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webは決して双方向コミュニケーションに向いたシステムではない

明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

さて新年1発目の話題として正しいかどうかはさておきまして、昨今私がずっと感じてきた「違和感」を整理したいと思います。

webは果たして双方向コミュニケーションに向いたツールなのかどうか。

Twitterで日常となっている言い争い

分かりやすい例としてSNSを挙げます。TwitterでもFacebookでも、普段よくお使いのツールを思い浮かべてみて下さい。Twitterの方がよりオープンな世界なので理解しやすいかもしれませんので、本稿ではTwitterを例に挙げます。

Twitterでは、毎日世界中で色んな事がツイートされています。そしてそれに対して色んなリプやリツイートがされています。特に時事問題、今であればコロナやアメリカ大統領関連等は一つのツイートを契機に議論に発展することも多々あります。著名な人同士が言い争っている光景はもはや日常となっています。

しかしながら、これらの議論は果たして生産的なのでしょうか?コロナで言えば、医療を重視する人と経済を重視する人がぶつかり合うケースが散見されますが、議論がかみ合うのを見ることは殆どありません。しかも、こうした意見を表明する人は極端に偏った思想を持つ人が多いのも特徴です。コロナで言えば「コロナはただの風邪」論です。ただの風邪だと本気で思っている人に対して、いかに医療が逼迫している状況を説明しても、ただの風邪なんだから入院させなければいいだけ、で終わります。同じく、最近では日本人のトランプ信者の暴走も散見されます。彼らはトランプが勝って当然、バイデンは中国とつながっていて不正をしている、という思想を絶対視し、信憑性の疑わしい記事をも平気で拡散します。ネトウヨvsパヨクと揶揄されている、左右対立の両端同士がバトルをし、中間に居るサイレント・マジョリティは傍観しているという構図が日常風景になっています。

世界は端ではなく、中庸の中で動く

他方、世界は常に落としどころを探りつつ、ちょうど良い中間点に解を見出して動いていきます。左右両極端の思想が、自分が勝者とばかりに戦っていますが、いずれかが完全勝利するようなことはありません。必ず、お互いの落としどころを見つけ、中庸なポイントに落ち着くのです。

ただ、極論を発するノイジー・マイノリティは、こういうバランス感覚に優れた思想を持ち合わせていません。持ち合わせていればそもそも極論には走りません。よって、つまるところ議論は平行線を辿り、最終的には人格攻撃に近いような、泥仕合が繰り広げられてしまうのです。

webも結局は一方向コミュニケーションツールなのかもしれない

そういう中で、最近私が思うのが、SNSをはじめとしたwebツールもあくまで双方向ではなく一方向のコミュニケーションツールなのではないか、という仮説です。

20世紀の最後にwww(ワールドワイドウェブ)が登場しました。私も今まで見たことのないものにワクワクしました。色んな可能性が広がった気がしましたし、事実、可能性はどんどん広がっています。当時言われたのがwebの強みの一つが双方向コミュニケーションである、ということです。確かに、技術的には双方向性が実現しています。web草創期に大学生だった私は、某スポーツ選手のHPの掲示板に書き込みをしたところ、その方から返信が来たことに興奮した覚えがあります。これがwebの双方向性かと感動しました。確かに、技術的にはこうしたやり取りは可能です。Twitterでも、有名人のアカウントにリプライをすることは容易です。かつての私のように、返事がくるかもしれません。繰り返しますが、技術的にはこうしたことは可能です。

ですが、実質的に、本当に双方向コミュニケーションをweb上で”円滑に”運用することは可能なのでしょうか?私はこの点が大いに疑問で、一つの仮説として不可能なのではないかと考えています。先述のTwitterで巻き起こる左右両極論の対立。双方向性が寧ろマイナスに働いている場面とも言えるのではないでしょうか。実際、トランプ大統領の登場も相俟って、世界は分断の方向に進んでいます。相容れない左右の極論は妥協を産むのではなく、対立を加速させています。

結局人は対面コミュニケーションでしか双方向性は成り立たない?

私の尊敬し、大いに参考にしている方の一人に、チームラボ代表の猪子寿之さんがいます。猪子さんはこのコロナ禍を受けて、以下のような発言をされています。

「大きな流れは変わらない。『アフターコロナ』のようなものはないと思っている。今の状態がいつまで続くかはわからないが、収束後の世界は元に戻るはずだ。過去にも疫病は多くあったが都市化が止まったことはない。人は長い年月をかけ密へと向かっている」

これを受け「反分断」がこれからのキーワードとする、いつもながら極めて理路整然とした理論を展開されています。いずれにせよ、猪子さんはリモートがアフターコロナのニュースタンダードになるのではなく、結局は密(=対面)に戻ると予測しています。全くの同感です。

人が真剣に前向きで生産的な議論をする上で、やはりオンラインは不適なのです。昨今の状況を受けてオンライン会議やオンライン授業、またはオンライン飲み会をした方も多数おられるでしょう。確かにオンラインによるメリットもあります。座学の授業や承認を目的とした定例会議ではオンラインの方が良いでしょう。これらはかなり一方向のコミュニケーションだからです。一方、ブレストをしたり、白熱した議論をする上で、オンラインは不適です。これは電話やメールだと難しいのと同じで、やはりその場で顔を合わせ、温度感や空気感を感じながら話をする必要があります。でなければ、Twiiterで見られるような、落としどころのない議論が続いてしまうのです。グローバル会議など、なかなか一堂に会するのが困難な場合の緊急避難的な使い方として有用ですが、やはり可能な限り会って話すべきなのです。

Twitterで相容れない議論をしていた二人も、もしかしたら会って話せばもう少し分かり合えるかもしれません。人は実際に会うことで大なり小なり相手を配慮します。相手の立場を理解しようとします。空気感を感じます。顔の見えないオンラインではそういう優しさは持ちにくいのです。

webはあくまで一方向性と考えた方が適切では?

webが世界を変えたのは間違いありません。ただ、あくまで一方向のコミュニケーションにおいて、大きく進化したと考えるべきでは、と最近強く思っています。双方向コミュニケーションも勿論改善された点もありますが、寧ろ悪化した部分もあり、双方向性はwebの本来の強みではない、ということです。

例えば、いわゆる「ググる」行為。これは一方向であり、とても有意義な使い方です。webの無い時代、何かを調べるのは大変でした。本屋で本を買ったり、テレビで見たり。私は2児の父ですが、「赤ちゃんの夜泣きを少なくするにはどうしたらいいのか?」と思った時に「夜泣き」でググれば色んな体験談等が出てきます。勿論、有象無象ですので取捨選択が必要で、リテラシーが別途必要です。有用なアプリを試してみたり、ビニール袋をシャカシャカやってみたり(うちはこれらが効きました)。Googleがなければ、周りに聞いたり、本を買ったり、たまたまテレビで特集されていればそれを見て学んだでしょう。今は先ずwebがあります。夜中でも答えが出てきます。これこそが、webの最大の強みの一つかなと思います。YouTubeも大変便利です。あの音楽が聴きたい、今日のスポーツの結果を見たい、そういった時に動画で簡単に見れます。わざわざ音楽番組やスポーツニュースの時間を待たなくて良いのです。これもまた、一方向のケースです。

上述の左右極論についても、反論するのではなく、あくまで一方向の情報と考え、一つの意見として見るのは有意義だと思います。こういう思想の人も居ると知ることは、多様性の第一歩です。多様性とは、受け入れがたい考えを打ち負かしたり説得したりすることではなく、また受け入れようと努力することでもなく、それはそれとして認めることです。わざわざ反論したり、論破する必要はないのです。

世界はトランプ大統領の登場を契機に一旦分断の方向に向かいました。コロナ禍もそれを助長させている点もあります。他方、世界は最終的には反分断に向かいます。これは歴史的な反省も含め、大局的には今もなお、そちらに向かっているのです。トランプやブリグジット、コロナ禍はその反動のようなものです。株価が長期的に上昇に向かっていても一旦短期的な反発が起こるのが常です。そういう中で、webも大局的には反分断を推し進めるツールとして使われていきます。我々も、そういうことを意識しつつ、あくまで一方向で極めて便利なツールとして、webを活用した方が良いかな、そう思っております。(実はこういうエントリーをnoteで匿名でやっているのもその一環です。議論を呼び込みたいのではなく、こういう考え方もあることを知っていただき、自分なりの意見を持っていただければそれが私にとってのゴールです)

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