コリャードによる懺悔録 日本中世のキリシタン(カトリック ドミニコ会)による性の告白 2 ドチリナ・キリシタンによる告白の規定

前回は直接、懺悔録を紹介した:

その内容のポイントは、前回から今回の告白までに、どんな罪をどのくらいおこなたかを語っている。ではその時期についてどのように決まっていたのだろうか?という問いには当時の日本語訳したキリシタン教理書が伝わっている。ドチリナ・キリシタンである。

 「キリシタン教理書」教文館1993年によれば

一年に一度コンヒサンを申すべし。(第4のマンダメントとして)

同書 p41

と定められている。したがって語られていることはこの一年に犯した罪である。
どのような趣旨で告白すればいいのか?

p44 科(とが)はデウスに対し奉りての狼藉なるによって、それを悔ひ悲しみ、以後再び犯すまじきと思ひ定め、コンヒサンを申すか、せめて時分を以てコンヒサンを申すべき覚悟をなし、科を悔ひ悲しむ事これコンチリサンとて科を赦さるる道なり。(コンチリサン=痛悔)

告白はもう2度としないということを強調しなければいけない。したがって事例の人妻との、あるいは、交わる体位についてももう2度としない、そういう覚悟で話しているはずである。そうしなければ永遠の生命が救済されないから。
 p81には、 告白して許しを得ないと地獄に落ちる、ことも見えている。

 キリスト教の入信し初めての告白については、2回目については、

まづはじめて申すコンヒサンならば、パウチズモの以後の科よりその時までの事を申すべし。
 一度申して以後のコンヒサンならば、前のコンヒサンより又その時までに犯したる科の上を思案して一つも残さず申すこと肝要なり。

p83

と決められている。「一つも残さず」それゆえそのような行為を何回行ったか申告していると考えられる。

 さて、ではこの教理書の全体はどのように構成されているか

第1 ご一体のデウスを敬ひ貴み奉るべし
第2 デウスの貴きみ名にかけて虚しき誓ひすべからず
第3 ご祝日を務め守るべし
第4 父母に孝行すべし
第5 人を殺すべからず
第6 邪淫を犯すべからず
第7 ろう盗すべからず
第8 人に讒言をかくべからず
第9 他のつまを恋すべからず
第10 他物をみだりに望むべからず

同書pp51

本文によるとと、この10戒はマタイ22:37-40, マルコ12:29-34、ルカ10:26-28に基づくという(頭注による)。神を愛せ、隣人を愛せということである。
 なぜか性に関わることが、第6、9とばらされている。
第4があるのは意外である。
 ここから見てみれば、コリャードの告白はそれを聞き出しまとめた物であることがわかる。すると救済されなくなることがあらかじめ決まっており、その科を犯したならば年に一度告白して救済を求める。キリスト教そのものの1、2はともかく、3は現実に休みが重要であることが認知され休みが取れないとブラックと言われるので現代にもつながる。5も人の主権概念の確立とともに普遍化、7も同様、8も今日一般的、10も同様と考えるとキリシタンに伝わったヨーロッパの思想は今日でも一般的と言える。
 ところが、教会がこのような事を禁止しても実行力ある罰があるのが日本の宗教界との違いかもしれない。いや日本の宗教界でも罰は明確なのかもしれないのでそれは置いておく。つまりドチリナ・キリシタンではこれ以上見つけられなかったが、これとは別に贖罪規定書があり罰が明確に決められている。例えば阿部謹也先生の「西洋社会の罪と罰」(弘文堂)、「西洋中世の男と女」(筑摩書房)。
 男と女の方のp159を見ると、「愛撫はいけません、深いキスはいけません、オーラルセックスはいけません、変わった体位はいけません、一回だけです」とブランデージという研究者のまとめた図を紹介している。
 これをみれば前回「臀(しり)よりすれば」という言葉があったりすることが引っかかって懺悔として残されているのだろう。今日ではどうでもいい。
 それにしても、このように決めたからこそそれを逆にすれば、ますます興奮できる性産業コンテンツとなり、消費しているのかもしれない。そう考えると告白録、懺悔録というものは、かつては救いの完徳を求める書物だったのかもしれないが、後代の人々にとってはポルノに近づくあるいはポルノそのものとして読まれたものなのかもしれない。
 このように性に関する事柄はタブーどころか聞き取られたものは後代になるほどより精密に聞き取られ、心の奥底はどのようなものであったかが分析され、本にもなり拡散されたのである。今日では、性について語ることはタブーであると皆が思い込んでいたが、2世紀中盤からこのようにタブーどころか性的言説はますます発展し、例えば精神病理学につながっていったという逆説がフーコーの性の歴史第1巻の一つの主張である。もちろんこれは今日から見ると話題作りとしてフーコー上手だったねという気がするが、実際、本が出版された当時の上野千鶴子先生を含む性解放運動論者をして熱心に読まさせるべくフーコーが作り上げた世界でもある。


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