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その光の方へ

 『他人様(たにんさま)』。
 近く遠く、知人と呼び得るくらいの方から気の置けない友人まで、私は時々彼らをそう呼ぶ。私の周りを彩るさまざまの人々。私の近況を、他人事に聴いて面白がってくれる人。そうやって、近づきすぎず遠ざかることなく、けれど想像を遥かに超えるあたたかさで、世界を見せてくれる人。
 遠くの親戚より近くの他人、とはよく言うけれど、私のなかの「他人様』という概念、他人という存在は、明らかにそれ以上の価値を抱いている人々だ。あなたたちがいてこそ。あなたたちがいてこそ…私は息ができる。
 

 先日誕生日だった。おかげさまで〜という感じで、ひっそりと自分で自分を満たせれば幸福な、そういう年齢。ここまで、来れた。シンプルに穏やかな良い一日だった。
 そんな日をもう閉じようという夜中に、一言のLINE。ポップアップ表示だけで、もう。充分だった。開きもせずに、けれど…今日一日、たゆまなく、穏やかに血の通っていた心がひいやりと、する。

 母親からのLINEだった。
  お誕生日おめでとうございます、遅くなってごめんね。今度ご飯一緒に食べましょう。

 優しい言葉だ。
 優しく見えるだけの言葉だ。
 中身のない虚な言葉だ。

 冷えはじめる指先を私は丁寧に扱う。

 いいえ、貴女はもうここへは入ってこれないよ。そう呟いて、画面を閉じる。



 優しく見えるだけの、と私が言うのは、…私の母親が、彼女が…いつも、忘れてしまうからだ。

 私と彼女が、どれだけ血反吐を吐くようなやりとりをしたか。

 文字通り、血の涙なり血反吐なり、傷口をひらいて見せてやれるなら、それで何か伝えられるならいくらでも、いくらでも流血してかまわない。ただ一度で良い、ちゃんと見てほしい。
 …そんなやりとりが、私たち二人の間にどれだけあったか。
 胸を切り裂くことでこの傷を、痛みをちゃんと見てくれるなら、比喩でなくこの手で胸を切り裂いて見せてあげる。そういうノリで何度も、真剣に話した。流した涙も、呑み込んだ言葉も、届くようにと祈りに似た気持ちでまとめた手紙も、私の人生と血と肉でできていた。
 けれどそれを彼女はただ、忘却のゴミ箱に入れてしまう。忘れて、無かったことになって、何度でも何度でも何度でも、宥めてもすかしても、積み上げたつもりだった対話の階段は消える。彼女から語られる感情が前に進むことはなく、会話はフリダシに戻る。会話だけ、同じやりとりを交わす歪んだタイムリープ。お互い歳をとるのに、繰り返される会話の向こうは、見えない。
 忘れてしまうことで再スタートを切ろうとする彼女の、課題解決のルートは、そうやって富士の樹海のように私と彼女を出られない迷路に誘い込む。
 すべて、忘れてしまう。
 その振る舞いで、「大切」と彼女が言いたがる娘の関係性の根っこごと、ゴミ箱に叩きこんでいること。それを自覚することを拒み続けたまま、彼女は再スタートを切ろうとする。何度でも。何度でも。

 希望のような、顔をして、樹海への招待状は届く。愛のような、顔をした、優しい言葉でできた呪い。
 
 だからこれを私は優しさとは呼ばない。呼べない。…優しくしたいんだね…そうして安心したいんだね。それはあなたの都合だよね。


 
 ぬくもりを守って目覚めた朝、起き抜けのクリアな脳内で私はシュミレートする。
 さてどう返信しようか、もしくは無視?どうしてあげればマシになる?どうしてあげれば、同じ堂々巡りに娘を引き摺り込もうとする、この純心無垢っぽい、忘却という地獄を生きる人と私はマシになれる、…どうすればここから、逃げられる…?
 キリキリと、体のどこかで音が鳴るのを…たぶんどこかが痛いんだろう、物理的な意味では無くて精神的な意味で。けれどそれを感じる余力は、無い。脳裏でそう判断して、どこかにある痛みを、横に置く。
 どうしてなんだろう、私はもう本当に良いのに。どんな傷だったか、何が痛かったのか、もう貴女に見てもらわなくても自分で手当ができるし、傷について誰かと話すこともできる。自分を慈しんでやれるようになって、生きている。それでいいじゃない?どうして今更、私にこだわるの?どうしてあげたら、終われるの?
 ぐるぐると、考えながら手ぐせで開くSNS、流れてくる遠いあまたの情報のなかで目にとまる、それは。ひっそりと、残された言葉。昨日ぽとりと私が落とした呟きに、同じようにぽとりと返された…リプライ。


 なんの変哲もない返信だときっと人は言う。


 通りすがりに交わす挨拶のような。お天気の、庭先の花について喋るみたいな。なんてことない、……。

 けれど。滲んでゆく、文字。血の巡りが戻ってくる。ほどかれてゆく心が、呟く…これこそ他人様の力。
 他人としてそこに、空や月のように遠く、けれど確かに、そこにいてくれること。
 空や月とはSNSで言葉を交わせない。そういう意味で他人様はもっと影響力がある。ただ添えられた一言、なんの変哲も、虚飾もないその一言。

 その言葉のリズムを風のように想う。その遠さを、やわらかな、抱擁のように想う。

 ごめんね私の日常はこんな感じで。ちっとも立派ではないキラめいてもいない。ふとした時にすぐそばにあるのは、こういうふうに、血の匂い。泥の匂い。
 走れば走るだけ、ちゃんと空は見える。私はもうそう知っている。希望とはどんなものか、何を愛と呼ぶべきか。
 けれどゼンマイ仕掛けのようにキリキリと巻き戻されてしまう時計、引き戻されてしまう樹海。招かれて、もがいても罠のようにそこにある泥沼。ここから花を咲かせそうと決めている、なんならもうちゃんと咲かせはじめている、泥の中に根をおろしても私は生きている。けれど、そう思っている私の意志なんかまるで存在しないかのように、愛の顔をして泥沼はやってくる。

 だから、なんの変哲もないその返信が。

 充分すぎる風をくれる。ふわりと、囁いてくれる。ーーーこっちだよ。
 あなたがほしいのはこっちだよ。あたたかいのはこっちだよ。優しいのはこっちだよ。怖くないのはこっちだよ……。
 静かな微笑みのような、道端に咲いて揺れる花びらのような。

 
 だから他人様はやめられない。……かけがえがない。
 自分の手元だけでは、どれだけ捜しても、自分自身を救えない。そんな瞬間に、他人様だけが、窓をひらいてくれる。私を、呼んでくれる。

 風が吹くのはこっちだよ。陽のあたるのはこっちだよ…。
 



 責める言葉、なじる言葉。関係性を切る言葉、今後の可能性を根絶やしにするための策略…。
 相手を、家族を。ちゃんと扱おうとし、自分の心にちゃんと触れようと願えば願うほどに、見えない傷口から噴き出す血が、そういう言葉ばかりを磨こうとする。

 そういうことばかりじゃなくて大丈夫だよ、と、他人様がいるからこそ私は自分に言ってあげられる。
 世界はな。広いんやで。
 地元のではない言葉でふざけてそうやって、自分自身に、言ってやれる。


 ねぇ、母さん…?本当はどうでもいいんでしょう?ならば、ちゃんとどうでもいいことにしておいた方が互いに幸福でいられるのに。あなたが抱えた罪悪感に駆られて贈られる、帳尻合わせの、そんな言葉には。
 私は振り返らない、振り返ってあげなくて、良い。
 貴女も、私も、そうやって。そうやってしか、辿りつけないよ…樹海や泥沼以外の場所へ。


 近くの家族、肉親にも顧みられず、触れてももらえなかった傷口を、私は洗う、何度でも、一人で。それはかまわない。流れる血も愛おしいと、もう知ってる。
 けれど他人様はなんでもない顔をして、清らかな水を手向けてくれる。どうってことないって顔で。優しさしかない顔をして、差し向けてくれる清らかな、安心できる距離感に…見事に清められてしまう、傷口を、心を。
 これぞ、他人様だからこそできること。離れていて、知らなくて、澱んでいなくて。互いが望むのでなければフツリと消えてしまう程度のつながり、その儚さがくれる、かけがえのない…強靭さ。

 遠くの親戚より近くの他人?そうね、だから私に言わせれば、近くの肉親より遠くの『他人様』。
 というより…たぶんもう、ね。距離も続柄も関係がない。
 
 見えない心を、想ってくれるなら。
 
 それはもうきっと近かろうが遠かろうが、他人だろうが身内だろうが、知り尽くしていようが相手について無知だろうが…何も関係ない。信頼を、重ねられるなら。関係性を結べるなら。一緒に見る景色を、愛おしいと思えるなら。

 
 そうして私は選ぶ。どんな言葉を磨くか、誰に言葉を贈るか。
 たどたどしく言葉を紡ぐ。迷いながら言葉を手繰る、繋がる方へ言葉を放つ。広がる方へハンドルを向ける。風の吹く方へ舵を切る。関係を切るのとは、違うところへ…向かう。そう、心に決めて。
 遠く、離れていて、互いのことを何も知らなくて、そのままで、それでも。人はあたたかい。

 私は選ぶ。応えて手を振る。そのよろこびの方へ。その、光の方へ。

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