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ChatGPTによる真理の勇気

ミシェル・フーコーの講義録の「パレーシア」について新約聖書でパレーシアを講義していた方法論を真似て、5世紀の偽ディオニシオスの「神名論」のパレーシアを提示、さらにエリウゲナによるラテン語訳についても併せて調べてみました。そして神秘主義とキュニコス派についても議論してみました。

精神分析の「告白」の起源(3) エクサゴレウシスについて(続き)

今回はようやくεξαγόρειυσιςの実際の例をみることにしましょう。 フーコーの講義集成の引用先を確認しておこう。すなわち9巻「生者たちの統治」筑摩書房pp365、注53 によるとBailly, Dictionnaire grec-français, Paris, Hachette, 1929, p. 692を見ろと出ています。 もう少しヒントないかと思って原書を探す。するとこれも原本のスキャンがインターネットですぐ見つかる。 雰囲気出すためにスクリーンショットにしま

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精神分析の「告白」の起源(1) フーコーの「肉の告白」の参照先の文献をチェックする その1 エクソモロゲーシス

「告白」を精神分析で行うことは心の治療になる、として広く利用されている。ではなぜ告白はそのような効果があると考えられるようになり、いつ告白は生まれ、どのように告白するのか、誰がどのように聞き取るのか、告白の制度や権力はどうなのかなど、フーコーの議論をフーコーが引用しているキリスト教初期の3から4世紀ごろの文献確認をしながらたどりたい。フーコーが提示するキリスト教関連のギリシア文献やラテン語文献は上智大学の中世思想原典集成でその雰囲気を味わう程度で訳出されていない文献が多く、し

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精神分析の「告白」の起源(2)エクサゴレウシス

 前回は、エクソモロゲーシスは通常の告白の意味から公的な場での演劇的な告白という意味まで含んでいることを読んだ。  フーコー「肉の告白」を読み進めると、次は同じ告白でもエクサゴレウシスという言葉の説明が行われる。オリジナルのフランス語からChatGPTで機械翻訳させよう。 バシレイオス(330頃-379)を注80として参照している。それが以下。 (実は、注80の参照先を以前のスキルでは見つけることが出来なくて、記事の企画を立てたもののずっと実現できず。ミーニュは通し番号なの

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その2 アレクサンドリアのクレメンスにおけるパレーシアとエクソモロゲーシス(興味ある人向け)

第一回に続きます。 今日の参照ページはこちらです p103, 121, 136, (次回以降 165, 250, 259, 260, 271) 原本は下記 http://khazarzar.skeptik.net/pgm/PG_Migne/Clement%20of%20Alexandria_PG%2008-09/Stromata.pdf 前後関係を読んでなくて理解して申し訳ないのですがどうも使徒的活動や肉体的活動は受肉のキリストと同等と言っているように思います。その上で使

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アベラール

12世紀の神学者・哲学者・修道者のアベラールについて

アリストテレス「形而上学」とアベラール「概念論」

リチャード・ルーベンスタイン「中世の覚醒」、小沢千恵子 訳(紀伊國屋書店2008年)pp180によるとアベラール(1079ー1142)はまだアリストテレスの形而上学の翻訳が届く前にアベラールの形而上学の7巻13章1038b1-14の結論を先取りしていたという。ちょうどアリストテレスの形而上学を年末年始読んで4分の1くらいまできたので調べてみたくなった。  いつものパターンでアリストテレスの該当ギリシア語とそのChatGPTによる翻訳を列記してみよう。 まずはギリシア語から

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中世キリスト教修道院における修道の核心その10 沈黙3/3(フーコー) ChatGPTでアベラールとエロイーズ

前回の続きです: フーコーの「主体の解釈学」における沈黙  それではこれらの文書を貫く「沈黙」の系譜についてフーコーに基づいて調べたい。そこで調べてみると「主体の解釈学」(筑摩書房)にピュタゴラス、セネカ、エピクテトスなどとキリスト教との関係について記述がある。  キリスト教時代に先立ち、「自己の実践」における「ロゴス的な聴取」の「純化」をどのようにすべきか、 1 ピュタゴラス派などの「沈黙」pp386 2 能動的な態度pp388-9 3 語られた真理と与えられる教えp

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中世キリスト教修道院における修道の核心その9 沈黙2/3(戒律・会則・司牧論) ChatGPTでアベラールとエロイーズ

前回のアベラールの沈黙について、戒律から背景を探る。 戒律にあらわれる沈黙戒律について概論はこちらの後半にまとめてあります。 沈黙についてはディダケー、ポンティコスには見出せなかった。もしくは気が付かなかった。 アウグスティヌスの修道院規則  序「⑨無益な会話をしてはならない。」とあるが続けて「早朝からそれぞれの仕事のために座に着いているべきである。 三時課の祈りの後も、同様に、それぞれの仕事に従事するべきである。それぞれにとって霊魂に有益である場合を除いては、立った

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「ロマネスク世界論」 池上俊一先生による修道院の説明

 池上俊一先生の「ロマネスク世界論」名古屋大学出版会1999年 は当時すぐ買って読んだと思うが改めて現在アベラールとエロイーズのレポートを作成しつつ読むと、こちらの理解も深まり先生の本も素晴らしい内容を持っていることがわかった。  アベラールとエロイーズ、偽ディオニシウス、カッシアヌス、ベルナール、ベネディクト修道院規則などとの対応を少しメモしておこう。後の便利さのためである。ベルナールが修道院長がなんでも命令できるわけではなく戒律の範囲内といったことがわかったのは収穫。おそ

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ロマネスク美術など

ロマネスクはじめ美術作品について

ヨーロッパ中世 修道院の同性愛 コンクとヴェズレイの彫刻をもとに

 フランスのカトリック教会コンクのサント=フォワ(*)のタンパンの彫刻のこの右端のウサギ耳の動物はウサギの頭を持った堕天使とのことで男色(ソドミー)の象徴とのことで反自然とのこと。  調べたところ、ウサギはギリシア時代から毎年肛門ができると誤解されていたり糞食する動物だかららしい。男は下向きに縛られて焼かれている。そして、顔も下向きにうなだれて火の中にいるカエルにキスされている。カエルとキスをするとキリスト教の教えを全て忘却するのだとか(出典不明)。なお、男色という言葉は否定

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フランスのプロヴァンスにあるロマネスク様式のサン=ジール=デュ=ガール寺院の卒論の一部をアップロードしました。 著者は30年ちょっと前に亡くなった友人で、一緒に現地に見にいきました。 https://quartetgrape.wordpress.com/saint-gilles-du-gard/4-2-1/

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南フランスのサン=ジル=デュ=ガールという教会のロマネスク彫刻について

 どのくらいこのことについて書いたのかわからなくなってきましたが、一度まとめておきます。40年弱くらい前に学生時代に友達に連れられてフランスのロマネスク寺院のいくつかを回った。ロマネスク彫刻の写真を撮影したのでネットで公開する時に解説記事をつけようと思って、美術史や哲学の本を読んで時々レポートしています。  20世紀終わり頃全世界的に流行ったフランスセオリーの煽りを受け、ロマネスク美術の評論にもデリダの獣論やラカンが引用されるようになっています(例えばKirk Ambrose

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ChatGPTによる「アダムとイブ」とアウグスティヌスのリビドー

James Joyce はかのFinnegans Wakeを下記のように書き出している: riverrun, past Eve and Adam’s, from swerve of shore to bend of bay, brings us by a commodius vicus of recirculation back to Howth Castle and Environs. どれだけ混ぜこぜな英語を読み取れるだろう?柳瀬尚紀氏の本は持ってるけど今は見ずに。と

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私は選択的夫婦別姓を認める派

明日終わってしまう「虎に翼」にも話題になった夫婦の姓の問題。いわゆる選択的夫婦別姓問題。日本伝統の戸籍制度がー、とか言っている人がいるが。  かつて『諸君』や『正論』を読み、西部邁氏の論考にも触れてきました。彼は保守的な視点を持ちながらも、単なる右派とは異なる独自の考え方を示していたと感じる。  最近、旧ツイッターなどで選択的夫婦別姓の話題がよく取り上げられている。この議論は長年続いているにもかかわらず、法律面ではまだ大きな進展が見られない。ただ、社会の実態としては少しずつ認

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ロマネスク教会のコンクの地獄(煉獄)絵図ー中絶・堕胎

フランスのオック地方にあるロマネスク教会コンク(Conques)の地獄絵図の解読はエミール・マールの本に載っているけど全て載っているわけではない。アンブロワーズ・セグレさんによるコンクのタンパンの詳しい解説がある。ただし、学術的に認知されたものかわからない。引用文献で目立つのはル・ゴフの煉獄の誕生くらいである。 https://www.art-roman-conques.fr/english/step5.html  直に読んでもなかなかわからないのでgoogle機械翻訳(

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「家父長制と資本主義」上野千鶴子と「なぜ男女の賃金に格差があるのか」クラウディア・ゴールドウィン

先日の私のへっぽこ記事で 終わりの方に、上野千鶴子氏の思想を彼岸に、クラウディア・ゴールドウィン氏の記事を現世に例えた。フーコー風にいうと現世での成功はアンチ・プラトンやアンチ・アリストテレス。  上野千鶴子氏の同書の7章「家父長制と資本論の二元論」はわかりにくく現在4度目の読解中であるが、7.3節「資本制下の家事労働:統一理論の試み」ではこれまで大風呂敷を広げてきたことが、家事労働の無償制→有償メニューになると高額で払いきれない→女がやるしかない構造的現状(家父長制)→有

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ところが夫が家事を手伝うと妻にダメ出しされる

家庭のシリーズ その3を追加しました。  時々職場の男性に「家事を手伝っている?」と聞くと、「嫁にダメ出しされて、『そんな言うならお前がやれ』と言って、やめちゃったよ」という返事をする人がいました。(念のため強調しますがこれは私の家の話ではありません。)  その男性は、子育てがほぼ終わりつつある世代です。これから子育てを始める人や、今まさに子育て中の男性に対して、私は「家事って最初は嫁さんにダメ出しされるかもしれないけど、嫁さんには『そのうち上達するよ。だから、気長に取り

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平安文学・漢文など

源氏物語、枕草子、蜻蛉日記、樋口一葉など

「論語」と「自己への配慮」8 和辻哲郎の「孔子」

 「論語」は自己および他者を育てる要素もあり「真理の勇気」の概念も持っているが、復古政策と親近性が高く、賛美するには批判的要素を確認する必要がある。論語を元にした儒教は武士の支配体制の道具であった。  下剋上をよしとしてきた武士は自らが政権を握った時、自分たちに下剋上されると困るので、社会を保守化・固定化する必要に迫られ儒教を奨励し学者を抱えた。ところがそのような学問を深める中から賀茂真淵は儒教が盛んだったはずの中国で国が乱れていたので儒教は空理空論と手厳しい。  さらに賀茂

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「論語」と「自己への配慮」7 論語は年長者に都合の良い思想か?それは誰に利用されたのか?

論語について、ギリシア哲学やローマ時代の実践において論語は多くの共通点があることがわかった。  はじめに書いたように、論語は教育勅語に活用された。教育勅語は年寄りには便利だが若者には窮屈な内容だと考える。  では日本では論語はどのように活用されてきたのか?今回は、國學院大のサイトから始めて和辻哲郎の見解を紹介する。  國學院大学のサイトによると、古事記に論語は現れており、應神天皇の皇子に教えていたとある。 また、同サイトによると「聖德太子(厩戸王)が制定した『十七条憲法』(

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「論語」と「自己への配慮」6 自己の形成について

いよいよ本題かもしれません。自己への配慮の概念を論語も共有していたと仮説をおいて、論語ではどのような自己を形成するのか、例の如くフーコーの分析に対置して行きましょう。 まずはフーコーによるギリシア哲学からのセネカ、マルクス・アウレリウスについて  人生の中で時間を無駄にしてはいけない、自分を成長させるために労力を惜しんではならない、ということが強調されています。  次に古代ギリシア・ローマの要素から論語の世界に目を向けよう。時間については以前取り上げました。有名な「吾十

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「論語」と「自己への配慮」5 パレーシアをできる人を育てる学校について

前回は政治的なパレーシアで、リスクを低くするには君主に信頼されてから、ということや司馬遷についても触れた。  このようなパレーシアをできる人を育てるために孔子は活動していたと言えるだろう。その学校について私は論語以外に何も情報を持っていないが、例によってフーコーにより古代ギリシアのエピクロスの学校の紹介をしてもらう。 では論語ではどのように語られるか: 教育が必要であること: 先進第十一 一九(二七二)  子張がたずねた。―― 「天性善良な人は、べつに学問などしなくても、

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