コミュニケーションの回避
タイでは緊急事態宣言が6月まで延長されたらしいけれど、屋台を営んでいる人たちは通常通り営業できているのだろうか。
タイに住んでいた頃、住んでいたコンドがある通りに屋台がいくつか並んでいて、僕はそのなかの焼き鳥屋台でよく買っていた。
その屋台ではお母さんと息子が働いていた。僕は香草が入ったソーセージのようなものをよく買った。お母さんとは顔見知りになって、買いにいくたびに会釈もするし、話もした。
しかし息子とは全く話さなかった。目も合わせてくれなかった。僕が注文すると、息子は黙って肉を焼いた。僕は黙ってそれを見つめた。
彼があまりにも寡黙なので、僕もそれに倣って寡黙でいた。お金を払って、商品を受け取って、家へ帰った。それを繰り返す日々が続いた。
僕はその息子がどうして無言で肉を焼き、「こんにちは」も「ありがとう」も言わないのか。考えなくてもいいと思っていても、なぜか考えてしまっていた。
僕とその息子の間には、名前のつけられない膜のようなものが張っていて、ちょっとやそっとじゃ破れないという不思議な確信があった。
最初はその膜を破れないのは僕のせいかもしれないと思っていたけれど、次第にその膜を破らないままでいることのほうが正しいのかもしれないと思うようになった。
ここではお互いにコミュニケーションを回避する。
彼は帽子を目深にかぶって、俯き加減に肉を焼く。僕も少し目線を下に向けて、炭火の炎の形を見ている。そのあと、お金と商品が双方向に移動する。
ほんとうにそれだけでよかったのだと今は思っている。
2020年5月30日
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