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春の空気と建築という行為の考察

春夏秋冬、季節はグラデーションのように遷り変わる。
日々、僅かな景色の変化の中、気づけばいつの間にか、
次の季節に足を踏み入れている。

しかし「春」だけは、他の季節とは、境界の明瞭度が違うように感じる。
まるでその日から、突然季節が入れ替わったように錯覚する「何か」が、
「冬」と「春」の境界にはある。

それはきっと、春の色のせいだ。

春が始まる瞬間、目の前に見える風景には色が溢れている。
桜並木の淡い桜色、地草や新芽の若草色、青紫を帯びた空色。
抑制された彩度の冬の風景から、色彩に溢れた春への大きな変化。

春の空気感。春の感情。

色だけではなく、空気の感じからも春らしさがある。
朝晩の空気は少し冷たいながら、冬の刺さるような厳しさは感じない。
日差ししっかりと温かさを感じる程度の強度になっている。

また、通勤路で通る橋から眺める川の景色を見るたびに、
大学生の頃通った東急線に揺られながら見た河川敷の桜並木、
卒業式や新学期で寂しさや新たな希望を感じながら見た桜。
春の風景は、様々な思い出と共にある、
過去の感情も引き出してくる。

このように、春の空気を構成する要素を考察することは、
建築設計という行為により、意識的に空間の空気を構成することと、
どこか共通点があるような気がする。

建築の空気をつくること。

建築では、空間のプロポーション、開口部のバランス、ディテール、素材感、照明、家具・・・それらを総動員して意識的に空気をつくる。

その結果、訪れた人が、空間に身を置き、五感を研ぎ澄まし、
空気を吸収することで感じる質が生まれる。
一方で、過去の知識・経験により、背景や状況を読み取ることにより、
感じる質もあるだろう。

「重厚感」「開放感」「緊張感」「浮遊感」
「親しみやすさ」「温かさ」「安心感」「落ち着き」
「誠実さ」「強さ」「堅実さ」「自然さ」

建築の空気感を示す言葉は数多くある。

開放感・緊張感・浮遊感などは、身体で感じる空気感。
人により感じ方は様々で、同じ空間に隣り合って身を置いていても、
感性により、受け取り方に強弱があるだろう。
写真には映りづらい、現地でなければ感じられない空気感。

重厚感、親しみやすさ、堅実さなどは、
過去に見たことのある建築の用途や光景などの知識や経験を元に、
目の前にある空間の様式や素材感などを、照会しながら、
空気感感じているのではないだろうか。知識により感じる空気は、
写真や図面などからも読み取ることができるだろう。

さて、建築の醸し出す空気を表す言葉を並べて思うのだが、
空気の質=空間の質を、言葉という手段により表現しようとすると、
パターン化された、再生産な可能なものに成り下がってしまう気がする。

設計者は、個々の空間で、その案件固有の課題を解決し、新しい人と建物の関係性をつくるような空気を生み出そうとしているにも関わらず、、
まだ目の前にない空間の設計根拠を施主へ伝え、承認を得る手段は、
言葉になってしまうことがもどかしい。
それは、「春のふんわりとした雰囲気にワクワクする。」と言葉にすると、
途端に感情が半減することと似ているように思う。

春の空気も建築の空間も、本来言葉で詠むものではなく、
身体で感じるものだ。

残り僅かな桜が魅せる春の空気を、精一杯味わおうではないか。


(追記:下書き状態で止まってしまい桜のタイミングを
 逸してしまった。反省。)

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