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目の前の事実も、見方次第で幸せに変えられる




こんばんは、ハレです。

突然ですが、私のペンネームのハレは、
「晴れ」からとっています。

晴れた日の空が好き。
山あり谷ありの人生だけれど、きっと明日はまた晴れると信じて毎日を生きています。

曇りや雨の日は少し気分が落ちるけれど、
それはもしかすると大人だけなのかもしれません。

今日はそんなお話。

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月曜日。
一週間のはじまり。

今朝は小雨が降っていて、傘はささなくても良いけど、
でも降ってるな、と思うぐらいの雨でした。

出勤する大人たちはみんな、ちょっと俯いて、
早足に駅に向かっていました。
わたしもその1人でした。

少し前に、2人の子供とお母さんが歩いていました。
子供たちはこれから保育園に行くところでしょうか?
楽しそうに歩いてました。

周りの大人はだれも傘をさしていないのに、
2人の子供は、2人とも嬉しそうに傘をさしていました。
そして嬉しそうに、くるくるくるくる傘を回して、はしゃいでました。

2人ともきっとお気に入りの傘だったんだと思います。

私たちが憂鬱だと思う雨の日を、
子供たちはお気に入りの傘をさせる嬉しい日たったに違いありません。
周りはだれも傘をさしていないのに、傘をさしたくてたまらなくなるぐらい、嬉しかったのでしょう。

雨の日は憂鬱だ、と思う私たちの常識を、
子供たちはいとも簡単にくつがえしてしまっていました。

私たちはいつからそんな純粋な気持ちを忘れてしまっているのでしょうか?
憂鬱な雨の日だって、お気に入りの傘をさして、
お気に入りのレインブーツが履ける楽しい日にすることもできるのに。

いつの間にか「雨の日は憂鬱な日」という固定観念に縛られてしまっています。


もしかすると、憂鬱なことも憂鬱な日も、
自分の見方やとらえ方、ほんの少しの工夫で、
楽しいものに変えられるのかもしれません。

あの子供たちのように、
気の向かないことも、楽しいを探して、同じ事実でも、見える現実を変えるのは自分次第なんですね。

そして見えている現実が、自分にとっての「事実」になる。

それなら目の前にあることを、
できるだけしあわせな事実にしてあげたほうがいい。
もしかすると起きているすべてのことを幸せに変えることもできるということなのでしょう。

きっと世界は優しい。
自由に、ありのままに、そして世界を自分で豊かにしましょう。

子供の純粋な発想とは、すばらしいものですね。


ハレ

平凡なアラサーサラリーマンの独身女子が、人生という名の物語を、1ページずつ、1日ずつ大切に生きるために、ありのままを綴ります。苦しい時も悲しい時も、すべてを受け入れてまっすぐ見つめて前に進むために。人は産まれてきただけで奇跡なのだと、そう信じて。