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1年間のノルウェー生活で宿った考察 〜前編

たった1年。されど1年。なんだか感慨深い。
1年間のノルウェーでのワーキングホリデー生活を終えて、2021年8月19日、私は日本に帰国した。

いつかは海外に住んでみたいと漠然と思っていたけど、住む国が英語圏じゃないとも、まだ行ったことない国だとも思っていなかった。自分がワーキングホリデーという制度を使うことも、全く想定していなかった。

学生時代から複数回フィンランドを訪れていた私は、幸運にもフィンランドで素晴らしい人たちと出会うことができ、彼らとの関係性から北欧の人たちの暮らし方や、日本とはちょっと違いそうな福祉社会を垣間見ていた。

フィンランドの人たちの在り方に人生の豊かさを感じたから、いつしか私も実際に住んでみたいと思うようになった。

福祉国家、福祉が充実した社会ってどんなもの?
そんな社会に身を置いてみたい。自分が何を感じるのか、知りたい。

そうして、フィンランドではなかったけど、ノルウェーに住むチャンスを見つけ、日本を発った2020年8月。
↓ノルウェーを選んだ理由
 https://note.com/asnoopy/n/nb4cb4e01fd09

コロナ禍で始まった私のワーホリ生活は、実際のところ、行き先であるノルウェー社会よりも、自分と向き合う時間のほうが多かった。

けれど、閉鎖中の社会で出会った人や経験を通して、ノルウェー社会をより深く観察することができた。アウトサイダー(=その社会に完全に溶け込まない存在)として、日本のこともノルウェーのことも、客観的に見つめることができた気がする。

今回は、福祉国家と言われる北欧の一国に住んでみて、私自身が感じ、考えたことを主観たっぷりに綴ろうと思う。

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優れた社会システムも、決して万能ではない

住んでみてわかったのは、ノルウェー社会は確かにシステムが優れていること。社会福祉に関するあらゆるシステムが、他国よりも整っているという点が、ノルウェーが福祉国家と呼ばれる所以だろう。

ノルウェーには、暮らしていく中で何かに困ったときに、誰もが支援機関にアクセスしやすい仕組みがある。
日本で福祉のフィールドで仕事をしていたとき、受けられる支援があっても、知らないために支援にアクセスできなくて困っている障害者とその家族をたくさん見てきた。そういう意味で、ノルウェーは困ったときにどこにアクセスするか、どんな支援が受けられるかが日本より明確で、暮らしやすさを感じた。

↓福祉国家がシステム化するのが上手いという話
https://note.com/asnoopy/n/n1b53720922ce

しかし、ここでも書いたように、システムは万能ではない。
システムに不具合が生じた場合、もしくは初めからシステムレールに乗れない例外が存在した場合、最終的には個別ケースに対して「心を持つ人間がどう動くか」がキーになってくる。

ノルウェーに住む前、私はこれまでの北欧の人との繋がりから、自分の中の仮説としながらも、福祉国家に対する一種の期待のようなものを抱いていた。

それは、
「福祉が進んでいる≒人や社会が寛容で優しい」
というもの。

ノルウェーに1年間住んでみて、正直に言って「ん〜それは違うかも」と思うようになった。

かつての自分なりの仮説:
社会構成員である「人」が、福祉国家と呼ばれる、あらゆる人に優しい社会を積極的に築いている。人が社会を良くしようと振る舞った結果、社会が福祉国家になった。
現時点での自分なりの結論:
社会構成員である「人」が、各々自分を大切にし個人の自由を求めて振る舞うから、社会が福祉国家になった。結果として(政治が)社会システムを築かなければならなくなった。

鶏が先か卵が先か、という話のようだが、この違いは大きい。
ノルウェーに行く前の私には、福祉国家が現在 福祉国家たる背景が全くわかっていなかったと思う。

結果として築かれた福祉社会 – なぜこう考えるようになったか

帰国も迫る、2021年7月のある日のこと。
友達と出かけたベルゲン(私が住んでいた都市)近郊の島で、私の考えを変えた象徴的な出来事があった。

その島は、1日のバスの本数も限られ、私たちが乗りたいバスは本当に来るんだろうか…?と、思わずソワソワしてしまうような田舎。
実際、バスの運転手さんも、バスの停留所に関係なく、歩いている地元民がいたら「乗らなくて大丈夫かい?」とスピードを落として声をかけるような土地だった。

私たちがバスに乗っていると、そこそこ急な坂道を電動四輪車で、臆せずガンガン登っていくおじいちゃんがいた。スーパーの袋を提げているところを見ると、この付近で唯一のスーパーで買い物をして、家に帰るところなのだろう。

なんかかっこいいなぁ…このおじいちゃん。

そんなおじいちゃんを見て、私は突然、電動車椅子とスウェーデンの会社のことを思い出した。

スウェーデンに、permobil(ペルモビール)という車椅子の会社がある。
日本語ページ: https://permobilkk.jp/
英語ページ: https://www.permobil.com/en-us

permobilの車体は大きくしっかりした造りが特徴的で、日本でも「この人の電動車椅子ごついなぁ〜」と思って見ると、だいたいpermobil社の製品だったりする。
permobilの電動車椅子は、性能にもよるけれど、新車と同じくらいかそれ以上するような、特に高額だと聞いたことがあった。子どもは成長によってシートが合わなくなって造り直す事情もあるし、日本でもpermobilの電動車椅子を、個人持ちで普段から常用している人はそう多くない。

手に入れにくい条件でもスウェーデンから日本に、各国にと、国を超えてやってきている事情を知っていたから、ノルウェーに行く前はpermobilの電動車椅子を見かけると、
「やっぱスウェーデンは福祉が進んでるから、車椅子っていうニッチな製品の会社も社会に受け入れられるし、会社がこうやって世界的な規模で成長できるんだよなぁ...」
と、私はちょっと卑屈になりながら思っていた。

(*今思えば、当時から海外展開している日本の車椅子会社もあると知っていたので、卑屈になるのは完全に私の偏った見方ゆえだったけれど、車椅子の他にもスウェーデンには福祉分野で世界進出している会社が多いので、当時の私はそう感じたのかもしれない。
と同時に、日本で自分と仲間たちが情熱を傾けて取り組んでいる障害者とその家族を対象とした事業がなかなか理解されないことに、何度も心が折れかけていたから、世界に羽ばたいているスウェーデンの会社がうらやましかったのもある。)

まぁ、「スウェーデンは福祉が進んでいるから」という理屈はあながち間違ってはいないのだけど、私が上記のように日本で卑屈に思っていた頃、私はpermobilが北欧で誕生し成長してきた背景を全く理解できていなかったと思う。

ノルウェーの田舎の島で、先のおじいちゃんを見て、ふと思った。
…あ、無理だ。日常がこんな感じ(田舎、何もない、自然が厳しい、公共交通機関少ない...etc)なら、車椅子が人に合わせるしかないわ(笑)

そうか、これ(電動四輪車)なきゃ、おじいちゃん生きていけないね。

正確に言うと、生命を存続することはできるけど、おじいちゃんが昔からそうしているように島で暮らし続けるためには、急な坂も凍った道も進むことができ、多少扱いが荒かろうと耐えられる車体が必要。

おじいちゃんが乗っているのが車椅子だったとしても、四輪駆動じゃなきゃ丘を越えて買い物行けないじゃん。大きい車輪じゃなきゃ、よくある石畳のようなガタガタの道、進めないじゃん。北欧は人口も少なければマンパワーに頼れないし、その人がその土地でその人らしい生活を維持していくために、しっかりした足となる電動車椅子がなきゃ生きていけないじゃん。北欧の人たちは身体も日本人よりずっと大きいし...。

そりゃあ、ニーズもあって会社も成長できるのかも...。

〇〇が確固たる理由であると断定はできないけれど、少なくともこういう「自分らしく生きたい」人々の在り方が、会社(大きく言えば、社会)を成長させる要因となっているのは間違いないだろう。

目の前にある、厳しい現実

もう一つ、人々の在り方・生き方以外に、スウェーデンやノルウェーが「福祉が進んでいる」国家になった理由として、紛れもなくそこに厳しい自然と生活があったからなんじゃないかと気がついた。

ノルウェーの場合、昔(1200〜1800年代)は国民の大半が農家。
羊や牛などの家畜を飼いながら、魚を捕り、冬に備えて乾燥させたり市場に出したりしながら、日頃は小麦か大麦の質素な食事で凌ぐ。じゃがいもが輸入されてからはじゃがいもを育てるようになったけど、とにかく岩が多くて貧しい土壌では作物を育てるにも限界がある。冬は冬で、銀世界でできる農作業はほとんどなく、糸を紡いだり衣服をつくったり靴をつくったり、家に籠っての作業が中心になる。

その中で、なんとか生活を維持しなければならない。
→中世以降、ノルウェーでは"tun(トゥン)"と言われる3〜4世帯の小さな集落を築いて、数家族が協力し合って暮らしていたそう。

小さなコミュニティで、隣近所とうまく付き合っていくしかない。
→"tun"には、"ild hus(イルドフース、英語にするとfire house)"があり、集落内で調理や染めのような火を使う家事をまとめて行うための家があった。各家庭の住居は木造、ild husは石造りで燃えにくい造りにしていることもあり、各戸が火事で燃えるリスクを分散していたとも言える。必然的に隣近所との協働作業が多かった。

大人になっても家族と同じ家にいたら煮詰まるので、ある程度の年齢になったら家を出て独立するしかない。自分の家族をつくるしかない。
→現在でも、私の知っている限り、北欧では高校を卒業したら学生にしても仕事をするにしても、育った家を出て暮らすのが当たり前という認識がある。実家で暮らす人は少ない印象。障害者であっても、18歳になったらグループホームや施設に移って、家族と離れて暮らす選択肢が提示される。

親にも子にも依存せずにやっていくしかない。
→子どもが独立して生活するのもここの人たちにとって当然のことだけど、高齢になった親が子どもを頼って一緒に暮らすこともない。親には親の、子どもには子どもの人生がある、という考え方。

長年の生活の知恵を活かしながら、行き詰まりながら、もういろいろ、どうにかするしかない。

こうした人間の営みと歴史については、ある程度 世界共通なのだろうけど。

スウェーデンやノルウェーでは、温暖な地域より厳しい自然を眼の前にして、それでもどうにかするしかないところから、自分が生きていくために自分に必要なことを「主張する」という文化ができたのだろうと思う。

北欧に限らずヨーロッパの歴史を見れば、他民族同士で攻め攻められの繰り返しの中で自分たちのアイデンティティを確立していかなければならなかったはずだから、やっぱり自分たちがいかなる存在かを主張していく必要があったのだろう。

自分を理解し、自分に何が必要かを忖度せずに主張する。これは海外に出れば当たり前と言われる文化だけど、日本とは大きく異なるところだ。

ノルウェーに住んで、外国人としてその土地の暮らしを知ろうとして初めて、北欧が福祉国家たる背景が見えてきた気がする。

ーーーーー後編に続くーーーーー


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