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シンガポールでSTAY@HOME番外編(一時帰国) 2023年7月4日~7月27日

以前noteで触れた、一時帰国中の滞在記です。1年ぶりの祖国で感じたことを、日々綴りました。

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7月4日 1日目


 約1年ぶりに、日本へ帰国した。シンガポールではマスクの着用率が低いためか、空港のターンテーブルで荷物が出てくるのを待つ客も半数くらいは素顔のままに見える。きっと街中では大勢がマスクを付けたままなのだろう、と思いながら繁華街に繰り出すと、意外なことに空港と同様に、半数位の人はマスクを付けていない。日本の人は、なんとなく空気を読むことに長けていることもあり、そういった流れにはなりづらいと思っていただけに、この状態には本当に驚いた。

 そのままホテルに行くと、従業員もマスクをしていない。シンガポールでは基本的にほとんどの人が身に付けていないため見慣れた光景だが、こちらも意外だった。海外からの観光客が多いことと、何か関連があるのだろうか。

 大病院に行くと、着用が義務付けられているため、流石に全員が身につけていたが、逆説的に、他の場所では付けていない人が結構な割合いることを実感した。日本の夏は物凄く暑いため、もしかするとマスクを外すことで具合が悪くならないようにしているのかもしれない。

 到着した初日である今日の気温は、結構涼しく感じられた。今後、滞在中に暑い日だと着用率に変動があるのか、人々の顔をみてみようと思う。


7月5日 2日目 


 昨日から思っていたが、日本は価格崩壊している。美味しいご飯もお酒も洋服も、多くのものが安過ぎる!!正直、シンガポールで同じものを手にしようとすれば、約3倍の価格設定がされていても納得がいく場合が多い。おまけに、どこに行ってもスタッフが優しくて丁寧だ。

 シンガポールで知り合い達から、日本が好きで旅行する、という話はよく耳にする。本当に和食やアニメなど日本の文化を好んでいる人も居るとは思うが、それにしても数が多いため、ずっと日本人である私へのリップサービスかな、と思っていた。しかし、今回の帰国で、良いものがシンガポールに比べて安いと実感した。寂しい想定ではあるものの、仮に日本のものへ関心が無くても、恐らく滞在を、楽しめる。

 色々な理由があるとは思うので、十把一絡げにシンガポールと日本を比較するのはナンセンスだとは思うものの、あれほど客へ対して真摯な人達に、もっと報われてほしい。物の値段が安価であることがインバウンドの需要を生んでいるのなら、対外的に値段を上げるとは悪手なのだろう。しかし、公的な所からお店等に対して助成金は出せるのではないかと想像する。

 詳しいことは知らないので、既に提供されているのかもしれないが、日本で年収が増えないという話を見ると、仮に実施していても成功はしていないのだろう。どこかに全員がハッピーな答えが落ちていないか、と考えてしまう。


7月6日 3日目


 昨晩初めて行った立ち飲み屋で、色々な味わいのウイスキーを試していた。基本的に日本酒ばかり飲むため新鮮で、店員さんの解説も面白く聞いていた。本当は去年の帰国でも行きたかったのだが、新型コロナの観点から行く気になれず、今年になったのだ。雰囲気も良くて、程大きくはない店内は平日にもかかわらず、8割りくらい埋まっていた。

 ラストオーダーまで10分を切った頃、また人がやってきた。その人が入る場所はあったが、時間的に1杯位しか飲めないだろう。店員さんがその旨を伝えると、商売っ気がないというようなことを言い始めた。既にどこかで、お酒を飲んできているらしい。店員さんはこの手の客には慣れているらしく、淡々と対応するが、見ているこちらは少しドキドキする。会話を見守っていると客は最後に「絶対に来るからな!!」と宣言して、帰っていった。
もう来ない、とでも言いそうな剣幕だったのに「絶対にまた来る」と明言したことに、この店への興味の高さが伺えた。聞き間違えたか?と思ったが、件の客が去った後に他の店内に居る客と店員さんで確認したので、間違っていない。

 その場にいた全員、最後の言葉に好感を持ったらしく、店の雰囲気は再び和やかになった。人との距離感が一時期よりも縮まったことを、実感した夜だ。


7月7日 4日目


 七夕だった。投稿したnoteにも書いたように、シンガポールではお祝いするイメージがないため、あまり実感はないまま過ぎた。ただ、きっと多くの子どもたちは笹に短冊を飾って楽しんだのだろう。個人的にはお祭りを特に楽しまなかったが、気候の意味で良い季節に帰ってきたなとは思った。

 夜になってから、実家から散歩がてら近所へ段ボール箱を捨てに行った。時間帯のためか、人通りは全くない。誰もいないのなら、と久しぶりに素顔を晒してみることにした。マスク越しでも良い気候だとは思っていたものの、顔を撫でる風は本当に心地よい。ああ、夏が始まるのだな、と体中で実感する。ちなみにこの記事は翌日に書いているのだが、今になって思えば夜空を見れば良かったと思う。もしかすると、七夕らしい綺麗な夜空が広がっていたのかもしれない。

 ところでマスクといえば、シンガポールでも日本でも着ける理由は、次第に希薄となってきているような気がする。特に素顔で気持ち良い風を感じた後なら、なおさらそう思う。その一方で、時折着用していない人が咳やくしゃみをしているのを見ると、自衛の意味でマスクは外せないなと思う。丁度良い塩梅の対策がどこなのか、再考するのに良い時期にさしかかっているのかもしれない。


7月8日 5日目


 少し前になるが、ようやく名探偵コナンの映画を観てきた。封切から既に3カ月が経過しているため、上映スケジュールはかなり減っていたものの、まだ近所の映画館で上演していたのだ。客も母と私以外にも結構入っており、大人気らしいという話が本当なのだと実感する。物語の内容にここではあまり言及するつもりはないが、観て良かったと思う作品だったし、できたらシンガポールでも再び映画館に足を運びたいと感じている。

 観てから感じたことだが、潜水艦が登場するストーリーだったため、時勢から途中で上映が終わっていた可能性もあったはずだ。映画の封切りが先だったため、そういった事態にはならなかったのだと想像するものの、その場合は今年の映画を観るチャンスはなかっただろう。

 ここ数年は2021年を除いて名探偵コナンの映画は、毎年日本とシンガポールの両方で楽しむことが習慣になっている。内容に変更はないものの、前に気付かなかった描写に気付いたり、客の反応の違いを楽しんだりできて面白いのだ。今年もできれば同じことをしたいが、果たしてできるだろうか。記憶違いでなければシンガポールでは昨日7日から始まっているはずなので、場合によっては戻った頃には上映が終了している。シンガポールでも、人気を博すのを願うばかりだ。


7月9日 6日目


 先日から、実家のシャワーホースが壊れている。帰国する前から破損部分があることは知っていたが、昨日まではホテルに滞在していたこともあり、実物を見るのは初めてだった。話に聞いていた通り、シャワーホースの一部が破れており、ガムテープで留めてある。

 接続部分のねじを外してみて、シャワーヘッドを新しいホースに付けてみようとしたが、カランについている六角ボルトを外すことができない。正直、シンガポールで何度も自力での取り換えを経験していたため、絶対にできると思っていただけに驚いた。どうも、日本とシンガポールでは造りが違うようだ。結局、元のホースの破損部分を切って、無理やりシャワーヘッドと接続することにした。しかし、ホースの端に付いた水漏れを防ぐパーツが外れない。結局、輪ゴムと透明なガムテープで1晩ごまかしつつ使うことになった。

 朝になってから小間仕事を請け負ってくれる会社に、電話をした。事情を説明すると夏場に風呂のトラブルは大変だと思ってくださったのか、今日来てもらえることになった。個人的には新しいホースが使えるのか、そもそも簡単に交換できるのか、など不安要素があったのだが、作業はあっさりと終了。流石プロの仕事だった。意外な所で、日星の違いを実感した。


7月10日 7日目


 先日、ショッピングモールで浴衣が売られているのを見た。普段はシンガポールに居ることもあり、和装をしようと発想することはない。それでも、ズラリと並んだ浴衣を見ると、やはり良いなと思う。長らく買わない間にデザインも変化しており、夏の花が描かれたような昔ながらの柄から夏の着物のような豪華なものまでバリエーションが豊富だ。前述の通り、買っても着るチャンスがない。思わず「でも、着る機会がないからなあ」と口から零れると、店員さんが「作るんですよ!」とアドバイスしてくださった。

 何でも、日本では色々な所で花火大会が復活するらしい。それに際して、浴衣を新調する人も結構居るようだ。一応、シンガポールでも日本人会主催の夏祭りがあるはずなので、確かにチャンスは捻出できる。やはり欲しいなあと思いながら見ていたものの、洋服とは違うため選ぶポイントが分からない。例えばトップスだったら個人的には他のボトムスに合わせやすい、顔うつりが良いなどを見るが、和装の場合は何が基準になるのだろうか。

 結局、今度祖母と一緒に売り場へ出かけていくことにして、その場は辞した。あまり高価な物を買うつもりはもちろんないが、素敵な出会いがあれば良いなと思う。


7月11日 8日目


 日本に来て、丸1週間が経過した。来る前は、暑さに対して非常に警戒していたが、蓋を開けてみると、そもそも梅雨が明けていないため、湿度の高さはあってもそこまで気温は高くない。思ったよりも過ごしやすいと思っていたら昨日、九州北部で大雨や洪水が発生しているという報道が目に飛び込んできた。

 シンガポールで暮らすようになってからも、日本のニュースはテレビやインターネットでチェックするため、この時期に天災が起きやすいことは知っている。ただ、今回は少しショックだった。多分、自分が国外に居ることで日本の災害とは無縁だ、とどこかで思っていたのだと思う。それを自覚すると、一層気持ちは落ち込んだ。完全に余談だが、シンガポールではなぜか台風だけでなく、大雨の話を耳にしない。日頃から土砂降りの雨はあるものの、自然災害には発展していないようだ。

 九州では昨日の時点で雨自体は止んでいる所もあるようだが、水を含んだ土が地滑りを起こす危険があるらしく、注意が必要のようだ。その一方で、東京は猛暑日だったという報道も観た。個人的には同じ国内の出来事なのか、と思う位にちぐはぐな印象を持ってしまう。ただ、ニュース番組内で取材を受ける人の多くがマスクを着用していなかったので、新型コロナウイルスが終息方向に向かっていることだけは実感できた。


7月12日 9日目


 整形外科に行くと「今週から、またマスク着用をお願いしているんです」という声が受付から聞こえてきた。シンガポールでは依然、医療機関でのマスクは必須のはずだが、日本ではそうでもないらしい。個々の医院に、判断を委ねている部分もあるようだ。個人的には前よりも警戒心はないものの、基本的に感染リスクが高そうな場所ではマスクを外すという発想がないため、言われるまでもなくつけていたが、気温が上がってきた日本では外す人も増えているのだろう。

 私が行った医院で、マスク着用が必須になったのは、近隣での感染者数が多いことが影響だ、と聞こえてきた。シンガポールでは新規感染者数の推移は週に1回発表されるだけで、以前よりもざっくりとしか分からない印象しかないが、日本ではもう少し細かく把握できているのだろうか。

 もう少し具体的なことが知りたくて受付で尋ねてみると、どうも小学校などで増えているらしい。恐らく具体的な人数というより、クラスターが多発したことで、院内での影響を警戒しているようだ。ちなみに4月末に5類へ変更されてから、先週までマスク着用義務は撤廃していたらしい。

 どのような状況でも、身体に何かしらの不具合がある人が集まる病院では、確かに用心するのに越したことはない。マスクがなくても病院内で安心できる日は、もう少し先のようだ。


7月13日 10日目


 昨日は、紅茶を買いに行ってきた。普段はシンガポールのTWGで購入しているが、折角一時帰国したのだから、日本で入手できる物を買いたいと思っていたのだ。自分が楽しむスピードもあるので、沢山買っても仕方ないとは思うものの、ついつい色々な茶葉を買いたくなる。特に、今だからこそ手に入るダージリンファーストフラッシュやセカンドフラッシュは、その際たる例だ。

 手間がかかるので必然的に値段も高価になるファーストフラッシュは、ほいほいと買える物ではないが、飲んだことのない農園で採れたものだと一層興味が湧く。買おうか悩んでいると「今年は、美味しいですよ!」とスタッフさんに声を掛けられた。

 どうやら干ばつがあり、収穫自体は少ないらしいが、その分1つずつに旨みが凝縮されているとのこと。水出しを試飲させてもらうと、確かにさらりとした口当たりの中にも深みがあり、説明された内容にも納得の味わいだった。店を後にした後、そういえばTWGでも今年は出来が良い、と聞いたことを思い出した。

 新型コロナのように世界的に広まった物は別として、普段家族や友人が暮らす所以外に関心は持たない。しかし、ダージリンの話をシンガポールでも日本でも聴くと、世界は繋がっているのだ、と当たり前のことを実感する。たまには、紅茶を片手に普段見ない世界について調べることも、必要なのだろう。


7月14日 11日目


 2019年ぶりに、広い風呂に入った。シンガポールにはバスタブが付いている住宅もあるが、家にはないためいつもシャワーだ。正直、浴槽に浸からない生活が長くなってきたせいで、昔は広いお風呂が好きだったにもかかわらず、次第に「風呂ってそこまで必要なんだろうか」とすら思っていた。

 浴槽のメリットが思い浮かばなくなっていた私だったが、家族で近所にある銭湯に行くことになった。いくら良さを思い出せなくても、異議を唱えるつもりもなかったのでもちろん同行する。

 以前は帰国の度に行っていたので、施設の造りはよく覚えていたつもりだったが、記憶と結構変わっている。どうやら、ここ数年でリノベーション工事をしたり、形態を少し変更したりしたようだ。新型コロナウイルスでなかなか営業が再開できなかったと聞いていたが、その間も色々と集客に繋がる努力をした跡が見える。転んでもただでは起きないというその精神に感謝しながら、大浴場に向かう。ちなみに、こちらは特に工事した様子はないが、備品が新しい物になっていて、個人的にはその細かな配慮が嬉しかった。

 湯船に入り、手足を伸ばす。たったそれだけのことなのに、身体が芯から温まるようだ。気のせいか、肩こりすら軽くなった気がする。ああ、これが大きな風呂の良さだったとようやく思い出せた。滞在中に後何度行けるか分からないが、以前の気持ちを思い出せたのは本当に良かった。


7月15日 12日目


一時期帰国してやってみたかったことの1つに、日本の紅茶ブランドルピシアが開催するティースクールの授業への参加があった。色々とスケジュールを確認したところ、1つの講座にだけ参加できることが分かり、今日受講した。

 会議アプリのZOOM を使ったオンラインでの授業で、内容としてはアイスティーの作り方だ。予めテキストや茶葉が届き、ボウルや氷など用意すべき物も列挙されている。内容を確認したところ、授業では緑茶やルイボスティーを扱うとのことで、紅茶は説明だけと分かり、少し残念に思っていたが、良い意味で期待を裏切る授業だった。

 特に氷を使って抽出する緑茶は絶品で、感動した。今まで「紅茶こそ至高」と思っていたが、浅はかだった。まだ具体的なイメージはないものの、料理に使っても美味しいと想像している。ルイボスとオレンジジュースを使ったアレンジティーも爽やかで、ティーモクテルといった味わいだった。年中夏のシンガポールでも十二分に活用できそうだ。

 新型コロナウイルスの流行は、全く嬉しくはない。ただ、今回のようにオンラインで色々な場所から授業が受けられる様式が広まったのは、本当に嬉しい限りだ。現在は国内のみとのことだが、いつかシンガポールも含めて、世界中のどこに居ても茶葉やテキストを受け取って、受講できるようになれば良いのに、と勝手ながら思ってしまう。


7月16日 13日目


 家族でタクシーに乗ったとき、運転手さんと話が盛り上がり、気付けば従業員の数が話題になった。そのタクシー会社は以前、50人程の運転手が働いていたそうだが、ここ数年の間に退職した人が多く、現在は20人ほどになったそうだ。定年の場合もあるとは思うものの、病気が理由の人も居るらしい。

 新型コロナの具体的な影響については不明だったが、年齢を始めとする個々の事情から進退を考えていた人の後押しになった可能性はあるように感じた。ちなみに、実家の周辺は観光地ではない。ただ、車がないと基本的にどこにも行けないような地域だ。そのため緊急事態宣言の際によくニュースで取り上げられていたような、日本への観光客の減少自体は影響がなかったと思うが、住民の外出には影響があったのだと想像する。特に、自動車免許を返納したり、元から免許を持っていなかったりした高齢者は、かつてタクシー会社の常連客だったはずだ。収益の基盤だった彼らが感染リスクからか恐らく外出を控えた結果、利用者が減る結果になり、運転手も転職や廃業を考えるような事態になったのだろう。

 正直、今回話を聞くまで、新型コロナの煽りを受けた接客業といえば、飲食店というイメージが強く、タクシーのことを考えたことはなかった。しかし、地域によっては生活に必須な状況自体に変化はないのに供給が半分以下になった、私の実家のような所もあるに違いない。多くは多分運転できる家族が複数人居る状態で暮らしているため、そこまで問題ではないと思うが、老夫婦だけで構成されるような世帯の場合、人によっては転居も考えるレベルの変化が起きたと言えそうだ。


7月17 日 14日目


 今日から少しの間、旅行に出る。具体的な内容は別途記事にする予定だが、空港に到着して驚いた。祝日で3連休の最終日だということもあってか、ものすごく混雑しているのだ。中には暑さからか人との距離が取れなくてもマスク外している人もおり、新型コロナの流行は過去のように感じてしまう。もちろん、ワクチンや治療薬が開発されたことにより、以前よりは脅威が減ったのは事実だ。ただ、数日前に「最近学校で感染者が増えているんです」と病院で聞いたのを思い出すと、どうにも違う世界のことのように感じられてしまう。混乱する部分があるものの、連休を自由に楽しもうと思える状況になったのは喜ばしいことだ。

 空港内を歩いていると「私、どこでも行ける気がする!」という声が出て聞こえてきた。振り返ると、2人連れで旅に出る所らしくスーツケースをひきながら歩いている。そのまま聞き耳を立てていると、どうやら空港が便利だという意味らしい。しかし、少し前まではいくら便利な交通手段があっても、どこへも行けない時期があった。その頃のことを会話していた人がどう思っているのかは分からないが、実感は忘れてしまったのかもしれない。
今回私が利用したのは国内線だったが、これから始まる夏休みは、国際線もきっと混雑するのだろう。多くの人が久々にアクティブな夏を過ごす様子が、目に浮かぶようだ。


7月18日 15日目


 ホテルを出ると、今日も暑い。日傘をさしながら周囲を見ると、何かしらの方法で日差しを遮ろうとしている人が多い。携帯用の扇風機や帽子、そして私と同じように傘をさす人。日傘をさしている中には、女性だけでなく男性も居る。以前に、男らしくないといった話を見たような気がするが、日差しを堪えることが体に良いとは思えないので、時代が変わってきたのかなと感じた。

 昨日から今日にかけて約1日を東京で過ごしたが、やはり私が普段帰省している所よりもこちらの方が暑い。ただ、マスクの着用率はあまり変わらないような気がする。もしかすると、気温だけでなく純粋に顔の周りに何かを着けることを鬱陶しいと感じている人が、日本中に多いのかもしれない。マスクを付ける人が約半分位の割合に留まるのは、そこからくるのだろう。ちなみにシンガポールでは、圧倒的多数の人がマスクを鬱陶しいと考えているようで、身につけている自分がおかしいのかも、と混乱しそうになるレベルだ。

 前にも書いたことだが、日本の夏はシンガポールよりも蒸し暑い上に日差しが強いような気がする。今年は5類に変更されたこともあり、屋内での着用率もこのまま低下するだろうな、と推測している。


7月19日 16日目


 私は今、この文章をとあるカフェで書いている。シックな佇まいの内装に、クラシカルな音楽が流れる店内。壁一面に本棚がある点は違うものの、米澤穂信原作のアニメ「氷菓」に登場する喫茶店パイナップルサンドの雰囲気に似ていると言えるかもしれない。

 「氷菓」を作った京都アニメーションの事件から、今日で4年が経過した。ホテルでもらえる新聞では結構大きく取り上げられていたが、紙面としてはかなり後ろの方だった。位置は内容も関係があるとは思うものの、時間が経ったことも無関係とは思えず、少し寂しくもある。それでも紙面が割いてあるのは、事件を風化させないという記者たちの気持ちの表れなのかもしれない。

 小説や漫画それにアニメが好きな人の多くは当時、ショックを受けたと思う。そして、京都アニメーションの作品を見ては、思い出していたはずだ。私自身、アニメや小説で起きる問題といえば炎上くらいで、人の命が奪われるような事態が起きると思っていなかっただけに、脅かされるべきでない何かに侵入されたような気持ちになった。

 毎日新型コロナの動向を追っていると、いつまで書くつもりなのか、と尋ねられることがある。人によっては、もう済んでしまった事象という認識だから出る質問なのだろう。言うまでもなく、感染症と事件を一緒に語ることはできない。しかし、日々色々なことが起きる中、覚えていることが容易ではないという点では同じだ。漫画やアニメが好きな者として、この事件は風化させないよう、何かできないか改めて考えてみようと思う。


7月20日 17日目


 東京の最終日になった。計画を立てたときは、結構長いと思っていたはずなのに、実際にはあっという間の4日間だった。今日の午後、実家のある地域に戻る。滞在中、東京は暑いと何度も思っていたが、どうもここ数日が異常気象だったとのことで、少し残念だ。どうせなら、もう少し普通の気温で過ごしたかった。そうは言っても、この4日間の体験は本当に私にとっては素敵なものばかりだったので、本当に来て良かった。

 昨日と一昨日に古書店と書店を巡り、新型コロナウイルスの観点で気づいたことが1つある。それは、店の入り口付近に「マスク着用をお願いします」といった掲示や、アルコール消毒を設置していることだ。コンビニのような他の小売店にはないことを考えると、恐らく個々の古書店が必要と判断して実施しているのだろう。シンガポールでは業種を問わず個々の店が対応する、ということはなく、政府が決めた通りに動くという方針を取っている所ばかりだった。ルールを破れば営業できなくなるため、仕方がないと思って則っている所もあったのだろう。

 政府の指示の出し方や強制力の違い、と言ってしまえばそれまでだと思う。ただ個人的には、古書という衛生管理がしづらい商品に対して、しっかりと対策をしている姿勢に感服する。


7月21日 18日目


 東京から戻ってきて、1日が経過した。やっぱり暑い。関東が特別暑い日なのかと思っていたが、どうやらそうでもないらしい。今日は繁華街に出掛けなかったので、マスクの着用率は分からないので憶測にはなるものの、このような日はきっと多くの人がマスクを付けていなかったのではないかと推測する。感染に対して気にならなくなっている人も居るとは思うが、恐らく熱中症の方が気になる人も居たはずだからだ。

 時折書いているように、シンガポールは日本の夏よりも涼しい。そのため、熱中症と天秤にかけないといけない場合はあまり存在しない。ただ日本のように暑いと、優先順位をつける必要がある。そのとき、何を第一位に持ってくるのか。もちろん、普遍的なものではなく、時々で変わるのだとは思うが、それを適宜見極めるのは、結構難しい。

 日本での滞在は、後1週間を切っているため、今後一層気温が上がった際に、どのような変遷を辿るかは分からない。ただ、今年は新型コロナが5種に変更されたこともあり、恐らく熱中症に警戒する人の方が多くなるだろう。

 しかし、また気温が下がってきたときはどうなるのだろうか。再びマスクを着ける人が増加するような気もするものの、5類に変更されたことから、結局あまり増えないような可能性も捨てられないと思う。実際の所はまだ分からないが、やはり日々優先順位のチェックが必要のようだ。


7月22日 19日目


 近所のホテルへ宿泊に来た。景色が良く、部屋から街並みが良く見える。宿のスタイルとしてはホテルだが、大浴場が併設されているとのことで、そちらにも行ってきた。正直少し前までなら、不特定多数の人とマスクなしの所で接触することに対して抵抗があったので、入ることが嫌だったと思う。特に近所の銭湯とは異なり、宿泊客が方々から来るため、空港や新幹線の駅を通る分、近隣の銭湯よりも一層リスクが高いような気がしていた。それが今回ははだ「広いお風呂っていいな」としか思わず、感染に関しては何も感じなかったのだ。

 改めて自分の行動や気持ちを書いてみると、随分と警戒心が弱まっていることを実感する。以前が過剰にだったと言ってしまえばそれまでだとは思うが、私は新型コロナの件に関しては、かなり注意深い方らしく、シンガポールでも日本でも「厳重ですね」とコメントされたことがある。それだけに、正直自分が防御策を緩和できるようになるとは思わなかった。

 緩められるようになったとはいえ、今でも外出時にマスクは必須だ。飲食店で何かをお願いする際も、マスクを改めて着用することも多い。結局、警戒している部類には属していると思うが、自分の行動に変化を見ると、新型コロナとの付き合いも改めて長くなってきたのだな、と実感せざるを得ない。


7月23日 20日目


 祖父がネットフリックスに加入したので、早速動画を家族で観てみた。パソコンをテレビに繋ぐことで、家族全員で同じものを視聴できるのはありがたい。加えて、画面のクォリティもあるとは思うが、画質が綺麗で映像が一層綺麗に見える。こういったサービスの多くは国や地域で内容が異なるためあまり調べたことがなく、母と私はあまり詳しくなかったが、非常に多くの動画が観られるそうだ。

 コンテンツをチラッと見せてもらっただけでも、画面にズラリとサムネイルが並んでおり、その内容がいかに膨大か分かる。どんなに時間が余っている人でも、観終尽くすことは無いに違いない。契約した祖父本人も、その多さに驚いていた。

 新型コロナ流行が始まった頃、よくネットフリックスやHulu等の動画配信サイトの名前をよく耳にした。当時は家にいる時間が長くなった結果、動画を観ようという人が増えたのだろう、位の認識だったが、あれほど豊富なラインナップなら、話題に上がるのも当然に思える。

 感染症の付き合いも長期化し、一時期よりも外出に等するハードルも下がった。最近では夏休みも相まって、旅行する人も結構居る。話題に上る回数は減ったと思うが、その情報量の多さは、きっとこれからも大勢の人に楽しい時間を提供するのだろう。


7月24日 21日目


 繁華街を歩いていると、声を掛けられた。道が知りたいのだろうかと思って返事をすると「すみません、学費がたりません。お金をください」といったような内容が書いてあるラミネートされた紙を見せられた。日本で見るのは初めてだったが、シンガポールで紙を無言で見せてくる人に遭遇したことはある。関わり合いになりたくないので「すみません」とだけ言ってその場を後にした。

 断っておくと、お金のない人が勉強すべきでない、と言いたい訳ではない。ただ、本当に困っているのなら、然るべき機関に連絡するのが順当だと思うだけだ。ちなみに、その紙を今日見せてきた人は、多分日本国籍ではない。

 昔に比べて日本の色々な所で、外国人を見るようになった。特に今回の帰国では、そのように感じている。母数が大きくなれば、今回のような不思議な人との遭遇もある。仕方がないことだとは思うものの、やはり残念な気持ちがあるのも事実だ。

 普段、シンガポールで少数派である日本人として暮らしながら、自分への評価がシンガポール人の日本人のイメージになるかもしれない、と頭のどこかで思っている。少数派の中で誰かが目立つ行動を取ると、良くも悪くもそれが印象として定着してしまう可能性があるからだ。日本で暮らしている多くの外国人が、つつがなく生活できていることを願うばかりだ。


7月25日 22日目


 実家のエアコンの調子が悪く涼しくならなくなったため、買い替えることになった。修理して騙し騙し使うことも選択肢にはあったが、あまり長持ちしない上に電気代も高くなるからおすすめしない、という家電量販店のスタッフにアドバイスを参考にすることにしたのだ。

 パソコンやスマートフォンは、個人的にソフトウェアの問題や容量から数年おきに買い直すことが多い。場合によっては、インターネットで事前に検索しておくこともある。しかし、エアコンは使えていれば問題ないという認識なのもあり、わざわざ調べたこともない。そのため、店頭に飾られている機種を見て驚いた。下から掃除機のノズルを入れることで清掃できるモデルや、埃を取るゴミ箱が付いているものもあり、昔より圧倒的に掃除しやすくなっているのだ。やはり、電化製品は日々進化を遂げているらしい。

 ここ数年、新型コロナウイルスの流行に意識が向いていたが、帰国してみると、日本の夏の気温は到底無視できるものではない。8月を前にエアコンの新調ができるのは不幸中の幸いと言えるだろう。冷感対策グッズを持ち歩く人が居るように、屋外は非常に暑い。せめて、家の中で位は快適に過ごせる環境を整えたいものだ。


7月26日 23日目


 明日はシンガポールに帰る日ということもあり、私の中では滞在の最終日は今日だ。そうは言っても、何か特別なことをした訳ではない。家の整理で不要になった物が見つかったので、一部リサイクルショップへ売りに行ったくらいだろう。個人的に、あまりこういった業者を利用したことはなかったのだが、使ってみると不要な物で埋まっていた場所ができる上にお金にもなるので、かなり良い気分になれた。もちろん、最初から要らない物を買うべきではない。ただ、何等かの事情で使わなくなった物を置いておくよりも、誰か興味を持ってくれる人が手にしてくれる方が良いと思ったのだ。

 シンガポールの家でもそうだが、新型コロナウイルスの流行で、日常的に使う物に変化が生まれた。その結果、生活にそぐわない物も出来た。日本の実家はシンガポールとは異なり、時折しか訪れない。そのため取捨選択を決めるにしても、結構な時間がかかる。吟味した上でやはり必要と思える物もあるが、今回リサイクルショップに出した物のように、もう手放した方が良いと感じる場合もある。

 片付けに時間を費やすと、何も持っていなければ良かったと思うときもある。しかし、少なくとも一時便利に使っていたこともある物ばかりだ。なかったら、と思うのは身勝手過ぎるだろう。定期的に片付けをすることを、習慣化する他なさそうだ。


7月27日 24日目(最終日)


 今日の飛行機で、シンガポールに戻ってきた。行く前は約3週間の滞在はかなり長いと思っていたが、毎日色々と消化したいノルマが多く、実際は気が付けば旅程が終わっていた、という印象だ。

 今回の帰国で1番驚いたのは、マスクを着用している人が少ないということだろう。帰国して間もない7月の1週目は、結構涼しかった。それでも、屋内外問わず付けている人は半数程度にとどまっており、気温とは関係ない理由で外していることが伺えた。何度か記事の中でも書いているように、日本は同調圧力があるため、マスクを外すのにもっと時間がかかると思っていたのだ。私が思うより、日本人は空気を読む、ということをしないのかもしれない、と感じた。

 また、新型コロナウイルスの流行とは無関係だとは思うが、夏だというのに黒っぽい服を着ている人の多さにも実は驚いた。今まで、冬はコートを含めて黒色を着用する人が多いものの、夏は比較的カラフルな服装だという印象を持っていたからだ。もちろん、黒はシックで格良い色だとは思う。ただ、日差しを吸収することも含めて、個人的にはあまり夏らしいとは思えない。日本の景気のように、喜べないことが多いからなのだろうか。次の帰国時には、楽しそうな人を沢山見られると良いなと思う。

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最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

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