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選挙とモンスター



衆議院選挙を眺めながら、
ふと「デモクラシー」の言葉の起源を探った。

デモクラシー…

この言葉は、「モンスター」や「デモンストレーション」と同じく、ラテン語の「monere(警告する、示す)」を語源に持つ。
 これらの言葉は本来、「何かを示す」という意味を共有している。モンスター…

僕なりのモンスターハンターを書きながら考えてみる。

個人的な「選挙とモンハン」である。

◇選挙と政治

語源である、この「示す」という共通点から現代社会を見つめ直すと、様々な「モンスター」が社会の課題を指し示していることに気づく。例えば、ポピュリズム政治家の台頭は、既存の政治システムへの不満や社会の分断を示すモンスターと言える。彼らの存在は、デモクラシーの機能不全や人々の政治不信を鮮明に指し示している。今回もロックスターのような演説をたくさんの人が聞いていた場面があった。

◇ 政局より政策、と言うけれど?

ここ20年、多く使われている
「政局より政策」という常套句も、実はモンスター的な存在かもしれない。

この言葉は一見合理的だが、政治を単なる正解探しのゲームに矮小化してしまう危険性をはらんでいる。どちらの言ってることが正しいかを見ている人が評価するゲーム。

しかし政治とは、単に正しい答えを見つけることではなく、多様な価値観や利害関係の調整であり、時に非合理的な要素も含む人間の営みだ。政策というのは専門性と総合性のバランスに成り立つ。専門性を競いあうならば官僚や専門家の方がよほど詳しいだろう。総合的になれば結局は、人間性による調整の力、信頼がベースとなる。

◇小沢一郎


かつて小沢一郎のような政治家の手腕が注目された理由は、まさにこの点にある。彼は単に政局を動かすことで大きな政治的変革を実現してきた。これは、政策の正しさだけでなく、人間力や胆力が試される場としての政治の一面を示している。小沢一郎という政治家の功と罪を様々な角度から検証すると平成の30年の姿がよく見えてくるかもしれない。1990年代以降、国会議員最大の「存在としてのモンスター」だけに。
当選?! 凄い19期。おそるべし。



◇メディア

一方で、メディアもまた重要な「モンスター」の一つだ。
メディアの報道は社会に対する一種の「デモンストレーション」であり、特定の事象や問題を「示す」ことで、社会の注目を集め、議論を喚起しようとしている。

しかし同時に、メディアは私たちの政治観や社会観を形成する強力な力も持っている。

好きな政治家や政党、嫌いな政治家や政党のイメージは、実はメディアによって作られている可能性が高い。

会ったこともない、話したこともない政治家を、私たちは評論できてしまう。この感覚自体が、政治がメディアによって消費され尽くしている現状を示している。まるで芸人やスポーツ選手を論評するが如く。

◇SNSとも

さらに、メディアやSNSなどの影響は、自分の推しや嫌悪をとことん深めてしまう危険性がある。

この偏りは、デモクラシーの根幹である多様な意見の尊重と対話を阻害している。ネットのアルゴリズムがそれを増幅し、ますます蛸壺化する。

◇メディアと政治とデモクラシー

しかし、この状況自体も一つの「モンスター」「デモンストレーション」として捉えることができる。

つまり、メディアと政治の関係性が示す問題点を認識することで、より成熟したデモクラシーへの道筋が見えてくるようにも思える。

来月は米国大統領選だが成熟した「デモクラシー」の姿が現れるだろうか注目したい。

◇自分を疑う

 自分の考えがどこから生まれたのかを常に意識し、メディアとの付き合い方を洗練させていく。
同時に、政治との距離感を感じつつも、自らの中のモンスター(違和感や疑問)に耳を傾け、それを言語化し、他者と共有していく勇気も必要かもしれない。

その繰り返しの中で育まれるものがあるように思うが、時代はまだそんな感じでもなさそうだ…

誰かが政治的な発信すると、ちょっと引き目で見てしまう心理は、危険の渦に巻き込まれたくない、ことや、正しさを競い合いたくないという面も関与しているのだろう。

まあこれも一種の呪縛だが、政治にそんなに熱い意見を持っていないーというのが実体だろうと推察する。精神的な健全さの裏返し。

◇距離

結局のところ、デモクラシーとは、社会に潜むさまざまなモンスターと向き合い、それらが示す問題を認識し、解決策を模索していく営み。

そう考えると、政治やメディアに対する違和感や疑問こそが、実は民主主義を前進させる原動力ではないか。大きな政治テーマを論ずるよりも、身の回りとの関係性の方が日々の暮らしでは尊い。

スマホの画面やテレビの向こうで語っている人の言葉より、日常の会話や対話のリアリティーだけを自覚的に感じたい。


◇モンハン考察振り返り

小さな気づきと営みの積み重ねが、やがて大きな渦に繋がるかもしれない。日々の営みにそれぞれに潜むモンスターがあり、社会のあらゆる場所にモンスターがあらわれている。

モンスターとは、「まだ名付けられないけれど指し示している何か」を言う。まずは一人ひとりの心の内側に潜むモンハンから。



デモクラシー、モンスター、デモンストレーション …選挙をみながら考えてみたこと。

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以下補足解説

デモクラシー、デモンストレーション、モンスターという言葉の背後には、興味深い語源的つながりがあります。これらの言葉の根底には「示す」「表す」という意味が潜んでおり、そこから様々な概念が湧き出てきています。
デモンストレーションとデモの語源
デモンストレーション(demonstration)とその略語であるデモの語源は、ラテン語の「demonstrare」にさかのぼります。
• 「demonstrare」は「de-」(完全に)と「monstrare」(示す、見せる)という要素から成り立っています。
• 「monstrare」はさらに「monere」(思い出させる、警告する)という語に由来します。
この語源から、デモンストレーションには「完全に示す」「明らかにする」という意味が込められています。現代では以下のような意味で使用されます:
1. 実演や説明を通じて何かを示すこと
2. 論理的な証明や実験による科学的な説明
3. 政治的または社会的な主張を公に表明する行為
モンスターとの意外なつながり
興味深いことに、「モンスター」(monster)という言葉も同じ語源を持っています。
• モンスターの語源はラテン語の「monstrum」(神のお告げ、驚異)です。
• これも「monere」(警告する)から派生しています。
古代では、奇形の動植物や異常な現象は神からの警告や前兆と考えられていました。つまり、モンスターは何かを「示す」存在だったのです。


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