見出し画像

あの日のコーヒー|KINTOコーヒーカラフェセットの物語

(※この記事は、筆者が暮らしの中で出会ったすてきな物を、独自に短編小説の形でレビューする試みです。PR記事ではありません。)

──ころんと透明なガラスで出来た……砂時計? 花瓶? 

はじめて見たとき、僕にはそれが何だか分からなかった。
なめらかに丸みを帯びた透明なガラス瓶で、真ん中がすうっとくびれている。
同じガラスで取っ手がついており、よく見ると小さく注ぎ口もあった。
液体を入れるポットのようなものだろうと僕は見当をつけた。
くびれの上部には銀色の円錐形の帽子のようなものが逆さまにはめられていて、それがガラスの優雅なラインを、尚のこと際立たせていた。

あれは何? と指差して尋ねると、彼女はにっこりと微笑んで「コーヒーカラフェ」と答えた。あの銀色の円錐がフィルターで、そのままコーヒーの粉を入れられる。コーヒーの油分が吸収されずに落ちるので、コクのあるコーヒーになるのだという。

「普通だと、サーバーの上にドリッパーを乗せて、そこにフィルターをセットするから、ここまででもう3つの道具が必要なのね。更にフィルターがペーパー製だったりすると使い捨てになるから、50枚セットとかで買い置きをすることになる」

彼女はミニマリストだった。
ミニマリストとは、必要最小限のもので暮らすことを信条とした人のことらしい。
職場から徒歩20分、シンプルな1LDKで、快適そうに一人暮らしをしていた彼女の住まいは、いつも清潔に、センス良く整えられていた。

彼女の説明によれば、そんなふうに通常たくさんの道具を必要とするコーヒーセットだけれど、これだとガラスカラフェと銀色の円錐だけでコーヒーが淹れられるので、アイテム数が少なくて画期的なのだそうだ。
「しかもモノとしてすごくきれいなんだよね」
うれしそうに彼女は言った。彼女はシンプルでうつくしいものが好きだった。

「私がミニマリストなのはね、美学とか主義とかそういうんじゃないの」
いつか彼女はそう話してくれたことがあった。
「私はすごく臆病で心配性なの。だから考えなければいけない事がたくさんあったりすると簡単にパニックになる。でも毎日生きてるだけで、すごくたくさんの考えなきゃいけないこと、決めなきゃいけないことがあるじゃない? 例えば、今日着る服とか、お昼に何を食べるかとか」
氾濫する情報、煩雑な刺激、当たり前のように在るノイズを、可能ならば一つでも減らして行きたいのだと彼女は言った。
「本当に大切なことを大切にできるように」

それからいくつか季節が過ぎて、彼女とはもう会えなくなった。詳細は省くけれども、こういうのはどうしても、仕方のない時には仕方のないことだ。

最後に会ったのは、やわらかい雨がふる春の日だった。
夕暮れ、もう話し合う言葉も尽きた頃、ふいに彼女がキッチンに立ち、コーヒーを淹れはじめた。
ほとほとと琥珀色のコーヒーがカラフェに溜まる音が響き、深いコーヒーの香りが部屋中に漂っていた。

あれから1年。日々スマホの画面を流れて行く膨大な情報の中に、あの砂時計のような花瓶のような透明なガラスのフォルムを見かけて、僕ははっとした。
コーヒーを淹れてみよう。自分の手で。
時間は戻らないけれど、あの日のやさしさは永遠にここにある。

※この物語はフィクションです

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?