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雨はなにも流してくれない

ここのところ何週間も、鬱状態から抜け出せない。
ごくたまに“元気のようなもの”が出てくることが有って、そんな時は決まって、昨日みたいにおどけた文章を書いたりする。

でも、あくまでも“元気のようなもの”であって、“元気”なわけじゃない。
躁状態とも、また違う。
「何となく動けるような気になっただけ」と表現するのが近いかも知れない。

だから昨日は記事を書きながら、妙な白々しさを感じていた。楽しく伝わる文章にしようと考えている自分を、やけに冷え切った思いで見ている自分が居た。

案の定、夜になって動けなくなった。
記事を上げた後、どうしても役所へ出かけなければならず、思いのほか人が多くて疲れたのも原因かも知れない。
手続き中から既に疲れていて、相手の言うことが把握できなかった。集中して聞こうとしても意味がなく、ちんぷんかんぷんな対応をして自己嫌悪に陥った。疲れを倍増させてしまった。

私の負った虐待後遺症もDVや性被害もモラハラも、無かったことのように忘れることは出来ない。逃れることなんて出来ない。
そこで生まれた愛着の障害や認知の歪みは、社会勉強の中で対応や対処が出来るようになっているからと言って、根本原因が消えてくれたわけではない。
だから、「何故こんなに」と思うほど常に疲れている。

そんな中、またステージに立つ日が目の前に迫ってきた。
“元気のようなもの”を絞り出さなくてはならない。
これを諦めたら、私が意地になって思い続けている“復讐”が出来ない。
死ぬ時には絶対に笑っててやるんだ。過去に呪い殺されてなどやるものか。
これが完遂できなければ、復讐は成し遂げられない。
自分が死ぬその“時”“状況”も、自分が決めるのだ。

そんなほころびた気持ちを抱えながら、Netflixで映画を見た。

グッバイ、リチャード!

余命少ない彼の台詞が、私の共感を刺激した。

「不条理だよ。でも完璧なんだ。」
「必ず死ぬという事に感謝して生きてこなかった。」

私の人生も不条理そのものだ。
でも、この先いつか必ず来る死に直面し、自分の人生を振り返った時、

「不条理だったけれど、これで完璧だ。1人の人間としての物語が完璧に仕上がった。」
と思える生き方をしたい。

物心ついた時、既に抱えていた希死念慮を通して私が得た死生観。
常に「明日死んでも文句はない」と言えるものにしておきたいという、半ば脅迫じみたその死生観を、疲弊させられながらも受け入れてきた。
それを止めてしまったら、きっと私の心は完全に死んでしまうのだろう。

今日も気温が下がって雨が降っている。

雨は何も洗い流してはくれない。
涙したからと言って心が洗われもしない。

それが不条理な事実で現実だ。
なら、やはりこのまま貫くしか、道はないのだと思う。

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