私のトリセツあんど備忘録 ⑫ 沈黙は金、とは限らない
理不尽や嫌なことに対して、黙っていてはいけない という例をもうひとつ。
「無言の抗議」 「軽蔑のまなざし」 あるいは 「無視という名の拒絶」 なんかを
正しくキャッチし、自分の行ないを省みることができる人もたくさんいる
だろうとは思う。
しかし残念ながら、こちらが発するサインを自分に都合のいい形に歪めて
しまう人も大勢いるのだ。
そういう相手には、明快な言葉、断固たる行動で、わからせるほかない。
いじめを受けた人に対して 「気にするな」 「相手にするな」 という助言は
まったくもって見当違いで役立たずのおためごかしだ (「逃げろ」 なら可)。
すぐに相手と距離を置くか、それが難しい場合には、やめてほしい旨を
はっきり伝える、それでいじめが止むことはまずないだろうから、周囲の
人に相談する、周囲や上の人間が役立たずなら、警察でも弁護士でもなん
でもいいから、とにかく大ごとにする。
もちろん、こういう順番を律儀に守る必要はなく、効果的と思われる手段を
臨機応変に選んでかまわない。
肝心なのは、人目を気にするよりも、なりふりかまわす自分の感情を露わに
することは、決して非難されるべきことではないということだ。
恥ずかしいのは、いじめられることや感情的になることじゃない、
いじめやいやがらせをすることだけが、救いようがなく恥ずかしい のだ。
正しい行ないをすることで、まちがった行ないを正すことはできない。
そんな相手に対して、自分だけは正しくある必要なんかない。
それから、嫌なことをされた時に、気にしない・無視する・スルーする・
同じ土俵に立たないことが賢いやり方だと思われがちだけれど、相手の
次元まで降りていって対峙する・思い知らせることが必要な場合も往々に
してある こともつけ加えておく。
特に “気にしない” ようにするということには無駄なエネルギーを消費
するだけなので、さっさと気にして対処法を考える方が有効だろう。
”無視” は、それを容認と受け取ってエスカレートするケースや、相手に
されなくてむきになるというより、反撃されるリスクが低いと解釈して
調子に乗る、といったケースも多いように思う。
「粘着質の人は空気を読まない」 ということや、「耐え忍んでいたところで、
その姿に相手が心を打たれ、悔い改めてくれることなんかない」 ということ
と本質的に同じなのだ。
もちろん、反撃されたことで相手が余計に態度を激化させることもありうる
ので、そういう時はできるだけ予備動作なしに物理的距離をとることを優先
させるべきだと思う。
自分が他人の目にどう映るかを気にするより、自分を守るために柔軟に動く
瞬発力を鍛えておく、これがけっこう重要だと、私は心に刻んでいる。
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