朝食
illustrated by スミタ2022 @good_god_gold
朝食のテーブルについて、甲斐寺は一度締めたネクタイを少し緩めた。向かい側ではべちゃべちゃになった娘の顔を妻が拭いている。最近、ようやく自分でスプーンを使うようになったのだが、テーブルに撒き散らしながら食べるのが楽しいようで、食べる量よりも顔や体につく量のほうが多いのだ。
テレビではベテランのアナウンサーとコメンテーターが、遠く離れた国で紛争が起きたと告げていた。みんな深刻そうな顔つきを見せているが、その表情の下では舌なめずりをしているのが、ありありとわかる。
トースターのベルが鳴って食パンが焼けたことを告げたので、甲斐寺はポットのコーヒーをカップに注いでから立ち上がり、キッチンの奥へ向かった。ちょうどいい焼け具合だ。パンを二枚皿に載せ、バターを取り出そうと冷蔵庫を空けた。
キイーンと耳鳴りに似た高音が頭の中に響き、次の瞬間、全身を激しく何かで殴られた。大きな花火を耳元で鳴らされたときのように、耳の中にはぶわんぶわんと曇った音が広がるばかりで何も聞こえない。
甲斐寺は四つん這いになっていた。
どれほど時間が経ったのかはわからない。気がついたときには、あたりは薄暗くキッチン中にもうもうと埃が舞っていた。崩れてきた天井の欠片が家電と一緒に床に落ちている。壁には大きな穴が空きマンションの階段が透けて見えた。
「痛てて」見るとシャツがざっくりと切れて、剥き出しになった腕から血が出ている。
いったい何が起こったのかはわからないが、とにかく娘と妻を。
甲斐寺は咳き込みながら、ダイニングへ戻った。甲斐寺の目が大きくなる。激しく崩れ落ちた天井と壁が辺り一面に散らばり、倒れたタンスの下から小さな足が覗いていた。その靴下には見覚えがある。甲斐寺の膝がガクガクと震え始めた。ふいに強い風が吹き、割れた窓ガラスがカラカラと音を立てて落下する。ベランダは半分どこかへ消えていた。
「うわああああ」甲斐寺は叫びながらタンスを持ち上げようとするが、どうしても力が入らない。僅かに持ち上がるが、そのまま維持することができない。
「あああ」手の力が抜けると、なんとか持ち上げていたタンスは、重い音を立てながら再び床に倒れた。その下から覗いている小さな足の先が途中で押し潰されたかのようにビクンと跳ねる。
いきなりサイレンの音が鳴り響いた。いったいなんだ。妻はどこにいるんだ。甲斐寺は呆然としたままベランダに近寄る。
キーン。またあの耳鳴りに似た音が聞こえた。
遠くビルの向こうから、こちらに向かって何かが飛んで来るのが甲斐寺の目に——
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