ヨーロッパ中世 修道院の同性愛 コンクとヴェズレイの彫刻をもとに


フランス中世ロマネスク寺院 コンク サント=フォアの正面タンパン彫刻の一部

 フランスのカトリック教会コンクのサント=フォワ(*)のタンパンの彫刻のこの右端のウサギ耳の動物はウサギの頭を持った堕天使とのことで男色(ソドミー)の象徴とのことで反自然とのこと。
 調べたところ、ウサギはギリシア時代から毎年肛門ができると誤解されていたり糞食する動物だかららしい。男は下向きに縛られて焼かれている。そして、顔も下向きにうなだれて火の中にいるカエルにキスされている。カエルとキスをするとキリスト教の教えを全て忘却するのだとか(出典不明)。なお、男色という言葉は否定的なニュアンスがあるので以下、同性愛という言葉を使う。
(* コンク、サント=フォアについての説明は下記リンク先に )

 同性愛の歴史はフーコー の「性の歴史」で取り扱われている問題=極の一つでもあり哲学の問題として興味深い:2巻「快楽の活用」を読むと、プラトンの著作が紹介されている。古代ギリシアでは恋愛は女性に向けてするものでなく、年上の男性が年下の男性に向かってする一方通行のものであり、男同士の恋愛の様式を取り出している。
 プラトンの「饗宴」を読むと年上のソクラテスと年下の男(アルキビアデス)が、(年上の)愛する男と(年下の)愛される男があべこべになって、年上のソクラテスを年下のアルキビアデスが口説く物語が出てくるが「ソクラテスはなびかなかった」という話である。ソクラテスはギリシアの同性愛の様式の世界を当たり前に受け入れてはいるが「自制心」を持って「少年を支配下に置く・置かない」の関係を避けたプラトニック・ラブを成就するのである。
 フーコーの性の歴史3巻になると第6章にヘレニズムの頃の若者愛のことが書かれているが同性愛が弱まってきており、かなり異性愛が強くなってきているとの説明である。
 一方、フーコーは講演「自己のテクノロジー」岩波書店1999年では同性愛は修道院に引き継がれたとしている(p36)。
 ところが、フーコーはキリスト教初期を扱った「性の歴史4巻 肉の告白」では少年愛について述べていない。
 LGBTで同性愛へ世界的に寛容になってきた最近の雰囲気から、キリスト教は初期から同性愛厳禁で痕跡は残っていないと思っていた。しかしながら、フーコーの「性の歴史2巻 快楽の活用」のリファレンスであるボズウェルの「キリスト教と同性愛」を読み始めたら、11世紀頃まで同性愛はそれなりに続いていたようなことが書いてあり認識が変わってきた。
 また、ボズウェルの本の訳者の解説でフーコーが絶賛したことを報告しているが、その絶賛した時期は1982年。フーコーが「肉の告白」の草稿を書いていた時期と重なり、この本を読んで大きく執筆を変更しなくてはいけなくなったのは想像に難くない。なぜなら、その後に書かれ、1984年に出版された「快楽の活用」、「自己への配慮」では、ギリシアと帝政期ローマについての家庭での性愛に加え,同性愛が大きく取り上げられているから。そこから見ると先に書かれた「肉の告白」は、同性愛の話題を取りこぼしている。巻を貫くテーマが揃っていないことがフーコーの遺言でこの本について出版不可を宣言した理由ではないかと(なんの裏付けはなく)思う。(第2巻「快楽の活用」でキリスト教文化と近代文化にあっては・・・女らしさとか両性間の交渉とかの形象を特色とする景観への移動の実現を極めて早い時期に表わすだろう・・・そうは言っても男同士の恋が消えてしまったわけではない。ボズウェルを参照、としている)

 そのボズウェルの本の扉の写真をみていたらよく見る写真を見つけて驚いた。それがフランス ロマネスク彫刻でよくしられるヴェズレイ(ヴェズレー、Vézelay, https://quartetgrape.wordpress.com/hypomnemata_of_romanesque/vezelay/)の一つ。

Vézelay(ヴェズレー)のSte-Madelene(サント・マドレーヌ)の「恐怖に顔が歪むガニメド(ガニュメデス)」。鷲に変身したゼウスがお酒のお酌係に美少年のガニュメデスを誘拐するオウィディウスによる神話が元らしい。adso_jpは私の別名義。筆者による撮影。

 この柱頭彫刻は美少年のガニュメデスを近くに置いておくためにゼウスが鷲に変身しさらって天空へと飛んでいっているものだという。お酌係にと言ってもガニメデ(ガニュメデス)にゼウスの同性愛の要素がある。

 これをヴェズレーに置く意味は?肯定?否定?と悩んでいましたが出典の「キリスト教と同性愛」国文社 ジョン・ボズウェル 大越愛子・下田立行 訳 1980・1990 を読み進むとpp. 257にありました:

「誘拐する鷲の爪の中の脅えたガニュメデスの描写は、その時代の同性愛のある面に対する図像作家側からの否定的態度、おそらくは修道院内で子供の助修士を性的に濫用する場合があることへの避難と解釈されてきたが、それはたぶん正しい」

引用文献としてForsyth, Ileneの論文 The Ganymede Capital at Vézelay. Gesta: International Center of Medieval Art 15, nos. 1-2 (1976):241-46 下記に公開されているようです↓

https://faculty.risd.edu/bcampbel/ForsythGanymedeatVezelay.pdf

さらに、ボズウェルは注で鷲は聖ヨハネを思い起こさせる。これは偶然以上のものではないかもしれない、としている。

一方、ボズウェルの話とは別系統で、ヴェズレーのパンフレットでは、

https://4travel.jp/travelogue/10722521

さらりと訳されているようです。

さらにボズウェルはヴェズレーの今属しているサンスには同時代の詩で同性売春の場所としている(ただし、当時はヴェズレーはオータンの司教区に属していた)。その詩の一節は下記(ボズウェル 同書 pp266):

 現在に至るまで、シャルトルとパリは、ソドムの悪徳に浸りきっている。

 今やサンスのパリスもまた、一人のイオとして現れる。

そしてさらに注があり、パリは都市名で、パリスはトロイ戦争のパリス(男)。イオはゼウスに愛された女。とたたみかけています。これはライデンにある唯一の写本だとか。
というわけでヴェズレーでは児童虐待が修道士によっておこなわれていた、それに対して否定的な意味を表現(ガニュメデスによる恐怖に満ちた表現)という解釈がありえるということでした。
 このように修道院の中で同性愛が実践されていたからそれを戒める表現があったと言うのは興味深く、それが本当ならば、フーコーの性の歴史はフーコーによって書かれなかった修道院内の同性愛というテキストベースのテーマがあったはずである。フーコーの講義をみても、「自己への配慮」の後はパレーシア分析に移ってしまっているのでどのようなテキストを使ったかなどはわからなくなっている。テキストベースでの同性愛の系譜を展開できればフーコーらしいかもしれない。
 ボズウェルの同書の第8章には修道院での男性同士の愛が指摘されている。改めて見るとベルナール(pp233)やアベラール(pp245)も出ている。アベラールについてはダヴィデとヨナタンのテーマの6番目の哀歌が「恋愛につきものの用語」を使っているとのこと。(pp245)
 ロマネスク彫刻は性についての表現はしばしばあからさまで性器を目立たせるものもあり、ゴシックとは趣が異なり、性以外についてもゲルマンの要素を思い出させファンが多い。

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