「謙虚」と「腰が低い」は違う
「謙虚」の大切さ
「謙虚であること」の大切さは、いくら年次を重ねてからも変わらない。
若い頃から無駄に自身がある奴は先輩から嫌われるし、年次にあぐらをかいて横柄な上司は誰からも慕われない。
謙虚であることは味方を増やし、仕事をスムーズにする。
でもたまに「謙虚」と「腰が低いこと」を履き違えている人がいる。
「謙虚」と「腰が低いこと」は違う
若いころ、「謙虚であるべきだ」と思っていた僕は、いつも自分のことを低く見積もる発言をしていた。
例えば、発言を求められた時、
「僕がこんなこと言うのは生意気なんですけど…」的な枕詞を必ずくっつけていた。
若造が意見することに「生意気だ」と思われるのが怖かったし、
もし発言内容が的外れだった場合、その間違いがこの枕詞によって少し緩和される気がしたからだ。
でも今になって思うのは、こういう発言は自身の成長を妨げていたなということ。
「謙虚」と「腰が低い」ことは違う。
「謙虚」は実力がある人間が、能力に奢ることなく他人に接することだが、
「腰が低い」のはただ、自分の発言や行動のハードルを下げる行為でしかない。
「僕がこんなこと言うのは生意気なんですけど…」という言葉は間違いなく後者。
謙虚などではなく、
「まだ僕は若手なので、間違ったことを言っても許してくださいね」
という自分の発言に保険をかける行為でしかなかったのだ。
要は一見、謙虚に見えるだけで、ちょっとずるいのだ。
こういった「腰が低い発言」は、僕が4年目に入った時に意識的にやめた。
年次的にも精神的にも、発言や行動に対する「保険」としての意味合いの比率の方が大きくなってきたからだ。
ただ、リスクを背負わない発言に重みはでない。
周りを動かしたければ、どこかで甘えを捨てなければいけない。
つまり痛みを伴わないと成長はできない。ってこと
おそらく、この「腰が低い」発言、やめてすぐのタイミングが一番辛いはず。
年次や実績はそこまでないのに、自分の意見や行動をグイグイ前に出すことになるので、人によってはちょっと「生意気」に見えるからだ。
でも、ソレはきっとアナタのこれからの実績が変えてくれるはず…。
自分が自分を低く見積もっているうちはそれ以上高いところにはいけませんよ。
まずは無意識な「予防線」「保険」「甘え」を意図的に捨てて、防御力ゼロで壁に挑んでみよう。
そこで受けた傷を乗り越えてこそ本当の成長が待ってます。
実力や実績が出てきた人は常に「謙虚」に生きましょう。
「謙虚」になれるのは実力のある人だけです。
僕も早く「謙虚」のフェーズに移りたい…。
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