私のトリセツあんど備忘録 ⑥ ”お人好し” ?
私の性格を端的に表現すると、”まじめでお人好し” となると思う。
長年の友人 (ものすごく控え目でありえないくらい遠慮がちな人) でさえ
そう評するのだから、筋金入りなんだろう。
標準装備で 「いい人」 というか、子どもの頃からデフォルトで 「いい子」 で、
教師をはじめ大人たちの覚えは非常にめでたかった。
親から 「いい子にしてなさい」 としつけられたわけじゃない。
その親からして 「どうしてそんなにいい子なの?」 「そんなにいい子にしなくていいんだよ」 と言われるくらいのいい子だった。
周りに気を遣い自分を後回しにしがち なのは、ほとんど生まれつきの性質と
いっていいのかもしれない。
自分自身に対しては頑固で融通が利かない (不器用で、途中で路線変更する
という発想に乏しく、自分ファーストが不得手) 一方で他人に対しては融通
を利かせすぎるというバランスの偏りも特徴のひとつだ。
頼まれるといやと言えず、自分が人に何かをお願いするのも苦手 でほとんど
自分がやってしまうタイプだ。
こうして文章化すると、自分でも不器用で生きにくそう、という印象が否め
ない。
自分が気を回す質なものだから、気を遣わない・気の利かないタイプの人に対して以前はすごく狭量だったと思う。
たとえば、スーパーの入り口をふさぐ恰好でおしゃべりに夢中になっている
おば様たちなんかに対して、周りが見えないのか、といちいちイライラして
いた。
「すみません、通ります」 といえば済む話だったのに、だ。
おば様たちが自らの過ちに自発的に気がつくことを待つ、あるいは無言の圧
力をかける、なんてことは、ただひたすら時間と労力の無駄だというのに。
こういうふうに、他人に無駄な期待をする、ということは、案外皆さんも
やってしまっていないだろうか? (私だけ?)
自分の中の正解こそが世の正義、という自己中心性な視野狭窄状態 に、
無自覚のまま陥ってしまうなんてこと、ない?
私たちの前から颯爽と去っていった岩熊さんだった人、私に 「他人を許せるようになればもっと人生が楽しくなる」 と言い残した。
ほんと、私にはいつも言葉少なめで謎かけばかりする人だったなあ。
私は自分が他人に不寛容だという自覚がなかったので、「何を許せっていう
んだ?」 と首をひねったものだ。
だって私は正しいんだから (⇦ そういうとこだぞ)。
お人好しで利他的なのに他人への要求も高い って、なんか歪だよね 💧
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?