見出し画像

上野千鶴子氏の「家父長制と資本主義」に引用されているミシェル・フーコー

上野千鶴子氏のフーコー好きは有名か?
氏は確かに女ぎらいでフーコーの本を読んでインスピレーションを受けたことを書いている。
それはすでにレポートしました:

さて、家父長制と資本制を読んで、フーコーネタを少し拾ってみる。
まず明示的な引用、
1 第8章「ミシェル・フーコーは「性の歴史」の中で、近代的な性道徳は「家族」の中に<性>を押し込めたと指摘するが、その裏面は、「家族」が歴史上かつてない<性化(sexualize)>されたことでもあった。」(岩波書店ハードカバーp166)
2 第11章の注(3) 「フーコーは<近代>を、性に関する脅迫的な言説が異常に増殖した時代だと見る」(フーコー性の歴史 第1巻 知への意志)

明示的ではないがフーコーのスタイルだなと思うところ:
3 家父長制と資本性が日本で始まった系譜学的な追跡として、近代の既婚女性でなく未婚女性が女工哀史のストーリーに落ちていくところの描き方。第8章p173
4 娘が親の所有物で、結婚とともに夫の所有物になるというのはフーコーの性の歴史 2、3巻を思い出させる。一般的に言われていることかもしれないが、この当時では。たとえば第4章p58
レヴィ=ストロースの引用がおりに触れされる。この引用によってマルクス、フロイトから確かに目をそらすことができる構造主義の重みを感じさせる。
5 マルサスの人口論からのストーリーはフーコーの言葉と物を思い出させる。
6 第8章の2節にルソーの「新エロイーズ」の話を持ってきて日本に話を展開していく。見事である。これも理論や思想に文学をくっつけて語るフーコー流を彷彿とさせる。
7 第一部と第二部の間にある 批判に応えて を読むと極めて闘争的な生を感じさせ、フーコーの晩年のパレーシアとディオゲネスの称揚、キュニコス派の提示を強く思い起こさせる。氏はおしゃれなのが異なるが。
8 経済学がオイコノミアだとするのはフーコーの性の歴史の第2巻のギリシアでの家庭の管理を前提に明示的ではないのだが、日本の近代家庭の考察を入れている。13章2節。失念したが前半にもオイコノミアは出ていた。

ほかに自己放棄というフーコーがキリスト教の実践を説明する時によく使う言葉も出ていた。

ところで氏の引用文献を昨年のノーベル賞のクラウディア・ゴールドウィンの「なぜ男女の賃金に格差があるのか」の引用文献と比べると見事に重なるものがなく、解放の思想つまり彼岸、と現世の経済学の違いを感じる。

関連
続きの記事です:

以前書いた記事です:


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?