#3 袋一杯に詰まった野菜の重み <農作業ボランティア編>
2週間ぶりにこんにちは。
更新が遅れてしまい申し訳ございません。
皆様いかがお過ごしでしょうか。
いつの間にか金木犀が香り、鈴虫が鳴く季節となりました。
あのちょっぴり郷愁的な残暑を味わいたかった気もしますが、今年は夏の定時退社を尊重することに致しましょう。
さて、前回までのあらすじです。
<前回までのあらすじ>
「幸せはゴールではなく前提」というふざけた理想を真面目に叶えるため、再度、農業に向き合った僕は、都内で募集していた農作業ボランティアに参加することになりました。
ということで今回は「農作業ボランティア参加編」になります。
朝靄のなか
四月下旬の肌寒い朝でした。
始発電車にはほとんど人は乗っておらず、わずかながらに乗車している人々も大抵は眠たげです。が、無理もございません。なんといってもその日は日曜日でしたから。
僕はそんな殺風景ながら悪い気のしない東京の一部に溶け込み、正直に申しますと、いくぶん緊張しておりました。
そして、ある小説の一文が耳に残ったメロディのように何度も反響しておりました。
『あのイーハトーヴォのすきとおった風、夏でも底に冷たさをもつ青いそら、うつくしい森で飾られたモリーオ市、郊外のぎらぎらひかる草の波』
――ポラーノの広場(宮沢賢治)より
ご存知の方もいらっしゃいますでしょうか。『イーハトーヴォ』とは宮沢賢治の造語です。彼の心象世界にある理想郷を指す言葉だそうです。
たかが十数キロ先の農園にお邪魔するにしては大仰でしょうか。
僕もそう思います。ですが、その時はこれから向かう先がそれほど別世界のように感じられたのです。
100年以上の歴史を持つY農園さん
電車とバスを乗り継いでY農園さんに辿り着いたのは、七時をちょうど回ったあたりだったでしょうか。
空はすっかり目を覚ましておりました。気持ちのよい晴天です。
木でできた看板をくぐって畑へと入ると、スマホで電話をしている男性が見えました。
「はじめまして。場所、分かりづらくなかった?」
Y農園の主――前山田さんは三十代くらいの、人の良さそうな方でした。
「まずはうちの農園を案内するよ」
5000㎡ほどの敷地には、様々な作物が元気に育っておりました。
ビニールハウスの中では、キュウリ、トマト、ナス、オクラ。
露地にはルッコラ、ホウレンソウ、小松菜などの葉物野菜。
ちょっとした余剰スペースにはハーブの類も植えてあります。
「年々増えちゃっ大変だよねえ……今年はばあさんが鶏卵やりたいって言うからにわとりも飼う予定だし」
前山田さんは苦笑いを浮かべてそう言います。
サニーレタスの袋詰め
農園見学を終えた後は遂に作業のお時間です。
「じゃあレタスの袋詰めからだね」
オレンジ色のコンテナに、収穫されたばかりのサニーレタスが山積みになっております。
前山田さんはレタスを一つ取ると、バケツの中の水で洗浄し、縦長のビニール袋に詰め込みました。テープで封をすれば完成です。
一連の作業を前山田さんはさらりとやってのけます。
簡単そうに見えて難しいことが容易に想像できました。
「コツは優しく入れすぎないこと。レタスも袋も丈夫だから程よく力入れちゃっていいよ」
試行錯誤しながら採れたてのサニーレタスを袋に詰めていきます。
はじめはやはりスムーズに袋詰めすることができませんでしたが、数をこなすにつれ、徐々に慣れていきました。
目の前の瑞々しいレタス1つ1つがやがて誰かの食卓に並ぶのだと思うと、ふつふつと責任感が湧いていきました。
春大根の収穫
レタスの袋詰めを終える頃にもなると、僕たちはだいぶ打ち解けていたと思います。
「よし、次は大根引っこ抜きに行くか。軽トラの後ろでも大丈夫だよね?」
そう言って前山田はちょっぴり不敵に笑います。
何だかわくわくするような童心が湧き起こって、僕は「はい!」と即答しました。
わずか数十秒ばかりのことでしたが、軽トラの荷台から見る住宅街の景色は不思議なものでした。
冷静に考えれば意外なことではないのですが、東京という街にもこうした親しみやすい風景があるものなのだと感慨深く思ったことを覚えております。
畑に着くと、小さいものから大きなものまで、ピンと空に向かって生えている茎を一本一本素手で引っ張っていきます。
前山田さんによると、春大根はまだ根っこが太らないうちに花が咲いてしまう「とう立ち」という現象が起こりやすいのだそうです。
そうなると、見た目も味も悪くなってしまうのだと教えてくださいました。
「春大根は作るの難しいんだけどね、やってみたかったんだよね」
腰を屈め、両手で大根を一生懸命引き抜きながら前山田さんは楽しそうに言いました。
初めての農作業を終えて
「はい、これ。さっき採った大根とホウレンソウと小松菜、きゅうりも入れてあるから持ってて」
ボランティアのお礼にと、パンパンに詰まった野菜袋を頂き、農園を後にしました。
僕は爽やかな充実感に満たされていました。それは農作業をやり切ったからだけではございません。
わずか半日ばかりですが、太陽の下で汗を流す仕事に抵抗感がないと分かって嬉しかったのです。
そうしてバスを待ちながら、僕は前山田さんの言葉を思い出していました。
全ての作業が終わって、頂いたペットボトルのお茶を飲みながら休憩している時のことです。僕は思い切って前山田さんに質問してみたのでした。
「実は今の仕事を辞めて、地元に帰って営農しようと思っているんです。気軽に人が訪れられるような農園を作りたいと思っているのですが、まだ作物が決まっていなくて……」
おそらくですが、話している最中、僕の顔からは火が出ていたのではないかと存じます。
「好きなのやったらいいんじゃない?」
対して前山田さんは無下にあしらうようなことはなさいませんでした。
「うちも少量多品種とかやろうと思ってたわけじゃなくてさ、俺が大根やりたかったり、ばあさんが鶏やりたかったり、妻がハーブやりたかったりで勝手に増えてってこうなったんだよね」
持ち前のからっとした笑みを浮かべて真摯に答えてくださいます。
「休みはほとんどないし、売るのも大変だから、今の時代どうなのって感じもするけど、悪い生き方ではないなって思うよ」
「好きなことを仕事にする」
ここ最近では割と珍しくなくなった生き方ではありますが、僕にとっては盲点でした。
というより、僕は無意識のうちに「好きを仕事にする」生き方に言い様のない背徳感を抱いておりました。
この煌びやかな響きを紐解いていくと、当たり前の現実に直面致します。
「好きなこと」を続けられるには、お金と時間と労力がいります。
時間は世界が平等に付与してくださいます。労力は己の身体と心次第でしょう。ではお金は?
副業や趣味の範囲でなら、この限りではございません。ですが、「好きなこと」を唯一の生業とするのならば、「評価されなければならない」のです。
そうしないと単純にご飯が食べられないのです。
「自分の好き」を「誰かの好き」に変換させることができるか
上記に申し上げましたことは、あくまで凡人である僕の考えであって、どんな困難をもものともせず、意志を貫ける強き人にとっては関係のない話かもしれません。
その時の僕には「自分の好きなこと」が「誰かの好きなこと」に繋がるビジョンは見えませんでした。
しかし、女々しいことではございますが、前山田さんの話を通して、封じ込めていた憧れを思い出したのも事実でした。
「好きな作物」
僕はそれを頭に思い浮かべてみました。
本当にそれができるのか。
この右手の野菜袋の重さをわずかながら感じられるようになった今だからこそ、簡単に答えは出ませんでした。
ですが、今日一日で分かったこともございました。
始発電車の物憂げな光景、軽トラの荷台から見た清々しい景色、そして今、春の風に吹かれながら眺める青空。
これらはあの日一歩踏み出すことを決意しなければ出逢うことのなかった風景でした。
「作ってみたい作物」
僕はもう一度それを頭に思い浮かべてみました。
ですから僕は再び、頭で考えるのではなく、足で視点を変えることにしたのです。
次回 ⇒ 「#4 あとには引けない選択 <作物決定編>」
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