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あたたかい

子ども達がお世話になっていた近隣のクリニックは二つ。

ネット予約で来院するとまずiPadで問診。
時間がくると診察室に呼ばれるクリニックA。
窓から都電荒川線が見え、注射を頑張った子には待合にあるガチャポンをさせてくれるお楽しみあり。

先生のお父様の代からずっと〝地域のお医者さん”であるクリニックB。
受付や院内処方もご家族が担当。
クリニックの奥の方が先生たちの住居スペースになっている。

「いた」と過去形にしたのは、兄弟二人とも予防接種以外でクリニックに行くことがほとんどなくなったからだ。
小学生になり、小児科や内科のお医者さんに診ていただく機会がぐんと減ってきた。

二人の幼稚園時代、AとBにそれはもう本当によく通った。
長男が園から持ち帰ってくる強力な感染症に一家全滅、というのを何度繰り返したかわからない。
特に胃腸炎は最悪。どんなに頑張ってうつらないようにしても(我が家の場合は)無理だった。
次男はゼロ歳児代から兄のお土産である感染症の洗礼を受け続け、そのおかげか発熱にはやたら強く、39度あっても食欲が落ちない。小学校入学を機に喘息のかかりつけ医(クリニックA)の指導で喘息ケアをやめてみたのだが、今のところ大丈夫のよう。


クリニックの待合室で
赤ちゃんの次男が、体調不良ではない時期を見つけてはせっせと通ったのがクリニックBだった。
ゼロ歳児代の予防接種は、Bの先生に接種スケジュールを考えてもらい、先生に打ってもらっていた。

クリニックBの、普通のおうちみたいな玄関のドアを開ける。
待合室の床は木材で、いつもワックスでつやつやしている。
昭和レトロな感じのスリッパに履き替えて、受付でノートに名前を書く。
診察券はなく、保険証だけを提出する。

革張りの長椅子がコの字になっていて、自由に読んでいい本棚には『家庭画報』や昔の絵本が置いてある。
エアコンもあるのだが、冬になると温風が出るファンが置かれ、待っている人たちの足元が冷えないようになっている。

待合室にはどの時間帯に行っても、おばあさん、おじいさんがいる。
おばあさん4に対して、おじいさん1くらいの割合。
赤ちゃん、子どもはあまり見かけない。

先生のお父様は小児科が専門で、先生は消化器外科が専門。
クリニックの看板には「小児科、内科」とあり、お父様は数年前に亡くなった。(長男の乳幼児期の予防接種は、先生のお父様に打っていただいた)


おばあさんに抱っこしてもらった日
その日もいつものように、コの字になっている革張りの長椅子に座り、次男を抱っこしていた。
私の隣も前もおばあさん。全方位おばあさん。
4,5人くらい、いらしたと思う。


「かわいいわね」

ひとりのおばあさんが次男に声をかけてくれた。

ありがとうございます。

「今日はどうしたの?お風邪?」

いえ、予防接種なんです。注射です。

「こんなに小さいのに、かわいそうにねぇーー」

おばあさんたちは顔を見合わせて、ねぇー、まだ赤ちゃんじゃないの、注射なんてねぇーと言いあう。

別のおばあさんが突然言った。

「あのね、もしよかったら、本当にもしよかったらなんだけど、ちょっと抱っこさせてもらえないかしら」

ギョッとした。
どうしよう、どうしたらいい?

でも、その場の雰囲気もあって、その時の言い出したおばあさんが嫌な感じがまったくなかったので、次男をおばあさんの膝に乗せた。
(次男はまだ人見知りが本格的に始まってなくて、泣かなかった。長男だったら即アウトだった)

「あああ、あたたかい………」

おばあさんは次男の感触を味わうようにそう言った。
数秒間を大切に大切に味わうように。

「ありがとう。ありがとうね。ぼくも、ありがとうね。はい、お母さん」

おばあさんの膝から私のもとに戻ってきた次男。

おばあさんがゆっくり話し始めた。

「私は、陸前高田から避難してきている者なんです。ここの区の、仮設住宅にお世話になっているの。このあたりの方々はみんなやさしくって…」

そうでしたか。地元の方だと思っていて。

「震災で、私は甥っ子を亡くしたんです。津波でね。見つからないの。ごめんなさいね、赤ちゃんを見たら、どうしても思い出してしまってね。ごめんなさいね。元気でいてね。ずっと元気でいてね」

おばあさんは鼻をすすりながら話してくれた。
隣にいた別のおばあさんが、おばあさんの背中をさすった。
つらかったわね、つらかったわねと。

待合にいた全員が目と鼻を赤くしていたので、診察室から出てきた人がぎょっとしたに違いない。

陸前高田からいらしたおばあさんのお薬が用意できましたと、受付の方が声をかけて、おばあさんは

「じゃあ、お先に。みなさんお大事に」

と玄関から軽やかに去って行った。

◇◇◇◇◇◇

陸前高田。

テレビから何度も聞いたその地名を、そこに暮らしていた方の口から直に聞いた重み。

おばあさんが「あたたかい」と言ってくれた次男。

甥っ子さん。

その日は子どもの予防接種に行ったのだけれど、それどころじゃないような、どう表現したらいいのかわからない気持ちになった。
何人かにこの話をしたのだけれど、いまだに私の中におばあさんの「あたたかい」が残っている。


次男は先月9歳の誕生日を迎えた。
おばあさん、どうかお元気でいてください。


あれから10年の今日、
たくさんの人たちがいろいろな思いをする今日に、
私はまた「あたたかい」を思い出します。


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