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ばりすたろーど3

朝が来ました。

といっても、皆さんが想像されるような、明るい希望に満ちた朝ではございません。アルプスの少女ハイジのように「今日は何をしようかしら」なんてルンルン気分でその日を夢想するような、麗らかな朝ではございません(見たことはないので偏見ですが)。

そこにあるのは、もっと陰湿な朝です。真っ暗で、冷たくて、夜の残りが染みついたような気怠い朝が、私をじっとり見つめています。そんな空間で、ああ起きたくない、起きたくない、とふわふわの布団にしがみついて二度寝への憧憬に浸るのが、私の日課でした。バリスタの朝なんて、こんなものです。今日はそんな、じめじめとした薄暗い朝を、少しお話したいと思います。

朝は携帯のアラームを消すところから始まります。ピリリリと鳴ったら、半分眼を開きながら、音の出所を探します。ベッドの横に併設された小ぶりな棚の上に左手を置き、玉石混交とひしめくガラクタの間を蛇のようにうねうねと手を這わせていくと、漸く何かにぶつかります。スマートフォンのスクリーン独特の、冷たく滑らかな感触が指から伝わり、私は思わず、ビンゴ、と心の中で叫ぶのです。スマホ、ゲットだぜ。

0.1にも満たない視力で画面を凝視し、得体のしれない化け物のような文字を解読して、急いでアラームを止めます。画面が真っ暗になると、スクリーン上には私の手の脂が浮かんで見えます。(毎度手の脂を見るたびに、綺麗にしなければという思いが頭をよぎるのですが、それは5秒もすればすっかりto do listの最下層に落ちてしまい、意識の上からぽかんと消えるのです。人生、その繰り返しです。悲しいことです。)

ふう、と息をついて、スマホを棚の上に戻します。まだ夜に塗り潰されている天井を眺めながら、そろそろ起きようか、と自分への説得を続けます。睡魔に屈しようとする自分を、叩き起きなければなりません。

時間は5時20分。早いです。冬のシドニーでは、これ朝なの?と訝りたくなるほど、外も部屋も真っ暗です(日本でもそうでしょうが)。「なんて早起きな青年なんだ!」と感服される方もいらっしゃるかもしれませんが、これは別に早起きは三文の徳だの、健康志向に目覚めただのという殊勝な心構えからではなくて、外発的な動機、カフェをオープンしなければならないという、歴然とした義務感ゆえの行動であります。(因みに私は完全な夜型です。だからこそ、私は早起きという行為を嫌悪し、あるいは憎むまでしてきましたが、「仕事だ」と言われれば仕方なく起きざるをえないので、「生きるには早起きは必要なんだ」と虚しく自分を慰めたりするのでした)

私はベッドの脇にあるライトスタンドを点け、むっくりと起き上がり、その場で仕事着に着替え始めます。仕事着と言っても黒のズボンに黒のTシャツ、寒ければ黒のパーカーを被るというだけで、それを着ればコナンの犯人もびっくり、黒一色の姿になります(シドニーではこれが飲食店の正装らしいのです)。

着替え終われば、忍び足で部屋を出ていきます。ドアの横のベッドには、相部屋のインドネシア人が獣のような鼾をかいて眠っています。驚き給うな、毎日それです。私は、彼の息が止まってしまわないだろうか、無呼吸症候群にならないだろうか、と心配しながら、彼の横をそっと通り過ぎ、リビングへの扉をゆっくり開きます。勿論、扉を閉じても彼の鼾は健在で、その音の大きさに、私はただ畏敬の念を覚え、そしてちょっとだけ、羨ましいような気持ちになるのでした。

リビングを通りキッチンに行けば、ほとんどの確率で家のオーナー、ベネッサに出会えます。しかし彼女は私とはちょっと事情が違っていて、というのも、彼女はずっと起きているのです。彼女は自分の飼っているペットの世話をしなければならず、いつの間にか5時になっているらしいのです(「いつの間にか」の次元が違うような気がしますが)。おはよう、と私が挨拶をすれば、彼女は半分塞がった眼をこちらに寄越して、疲れたような笑みを顔に浮かべ、「あら、もう5時なの?」とため息をつきます。彼女は動物たちの世話のために時間の感覚を忘れてしまっているようで、私が来ることで漸く時間を認識するのですから、私はまるで、自分が5時しか鳴かない鳩時計になったような気分になり、けれどもそれはそれで、まんざらでもないような気になるのでした。

私はトイレで用を足し、洗面所で顔を洗い、冷蔵庫から朝ごはんのリンゴを取り出します。リンゴをフリーザーバッグの袋に入れ、ジッパーで密閉します。部屋に戻りリンゴの入った袋を鞄の中にしまい込み、その鞄を手にしたまま、家を後にします。歩きながらスマホの電源を点けると、5:30の文字が浮かんでいます。計算通り。私はにんまり笑って、最寄り駅へと歩を進めます。

外は暗いです。寒いです。私はアウターをしっかり羽織って、夜に似た朝を足早に歩いていきます。冷ややかな冬の闇が、私の手足に絡みつくのを感じます。信号待ちで空を見上げれば、日本の都会では見られないであろう星々、無数の小さな輝きが、私を睥睨しています。

電車に乗れば、オレンジ色の作業着を着た大柄なおじさんたちが、眉間に皴を寄せて眠っています。彼らの多くは工事関係の労働者で、早朝から夕方まで働いています。街の中心地(セントラル)までは30分ほど時間がかかるため、私はガタイの良いおじさんたちと一緒に、椅子の上に体重を預け、ゆっくりと眼を閉じるのです。

セントラルは朝から賑わっています。道の脇では髭面のおじいさんたちが楽器を演奏し、駅の売店では客が店員と何やら親し気に話し込んでいます。私のように、パーカーを被ってとぼとぼと歩くお兄さんや、仕事への活力に漲るスーツ姿の女性もいます。中にはスケートボードで颯爽と人々の間を通り抜けるような、ファンキーな若者もいました。

そんなカオスな光景を横目に、私は鞄からリンゴの入った袋を取り出します。少し小さめのそのリンゴは、スナックとしては丁度良いのです。私はカフェへの道を歩きながら、リンゴを一口、二口、と齧っていきます。シャリシャリとした食感と共に、甘い果実の匂いが口から鼻へと通り過ぎ、そのまま喉へと流されます。(リンゴをそのまま齧るのは、ただ純粋に切るのが面倒くさいからです)

カフェの前まで辿り着く頃には、リンゴには芯だけが残ります。そうすれば、仕事への準備は完了です。消化されていくリンゴの残滓を感じながら、ふと頭上を見上げれば、先ほどまで闇に浮かんでいた星々がすっかり消え失せ、代わりに薄明かりが空を埋め尽くしていきます。ああ、朝が来たんだ。明るい朝がやってきたんだ。私はそう安堵の息をつきながら、私は薄闇の中に佇むカフェをぼんやりと見つめます。今日も1日、客の注文に奔走し、店長からは叱られるだろうな。過去から今日の1日を推測し、様々な感情がシチューの具材のように混ざり込みます。

それでも、やるっきゃないよな。ぐっと腹に力をこめ、私は鍵を差し込みます。左手につままれたリンゴの芯が、頼りなさそうに視界の端で揺れています。私が丁寧に鍵を回せば、ガチャリと心地よい感覚が脳天を貫きます。その瞬間、私の頭はコーヒーで一杯になります。

そうして、バリスタの1日は始まるのです。





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