「家父長制と資本主義」上野千鶴子と「なぜ男女の賃金に格差があるのか」クラウディア・ゴールドウィン
先日の私のへっぽこ記事で
終わりの方に、上野千鶴子氏の思想を彼岸に、クラウディア・ゴールドウィン氏の記事を現世に例えた。フーコー風にいうと現世での成功はアンチ・プラトンやアンチ・アリストテレス。
上野千鶴子氏の同書の7章「家父長制と資本論の二元論」はわかりにくく現在4度目の読解中であるが、7.3節「資本制下の家事労働:統一理論の試み」ではこれまで大風呂敷を広げてきたことが、家事労働の無償制→有償メニューになると高額で払いきれない→女がやるしかない構造的現状(家父長制)→有償メニューになると家事労働は「費用を著しく引き上げる」ため、そのような「労働者の階級としての生活水準」を上昇「資本の利潤を引き下げ」したがって「資本制にとって自殺行為」となる。したがって資本制を超克するしか女性解放はなく、資本制への戦いとなる。
となると私の過去記事にまとめた体験もその大きな流れの中にあるのかもしれない。
氏はp300ページ(付論、ハードカバー版)には老人介護のことにも言及している。出版された1990年からすると現在はこのウエイトも大きくなっている。
またフェミニズムのインターナショナリズムへの言及、さらにはインターセクショナリティの萌芽にも触れている。これはアンジェラ・デイヴィスの引用が欲しかった。
p306には「もっともありそうにないのが、「夫の対等な家事育児参加によって」妻の家事負担が軽減されるケースであろう。」」と述べている。今日のイクメンは不十分であるかもしれないが、働き方改革でかなり残業や休日出勤が減り、男が家に帰りやすくなっている。転勤についてはどうだろう?
とは言え出世がかかってくるとアメリカの会社が能力給のところでは夜も夜中も上司からのメールが届くような事態にまだなっているかもしれない。
経済が1990年の頃より減退し活力もないが、格差が広がっているとして、マルクス主義革命の標榜は可能だろうか?
さて、クラウディア・ゴールドウィンの本の「おわりに」に今をときめくカマラ・ハリスについて述べられている。夫のダグ・エムホフは「お手本」「相応しい」「道」を辿っているということである。「アメリカ副大統領というスーパーウーマンとたまたま結婚している男性として、世の男性に、嫉妬ではなく誇りを持ち、妨害ではなく、可能にする方法を示している」
そのような男性の反対像はこちらのドラマ:
このような事例でなくても夫が平社員で妻が管理職で収入が上回った例の家庭での難しさを、ルポ記事だけでなく実際の事例として聞くようになりました。なんと女性が家でもめるのを見越して昇進を断るケースもあるとか。
また多くの女性向け漫画では結婚までは強引なお金持ちのエリート男性との恋が大量に描かれる一方、結婚後が主体の漫画ではそのようなエリート男性のモラハラ、仕事を理由とした家事育児介護への非協力、妊活での実家との対応の怒りなどが描かれます。結婚した生活を描いた漫画で、女性が仕事しながら家事育児実家対応で私幸せという漫画を見たことがありません。このような漫画を見ていたら未婚の女性は結婚、子育てなんてしたくなくなるに決まってます。
それをフェミニズムの枠で語るのがいいのか、現在の働き方改革やイクメンというワードで収められるのか、マルクス主義による私的財産を放棄するような大きな話ではなくても家庭の中の他者であるパートナーと「真理の勇気」を持って対話しないといけないのでしょう。
参考 紹介した本の目次
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