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スプートニクの友達

男の子の名前はセイくんと言った。

漢字だと「生」、私より二つか三つ年下だったと思う。

彼と出会ったのは御茶ノ水にある英会話スクール。

私達のクラスは30代40代の主婦が大半で、20代の我々は教室内でも浮いた存在だった。

授業が始まる前や休み時間、夫のこと姑のこと、今晩の晩ごはんのことで彼女らが盛り上がっている最中、セイくんと私は持参した本を読んでいることが多かった。

どちらからともなく自然と話すようになった。

小学生時代の数年間をアメリカで過ごした彼は、「聴きとることはできるけど、喋るのが苦手」という理由で英会話スクールに通っていた。

「あやさんはどうして聴きとれないの?」

なんの悪気もなくまっすぐに聞かれると、さあ、どうしてでしょうね、と苦笑いし

「セイくんはそんなに聴きとれるのに、どうして話すのが苦手なの?」と聞き返してやった。

「ぼくはそもそも、日本語でも話すのが苦手だから…」

はぁ?村上春樹みたいなこと言ってんじゃないわよ!と笑い飛ばし、帰りはたいていどこかでお茶をしてから別れた。
また来週ね、お疲れさま、バイバイ、さようなら。

私には付き合っている彼(現・夫)がいて、セイくんの心には数年前に別れた未練たらたらの彼女がいた。

はたからみれば年ごろの男女で、ふたりきりでいるとなんとなくそういう風に見えたかもしれない。

が、私達の間には男女の恋愛感情は全く芽生えず、好きなもの(本や音楽やファッション)が共通の友達だった。

「ぼく、あやさんみたいにいつも何かに怒っている人は恋人としてはつらいな。彼女が怒ってるの苦手なんだよ。あやさんは群ようこを読むといいよ。怒り具合が似てると思うんだ」

ルピシアのティールームでミルクをたっぷり入れたシナモンティーを飲みながら(セイくんは珈琲が飲めない)真顔で言われると、はあ、そうですか、と納得せざるを得なかった。そんなにぷりぷりしてるの?私。すみませんね。

村上春樹の『スプートニクの恋人』(1999年 講談社)が出版され、春樹ファンの私達はすぐに購入した。

本の帯に書かれている一文。

a weird love story

「weirdってさ、「奇妙な」っていう意味でしょう?
このお話、私には「奇妙な」感じがぜんぜんしなかったのよね。私にはスルスルスル〜と自然に流れ込んでくるような、すごくいいお話だったなぁ」

「あやさんみたいな人もいるんだね」

「どういう意味?」

「いや別に、ふふふふ」

それからしばらくして、セイくんがエッセイや短編小説を書くようになった。
私に読んで欲しいと言い、原稿を持ってくる。

一作品にボリュームがあって、正直なところ、内容があまり読書意欲をそそらなかった。

たいへん申し訳ないのだが、私には読むことがつらかった。

でも彼が何回も持ってくるし、家にも角封筒に入れて郵送されてきたので、読まざるを得なかった。

頑張って読んでは、ここはすごくいい、ここは少しわかりにくいと感想を伝えた。

「あのさ、書くことに何か目的があるの?小説家を目指してるとか、コンテストに応募するだとか」

「ない。ただ書きたいだけ」

彼の勧めで私も二つほど創作を書いてはみたのだけど、書きたくもないのにものを書くことのつらさを思い知るだけだった。

セイくんの創作意欲はあるところまでいったらピタッと止まったようで、急に書かなくなり、私への「読んで読んで」もなくなった。


◇◇◇◇◇◇◇


ある日の授業で、先生が私達生徒に問うた。

映像をテレビ画面で我々に観せて、今、ここは何と言ったでしょうか?と質問した。
いつもはなかなか聴きとれない私が、その時は奇跡的に聴きとれて、挙手した。

"There is something weird."

"Great!"

先生が私に笑いかけ、セイくんをみるとこちらを見ずに下を向きニヤニヤしていて腹が立った。



スクールの在籍クラスが「卒業」という段階になり、それまで週に一回は顔を合わせていたものがなくなると私達は自然に疎遠になった。

セイくんは大学院に進学したいと前々から言っていて、母校(彼は東京外語大の仏文科卒)に受験手続きに必要な書類を取りにいった、というところまでは電話で聞いていた。

ずっと、美術を勉強したいと言っていた。
別れた彼女が美術関係の道に進んだと聞いていたので、ほらね、未練たらたら君だと思っていた。

連絡をとらなくなっても、それは変な別れ方ではなかったし、じゃあね、元気でね、バイバイ、というさっぱりとしたものだった。 
彼の大学院の合否も分からないままだ。

セイくん、私は今、文章を書いています。

あなたが「ただ書きたいだけ」と言っていた気持ちが、今、私の中にあります。
不思議です。

「書くこと」を思うとき、あなたのことが浮かぶのです。


お読みいただきありがとうございました。

※見出し画像は「みんなのフォトギャラリー」よりT-A kagiさんの作品「宇宙漂流お父さん First Contact【連絡第一弾#1】【シリーズ#4】をお借りました。ありがとうございました。
















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