアはどうなんだ?と言われたらフーコーの「性の歴史2、3巻」によれば、実はギリシアは奴隷もいれば男尊女卑は当然、女性には妻になる人にさえも教育を施さなかったらしい。一方、ローマは妻をなるべく尊重しようとしたようで、ムソニウスのルフスの、性欲に溺れ奴隷の女に手をつける夫は、そういうことをしない妻よりも、自己制御できないという意味で夫は妻よりも下の立場になるべしという論説<下女の問題>もあるらしい(性の歴史3巻 自己への配慮 pp224)。もちろん奴隷女をどうしようが夫は自由にできていたらしい。これはアメリカの奴隷制のハリエット・アン・ジェイコブス「ある奴隷少女に起こった出来事」堀越ゆき訳をまざまざと思い起こさせる。
ギリシア哲学にせよ古代中国にせよ2500ー2000年前の話である。つい先ほどまで女性には参政権はなかったし教育も受けられなかったしマラソンだって走らせてもらえなかった。夜の1人の外出はもってのほかである(イタリアですら)。
本題から逸れるが、「日本倫理思想史」4巻を読んでいて面白い記述を見つけた。福沢諭吉は「日本が誇るべきは、皇統の連綿ではなく、「開闢以来国体を全うして外人に政権を奪はれ足ることなきの一事」p294と紹介しており、モダンな解釈である。
和辻哲郎の日本倫理思想史をまだ通読していないので教育勅語のことが書いてあるかどうか今の所不明であるが、論語の古めかしさが認識されていたことがわかったのは収穫。そのほか、儒教が戦国時代に復活して以来の浅い伝統であることなど思ってもみなかったことがわかってきたのでさらに調査を進めたい。
論語を活用して保守的で専政主義的に近づく勢力もいれば、リベラルに向かう一派もいたということは権力のあるところ抵抗があるというフーコーの「性の歴史1巻」の権力観を思い出し、ますます興味が湧いてくる。和辻哲郎の本の続きの一冊は藤田正勝による「日本哲学入門」であろう。藤田氏の本には残念ながら国学などとの葛藤が描かれていない。それはまた別の本を探そう。
確かに論語には自己への配慮と言える自己の陶冶の概念や政治的なパレーシアと言える実践が含まれ、教団というか学校も組織している。そして論語はQA形式でもあり、これはギリシア哲学の対話形式でもあるしスコラ学のQA形式でもあると言える。しかしギリシア対話やスコラ哲学的な長大な議論への萌芽は認められず短文である。
和辻哲郎の本を読んでいると宗教的闘争が近世でも日本で繰り広げられており、今のような多くの宗教の習合的なあり方にはなっていないことに驚く。ではいつ、お正月は神道で人が亡くなったら仏教で、お盆があり、クリスマスをお祝いするようになったのか。色々な考え方の良いところを取り入れるという考え方のもとでこのような習合的になったのか。過去にはクリスマスが商業主義と言っても受け入れられない心性の時代があったのをどう変え(わっ)ていったのか。
まとめ
我々は「論語」の古めかしさ、家父長制、男尊女卑から解放され始めていると喜ぶべきか、教育勅語を賛美しようと戻っているのか、世の中が経済と人口がシュリンクして、さらに移民の問題がナショナリズムを刺激して右傾化している現代ではうっかりリベラルなことを言うのは実世界ではやめた方が良いようである。また右派左派や保守・リベラルという括りも施策の個別の取り扱いによって一概に決まらない。
ここで終わる予定が和辻哲郎に「孔子」という本がありギリシア哲学とともに考察したという本を見つけたのでそのレポートを執筆してこのシリーズを最後にするつもりです。
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